手毬
あずきに嫉妬
第1話
果てしない闇の中に、彼女は佇んでいる。
先が見えない暗さを背に、彼女の細い手指とその手に乗った手毬だけが、ぼうっと仄白く浮かんで見えた。
ぽん、ぽん、
手毬が彼女の手と地面の間を往復しながら弾む。彼女は俯いている。細やかな髪が流れるように肩のラインに沿っていた。着物をきているようだが、その色は闇のせいか、いっそうあせてみえた。元は鮮やかだった面影が、かろうじて袷の布地から伺える程度だ。色もだいぶ不明瞭になり、せいぜい朱色か、臙脂色かと推測出来るくらいだ。
下を向く彼女は、しかし、手元を見ているわけでもないらしい。
手毬は、まだ軽やかに跳ねている。
ぽん、ぽん、
確かな証拠はなかった。けど、あの手毬が止まったらなにかとんでもなく恐ろしいことが起こる、という不吉な予感だけはしていた。体の奥から怖さがじわじわと押しあがってくる。彼女を見ている内にその怖さはどんどん大きくなっていった。この場から逃げ出したかった。誰でもいいからここから連れ出してほしい。その思いを裏切り、足の筋肉は石のように固まって動けず、喉は何かが詰まっているかのように声を絞りだすこともできない。
でも、「その時」は近づいてくる。
確実に、じりじりと。
ぽん、ぽん、
これではダメだと思えば思うほど、体はまるで制御が効かない。焦りで額から汗が滲み、顎に沿って滴り落ちていく。産毛は逆立ち、肌からは一斉に鳥肌が立った。
早く、逃げないと。
自分の息が荒くなっていくのを自覚した。
足がガクガクする。
ぽん、ぽん、
彼女はお構いなしのようだった。優雅に彼女の手で舞う手毬は命でも授かっていると言わんばかりに上下する。こちらを嘲るようだった。
ぽん。
毬が、止まった。
かつてにないほど激しく、頭の中でサイレンが鳴り響いた。やばい、早く逃げないと、早く―!
俯いていた彼女は、ゆっくりと頭をあげ始めていた。長い髪の幾筋が意思をもったように肩から胸の前へと落ちていく。せめて目を逸らさないと、このままでは、殺される!彼女と目を合わせてはいけないと、本能が叫んでいた。しかし、眼球はガラス玉にでもなったようにいうことを聞いてくれない。少しずつ上がってゆく彼女の頭を眺めるばかりだ。そして、とうとう彼女は完全に頭をあげた。
しかし、予測していたように目が合うことはなかった。彼女の顔は―いや、あれを顔と呼んでよいのか―ソレは、赤々とした毬だった。唯一普通のと違うところと言えば、ソレを覆う妖しげなぬめりくらいだろうか。
ハッとして私はその手元を見ようとした―が、その矢先、ソレはにやりと笑った。笑うと言っても、目鼻があるわけではないので、少し不適切な表現かもしれない。それでも、はっきりとソレは笑ったと認識できた。あまりの不気味さに、背筋が凍る。時間が、止まったようだった。
もうダメだと諦めかけたその時、ふと、全身の強張りが解けた。と同時に無意識で走り出していた。それでも、ソレの目線がいつまでも背中に張り付いて、どこまでも追ってくるように感じ続けた。
ハッと、目が覚めた。
手毬 あずきに嫉妬 @mika1261
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