ラスト・シャーマン番外編「狗奴の王」

長緒 鬼無里

ラスト・シャーマン番外編「狗奴の王」

 夜明けとともに銅鑼どらが鳴り響き、重い宮殿の門が開け放たれた。

 それと同時に、無数の足音が一斉に地響きをさせて近付いてきた。

 それはどれも早足で、我れこそは先にと、私達の待つ謁見えっけんの間を目指してやって来る。


 やがて、戸口に辿り着いた男達から順に、石造りの床を滑るように室内になだれ込んできた。

 彼らは私達の前に横一列に並ぶと、皆、跪き深々と頭を下げた。

 同様の列は後方へ折り重なるように続いてゆき、やがてそんな男達の波で広間は埋め尽くされた。


「それではこれから、王への陳情を許す」


 桑染(くわぞめ)色の長衣と冠帽を身につけた大臣がそう言うと、押黙っていた男達は一斉に顔を上げ、口々に思いを訴え始めた。


「お聞きください。狗奴国くなこく王」


「私どもの村をお救いください」


 己の声を届かせようと、競い合うように張り上げる男達の声で、広間は騒然となった。

 石造りの室内に、怒号ともとれる荒げた声が響き渡る。

 それをたしなめる役人達の声も加わり、その割れるような騒がしさに、私は思わず両手で耳を塞いだ。


 突然、男達の後方で銅鑼の音が再び響いた。

 びくりと身を縮めた男達は、一瞬言葉を失い、再びその場にひれ伏した。

 すると、私の隣で若い男が椅子から立ち上がり、ゆっくりと居並ぶ男達へと近付いていった。

 私は、そのぴんと張られた背中に一瞬見とれ、口が開いたままになっている自分に気が付くと、慌てて口を閉じた。

 背の高い細身の体に、翡翠ひすい色の長衣をまとい、艶やかな髪に冠をのせたこの人は、筑紫島つくしのしま(九州)を統括する国、狗奴くなの王であり、私の夫だ。

 今更ながら胸を熱くして、私は見慣れたはずのその後ろ姿を目で追った。


「まずは命に関わること。次に国に関わること。その次に教育に関わることから述べよ。それ以外のことはのちに聞く」


 澄んだ張りのある声が、広間に響き渡った。

 それを聞いた男達は、優先順位を互いに確認し合い、順位の低いと思われる者達は自ずから身を引き始めた。

 やがて、男たちの前に置かれた、人が数人横たわれるほど大きな机の前に王が立つと、恐る恐る初老の男が近付いてきた。


「我が村で疫病が流行り、次々と死者が出ております」


 話を聞いた王は、机の上に広げられた地図に両手を置き、男の顔を覗き込むようにして問いかけた。


「お前の村はどこにある? そして、その病の特徴を詳しく述べよ」


 男が震える手で、半島のように突き出した場所を指差し、蔓延する病の症状を説明しはじめると、王は真剣なまなざしを彼に向けてそれに聞き入った。

 話が終わると、王は机に両手をつき、何度もうなづいた。


「おそらくそれは、人から人へ空気を介して感染うつやまいだ。症状の出たものは、他の村人から隔離して風下かざしもへ移せ。治療には呉出身の医師たちを派遣する」


 そう言うと王は、振り返ってそばにいた大臣を呼び、医師の手配を命じた。

 大臣が頭を下げて退出すると、今度は体格の良い兵部省つわものつかさ(軍部)の役人を手で招き、再び地図に手を伸ばした。


「お前はこの半島の入口を封鎖し、感染の拡大を防いでくれ」


「御意」


 役人はみぞおちに右手を添えて、深々と頭を下げると、早足で広間を出ていった。


「安心しろ。似たような症状を大陸で見たことがある。栄養失調で体力がない者が感染し、重症化しやすいのだ。精のつく食料もすぐに手配してやる」


 陳情を述べた男に向き直り、王は優しく微笑みかけた。

 それを見た男は涙を流し、王に向かって何度も何度も頭を下げた。

 そんな男の肩を軽く叩いた王は、再び居並ぶ男達に向かい、声を張り上げた。


「次の者、用件を述べよ」






 その後も王は、順に男達の訴えに耳を傾け、その都度、適宜な処理をくだしていった。

 だいたい昼までの時間は、こうしてあっという間に過ぎてゆく。


「本日はこれまで!」


 冒頭で開始を知らせた大臣がそう言い、終了の銅鑼が鳴り響いた。

 それと同時に、陳情に訪れていた男達は、ゆっくりと談笑しながら戸口から出て行った。

 緊急性のある事案は大方処置が成され、男達の顔は来た時とは別人のように穏やかになっていた。


 男達がすべて退出し、謁見の間の入口の扉が閉じられると、私は背もたれに身を任せ、大きくため息をついた。

 そのあまりに大きなため息に振り向いた王は、くすくすと笑いながら私を見た。


「お疲れさまでした。壹与いよ様」


 慌てて姿勢を正し直した私は、自分の醜態ぶりに赤面してしまった。

 私は終始、ここに座って、次々と仕事をこなしていく彼の姿を目で追っていただけなのだ。

 それなのにいつも、こんなに疲れ果ててしまうのはなぜなんだろう。


「壹与様はやめてって言ってるのに……」


 照れ隠しに、私は夫の顔を上目遣いに見て頬を膨らませた。


「……私は、あなたの……その……妻なんだから……」


