つないだ手、のぼる朝日
私は吉永さんを遮るように、彼の前に立った。
吉永さんは二年前と違い、ツイードの上下にクレリックシャツといったカジュアルな出で立ちだった。
「驚いた……高橋さん」
「ご無沙汰しています。吉永さん」
「お元気そうで」
「偶然ですね、と言いたいところなんですけど、偶然じゃないんです」
「と、おっしゃいますと?」
「私、ずっと探してたんです。吉永さんを」
「もう二年になりますか。あの秘密の仕事から」
「お話があるんです。その事で」
「そのお話は、もうやめませんか……もう、終わったことですし」
「終わったこと?」
吉永さんは少し寂しげに言った。
「旦那様は、亡くなりました。安らかな最期でした」
私は、ふ、と息をついて言い返した。
「嘘ですね」
「嘘ではありません。旦那様はもうこの世には……」
反論し掛けた吉永さんの手を、私は勝手に掴んで握った。知っている手。頼もしい大きな手。私の仮説は証明された。
「そう。旦那様なんて人は、最初からこの世には存在しない。私を雇い、私と手を繋いで眠っていたのはあなた。吉永さん自身だから」
吉永さんは驚き、息を飲んで
「そして、奥様を亡くし、傷付いて、助けを求めていたのも」
吉永さんは
そして深く溜息をついた。
「……いつ、気が付かれたのです?」
「二人で逃げた最後の夜です。
あなたは窓をノックした。あのノックは、叩く場所こそ違っていたけれど、毎晩きいていた旦那様のノックとリズムも強さも全く同じだった。
あなたは私の手を取って走った。手袋越しだったけど、私にとっては覚えのある手だった。
あなたは秘密のアルバイトの事情を説明してくれた。旦那様が左手を奥様と繋いでいたなんて、執事にしてもちょっと事情に踏み込みすぎていませんか。私が毎晩差し出されていたのも、確かに左手だった。
それがずっと、私の中で引っ掛かっていました。
そして今日、たった今。手袋をしてないあなたの左手をこうして握って、私のこの二年間の疑問は確信に変わった。
旦那様なんて存在しない。この手。私が繋いで握っていたこの手の持ち主は、吉永さん自身なんだと」
「姪は友人に恵まれたな……賢いお嬢さんだ。それに行動力もある。で、どうします? あなたを騙していた私は、どうやってその罪を償えばいい?」
私の眼から、一筋、涙が流れた。
「高橋……さん?」
「おやつれになりましたね。それに
「染めるのをやめただけです。執事の振りをする必要もなくなりましたから」
「満足に眠れていないんでしょう? あれからも」
「…………」
吉永さんは黙った。
「お手伝いをさせてください。あなたの隣で。あなたの眠るお手伝いを」
「高橋さん……」
「結婚とか、お金とか、そういうのじゃなくて、あの時のようにあなたの眠るお手伝いを。私は、またあなたと手を繋ぎたい。私は、あなたにまた、ぐっすりと深く眠ってほしい」
上手く言葉にはできなかった。
けど、それは私の本心で、私が心からやりたいことだった。
溢れる感情の種類を私自身なんだか特定できないでいた。流れ続ける涙の意味も。
ただそれでも胸は詰まり、ただ、涙は流れた。
そんな私の手、空いているもう片方の手を、吉永さんの手が柔らかく掴んだ。
「ありがとう。高橋さん。あなたに出会えた私は、本当に幸せだ」
吉永さんは微笑んだ。
「私も……私もです」
夕暮れの美術館のロビー。
日は暮れかけていたけれど、私たち二人の胸には、爽やかな朝の明るい朝日が今まさにのぼり始めたところだった。
つないだ手、のぼる朝日 木船田ヒロマル @hiromaru712
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