竜神様の村

@general---

第1話

「そんなことは許されん! 竜神様の怒りを買うぞ!」

目の前の、少なく見積もっても七十代のご老人は、声を荒げた。またこの話か、と思いため息が漏れる。そんな俺の様子も意に介さず、老人はさらにまくしたてる。

「あんたがたみたいな都会の若い衆は知らんだろうが、あの神社は絶対動かしちゃいかん。ましてや土地を買い取って神社を壊すなんてもってのほか。そんなことしたら竜神様が何をなさるか! 考えたくもない!」

何回この話を聞いたのだろうか、ここら辺では過疎化が進み、土地の引き払いの交渉相手は老人ばかりだ。そして、その老人たちは、全員この『竜神様』の話をする。しかし、流石に俺も交渉のプロである。俺はいつもどおり、お決まりとなった駆け引きを始める。

「しかし、我々が神社を壊そうとしてでも推し進めているこのプロジェクトは、『竜神様』の怒りを買うとは到底思えませんが」

「お前らの都合はどうでもいい! とにかくあの神社を壊してはいかんのだ!」

思わず舌打ちしそうになる。まったく老害とはこういうことを言うのだろうな、と思う。こういう老害は、二、三人と出会うくらいなら勉強にもなるのだろうが、この地域の老人は皆こういう人物で、うんざりする。しかし、それは同じ論法で口説き落とせる、ということなので、俺は、それこそ儀礼的に質問した。

「では、『竜神様』について詳しく聞かせていただきたけませんか?」

すると、老人はすぐに得意げな表情を浮かべた。

「いいか? この村には真ん中に川が流れているだろ? 竜神様がお怒りになると、まず川で洪水が起きる。その川から水が溢れて川沿いの家は流される。次に海だ。海が荒れる。この村は漁師が多いんだがそいつらが仕事を失う。それだけじゃない。場合によっては海沿いの家が何軒か持ってかれる。とにかく竜神様は水の災害を引き起こすんだ」

老人は語り終えたときには、すっかり勝利を確信したような笑みを浮かべていた。別にその老人が『竜神様』を飼育しているわけでもないのにだ。なるほど、と適当に相槌を打っていた俺は、さらに質問した。

「この地域は一年を通しても雨が少ない地域ですが、それでも洪水は起こるんですか?」

「起こるものは起こる。竜神様の力はすごいんだ。そのむかし竜神様が怒ったときには村の半分死んだって話もあるくらいだからな」

「しかし、ここ百年の資料を探してもそんな災害があった記述は見つかりませんが?」

すると老人は鼻高々に、

「それは俺たちが竜神様を怒らせずにいたからだ」

と。まったくおめでたい思考回路である。思わず苦笑いするが、俺は何があっても交渉を成功させなければならないので、さらに続けた。

「『竜神様』の怒りを買わないためには、どうすればいいんですか?」

「自然を大事にすればいい。自然を大事にしないと、竜神様はお怒りになるんだ」

自然を大事にすればいいのであれば、プロジェクトを進めても問題あるまい。心の中で毒づきながら、俺は少し声のトーンを上げて、畳み掛けに入った。

「なるほど、『竜神様』についてよくわかりました。しかし我々はこのプロジェクトの完遂のため、神社をはじめとするこの地域のすべての建物を撤去しなくてはならないのです」

「え? なんて言った?」

老人は目からうろこ、と言った顔だった。

「ですから、すべての建物を撤去するんです」

「俺の家もか?」

神社の事しか頭になかったのであろう老人は困惑していた。これが狙いだ。

「立ち退いていただくからには、当然お金はお支払いします」

明らかに老人は驚きと戸惑いの表情を浮かべた。このまま押し切れるだろう。口角が自然に上がる。

「この辺りの方の多くは立ち退いていただけることになっていますよ」

「しかし……竜神様はどうなる?」

「ここから離れれば、それは関係なくなると思いますが?」

しばらく、沈黙が流れた。俺は、本日中には老人から答えを聞き出せないだろう、と思ったので、また後日伺います、と言い残して、老人の玄関先を後にした。老人は難しい表情を浮かべていた。まあ立ち退くだろう、とは確信していた。



 仕事が終わったので散歩がてら、件の神社に行くと、同僚が石段に座っていた。みんな考えることは同じなのだろうか。片手をあげて挨拶し、同僚の隣に座ると、彼はいきなり喋り出した。

「『竜神様』ってさ、いるのかな」

「さあ?」

正直、『竜神様』について語るのは無意味な気がしていたので適当に返事をしたのだが、彼は続けた。

「いそうな気がしないか?」

「知らない」

「俺はいると思うよ」

「へえ」

「信じてないのか?」

面倒だな、と少し思いながら、俺はわざわざ真面目に返してやることにした。

「『竜神様』がいるっていう根拠がなさすぎる。この地域では洪水も、高波も観測以来、確認されていない。『竜神様』がいる証拠は、残念、と言うべきかもしれないが、科学技術では見つけられないんだよ」