 続けてそう言ってしまった自分に一層恥ずかしくなって、私は熱くなった頬を両手でおさえ、目を閉じてうつむいた。


「壹与様は、壹与様ですから……」


 近くに彼の声を感じ、目を開けると、すぐそばで涼しげな瞳が私を見つめていた。

 そして彼はその場に膝間づき、驚く私の膝にこめかみから顔を埋めた。


「ち、ちょっと! 大臣たちが見てるわよ!」


 慌てて私が室内を見渡すと、大臣達がばつが悪そうに目を逸らし、部屋からそそくさと出て行くのが見えた。


「もう! いい加減にしてよ! 男鹿おがったら!」


 自分でも耳まで真っ赤になっているのを感じながら、私がうわずった声をあげると、彼はいたずらっ子のような笑みを浮かべて顔をあげた。


「ほら。邪魔者がいなくなった」


「……!」


 呆れて言葉が出なくなった私の唇に、彼の唇が重なった。

 こうなったら、もう、身も心も彼の成すがままだ。

 この唇を引き離すことなんて、できるわけがない。


(ああ、どうやってもこの人にはかなわない)


 そう心の中でつぶやいて、私は幸せな敗北感を味わっていた。







 謁見の間から出た私達は、宮殿の庭を散策していた。

 午後の業務が始まるまでのひととき、外の空気を吸って気分を変えようと、男鹿に誘い出されたのだ。

 先の戦でみかどがこの地を取り戻すまで、狗奴国は呉からの移民たちによって占領されていた。

 そのため、この宮殿も、庭も、大陸の様式で造られた近代的なもので、遊歩道の処々には瓦屋根の立派な東屋あずまやも設置されていた。

 真夏の暑い日差しを避け、私たちは木々がうっそうと茂る小道を歩いていた。

 相変わらず早足で歩く男鹿の後ろ姿を見つめながら、私はいつも不安に思っていることを思いだし、少し胸が痛くなった。


でもあなた、もてたでしょ?」


 私がそう訊ねると、彼は振り返り、いつものようにおどけたように笑った。


「そんなこと、ありませんよ」


 私が納得できずにさらに追求しようとすると、彼は少し困ったような表情を見せて言った。


「魏の女性から見れば、私は発展途上の野蛮な国の人間ですよ。相手にしてくれるはずがありませぬ」


 そう言って目を逸らす彼を、私は疑り深い目で見ていた。

 嘘が下手な彼は、何かを隠しているとき、いつもこうやって目を逸らすのだ。

 でも、私も真実を知るのが怖くて、それ以上深く追求することはできなかった。


 帰国した彼は、魏の衣装を身に着けていた。

 もともと顔立ちは整った人だけど、発色が鮮やかな絹の長衣は、彼の美しさを一層際立たせ、立派に見せている。

 髪も倭人特有の美豆良みずらではなく、大陸風に横髪を頭頂部でまとめていたし、この身なりなら、魏人と倭人の区別など殆どつかないはずだ。

 三年の間に魏の言葉も流暢に話せるようになっていたし、細身な見た目に反して武術にも長けている。

 そして何より、この聡明さが滲み出るような涼し気な瞳。

 この目で見つめられたら、大抵の女は骨抜きになる。

 実際、邪馬台やまたいにいた頃だって、多くの名家の娘達に見初められ、次々と縁談が持ち込まれていたのだ。

 それに、心無しか以前より女の扱いに慣れているような気がする。

 大人になったということもあるのだろうけれど、昔より会話に余裕を感じられるのだ。

 そんな彼が、三年もの間、魏で言い寄ってくる女が皆無だったなんて、私には考えられなかった。


「もしかして妬いてるんですか?」


 悶々と思いを巡らせている私を見て、彼はくすくすと笑ってそう言った。


「私がお慕いしているのは、壹与様だけですよ。幼い頃からずっと」


 急に真剣な表情になって投げかけられたその言葉に、私は思わず彼に抱きついた。


「だって、不安なんだもの……」


 意味もなく滲みだした涙を隠すように、私は彼の胸にひたいを擦り付けた。

 何度も失いかけた愛が、確かにここにあることを実感したくて、私は締まった背中に両手をまわし、力を込めた。

 そして、彼もそれに応えるように強く抱き返してくれた。





 ふと、そんな彼の腕の力が緩められた。

 異変に気が付き、彼の顔を見上げると、その視線は私の背後に広がる池へと向けられていた。


「蓮……」


 そこには、かつて狗奴国を占領していた呉の人間が、大陸から持ち込んだとされる蓮という名の花が咲いていた。

 泥の池の水面に浮かぶように咲く、薄紅色の大輪の花を初めて目にしたときは、私もそのあまりの美しさに目を奪われた。

 日頃業務に追われ、庭を散策する暇もない彼は、このとき初めてこの花を目にして、感動したのだろうと私は思った。


花蓮ファーレン……」


 もう一度、彼が小さくつぶやいた聞き慣れない言葉に、私は首をかしげた。

 響きから魏の言葉であろうとは想像できたけれど、それが何を意味するかはわからなかった。

 ただ、噛み締めるようにそうつぶやく、彼のせつな気な表情に、とても大切なものを意味する言葉であるに違いないと感じたのだった。



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