「科学技術では、はな」

そう言うと同僚はにやりと笑った。

「どういうことだ?」

「歴史的価値のある資料では、この土地は呪いの土地だの、死者を生む土地だの、言われたい放題だぜ。雨も降ってないのに洪水が起こる。風も無いのに海は荒れる。そんな事を書いた資料が、ごまんと見つかっている」

「捏造じゃないのか?」

「災害が起きたとされる年に合わせて戸籍から人が数百人単位で消えてるんだぞ? それに人柱とおぼわしき人骨も見つかってる」

「結構な事じゃないか」

俺はそう吐き捨てると、なんとなしに神社の方を見た。やけに小奇麗で、掃除が行き届いているように感じる。

「いるんじゃないか? 『竜神様』」

同僚はなぜか嬉しそうに言った。俺はまさか、と言おうとしたが、喉につかえて言えなかった。ただ、その神社は堂々と立っていた。



「俺はどうなっても知らねえぞ」

俺が担当していた老人はそんな捨て台詞を吐いてこの村を去っていった。結果として、彼が村の最後の住民となった。そうなるとは思ってもいなかったが、最後の村民を担当できたのは少し誇りだった。

 その二日後、大規模な工事の団体が村に入ってきた。元々村に住んでいた人数よりずっと多い作業員と、村の空き地には収まらない工事用車両の群れは、圧巻としか言いようがなかった。

 作業員たちと入れ替わりで都市へ戻ってもよかったのだが、なんとなく『竜神様』を見納めておきたかったので、神社へ足を運んだ。やはりと言うか、もちろんと言うか、同僚がそこにいた。

「竜神様を信じる気になったのかい?」

挨拶もそこそこに同僚は、訊いてきた。

「別に、なんとなく来ただけだ」

「壊すのはこの神社かららしいよ」

訊いても無いのに同僚は言った。俺はため息をついて、同僚に言い聞かせるように喋り出す。

「もし、『竜神様』がいたとしても、このプロジェクトには関係ない。いいな?」

「わかってるよ」

同僚は、あからさまに上の空で返事をした。俺はその態度に呆れたので、神社を立ち去ろうとした。最後に神社を一瞥するつもりで顔を向けた。その時、俺の目にはありえないものが映っていた。

 神社の後ろに、雨上がりでもないのに、それはそれは巨大な虹がかかっていた。虹は、はっきりと空に姿を映していた。

「竜神様だ……」

同僚がぼそりと呟くのが聞こえた。俺も、そうとしか思えなかった。

虹が消え果て、青い空白だけが残ると、同僚は

「俺は信じるよ、竜神様」

と言い残し、ふらりとどこかへ消え去った。俺は、その後ろ姿をただ見ることしかできなかった。





 俺が再び村を訪れたのはちょうど一年後だった。プロジェクトの完遂を機に、様子を見に行くことになったからだ。

 社用車を運転しながら、ふと『竜神様』について思い出した。『竜神様』とは何だったのだろうか。 

帰る前に見たあの虹は、村の真ん中に流れる川のしぶきだろう、と帰ってから推測を立てたが、説明できない部分が多い。そもそも、川のしぶきであんなに巨大な虹ができるはずがない。しかし、虹を作りうる水源は、川しかない。

 あの時失踪した同僚はまだ見つかっていない。連絡も取れない。彼は『竜神様』に何をされたのか、皆目見当もつかない。でも、生きているとしたら『竜神様』を、未だに信じていることだろう。

 そんなことを考えているうちに、俺は、かつての村についていた。プロジェクトの様子を一望するため、高台へと車を走らせる。

 坂道を上っている間、一つだけ、確かなことに気付いた。それは、『竜神様』は、我々に危害を加えることは無い、ということだ。確かに我々は神社も、村の自然も壊した。しかし、『竜神様』は我々に危害を加えない。


なぜなら


 車は高台の頂上に着いた。車を飛び出すと、我々の地道な努力にふさわしい、完璧な景色が広がっていた。

 地平線まで続く、ソーラーパネルの黒い畑。あまりの壮大さにため息が漏れ出る。この地域をこのように開発することで、我々は日本の電力の全てをまかなえるようになった。

 『竜神様』は、こんなエコロジーなことをする我々に腹を立てることなんてしないだろう。それに、仮に『竜神様』が怒っていたとして、何ができるのだろう。氾濫させる川も、波を起こすための海も、埋め立てられて使えないのだから。

 俺は、黒い畑を見ながらとてつもなく満足していた。それは、あの日、虹を見たときには決してなかったものだった。

 空を見上げると、当然、虹はそこにはなく、さんさんと太陽が輝いているだけだった。そんな恵みの空と、黒い畑を、俺は時間を忘れて見入っていた。

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