おわりに

 原作との相違点として、アニメはスノーホワイトの物語として打ち出されていました。華乃から小雪視点に改変されてるのは1話で述べた通りですし、毎回何かしらの形で出番がありました。ただ、それでわかったのは何かって言うと、この子は映像向きの主人公じゃないってことです。


 というのも、この子は基本的に行動しないんですね。行動主義のメディアでは致命的な弱点です。原作では、殺し合いに戸惑う一般人という視点から内面が描写されていたので感情移入しやすかったのですが、アニメではそのあたりの機微は表現しづらい。


 このあたり、わかりやすくしようと思ったら、エヴァのシンジみたいにするしかない。どういうことかって言うと、ダメな方向に行動力を発揮させるんですね。つまり、思いっきり逃げ回れと。「嫌だ」とはっきり主張しろと。その点、シンジってのはアンチヒーローではあるけど、とても映像的な主人公なんですね。逆に、いよいよ引きこもって映像的なことができなくなると、最後の2話みたいなことになるわけです。


 我らの主人公に話を戻しましょう。スノーホワイトだって何も行動しないわけじゃないんですよね。8話ではアリスとともにメアリが暴れる現場に駆けつけている。「会いたくないな」から「そうだね」の流れはかっこいいですよね。


 ただ、人助けの意義や重みっていうのは、作劇上、具体的な形では表現されないわけです。スノーホワイトが好むような、人助けが主体の魔法少女ものならば、助けられる側との交流が少なからず描かれるのでしょうが、まほいくはそうではない。助けられる人はあくまでモブの域を出ないんですね。唯一の例外がアリスですが、アニメでは「彼女の死によって立ち直るスノーホワイト」というドラマ性が後退したため、やはり感情移入は難しい。それよりは、誰の目にも明らかな悪と戦うリップルの方がよっぽど感情移入しやすいんですね。


 そもそもスノーホワイトの役回りは何かって言うと、アイドルなんですよ。それと同時に魔法少女のシンボルでもある。これは、原作冒頭に象徴的で、スノーホワイトはまず亜子という第三者の目を通して描かれるんですね。困ってるところに颯爽と現れて、一緒に地を這って探し物を手伝ってくれる――そういう模範的なTHE魔法少女として登場するんです。この時点でもう象徴化されているんですね。


 キャンディー競争においても常にトップを独走している。これはアニメの台詞ですが、「最も魔法少女らしい」んです。であればこそ、他の魔法少女に目をつけられ、狙われる。スノーホワイトという魔法少女の象徴が存在を脅かされるわけですね。これは、作中における、魔法少女という概念の意味合いが変わってしまったことの暗喩なんです。


 決定的なのはリップルと対面するシーンです。あのシーンは、スノーホワイトがいることによって、「魔法少女としての道を踏み外すリップル」というニュアンスが明示されているのですね。そして、この期に及んで「理想の魔法少女」たることの虚しさを浮かび上がらせている。言うなれば、スノーホワイトというのは、この作品が持つ、魔法少女ものとしての自意識の顕れなんです。


 ですから、スノーホワイトはたしかに物語の中心にいるんですが、彼女自身が主体的に行動できるような役回りではないのですね。重要なのはむしろ、魔法少女の象徴たる彼女に対して、誰が何をするかってことなんです。


 そんな彼女が最後には「小さな親切じゃ何も変わらない」とこれまでの自分を否定し、秘かに集めていた憧れを裏切るようにして戦う魔法少女になってしまう。ハードな現実を前に、魔法少女という概念がいよいよ決定的に変わってしまうんですね。それがスノーホワイトという象徴を用いて描かれている。『ブルー・ローズ』っていう、私立探偵というアイコンを用いてハードボイルドが途中からノワールに転調してしまう……そうならざるを得ない必然性を描いた小説があるんですけど、それに近いものがあると思います。


 しかも、その「現実」を設定したのが、刺激的な見世物を求める観客/興行主というのが批評的ですよね。言うなれば、まほいくというのはポストまどマギの魔法少女もののありようっていうのを、偉大な先行作からわずか1年にして、早々と自己言及的に取り込んだ作品なんですよ。それが発表から4年後にようやくアニメ化して、その間に放送された『幻影ヲ駆ケル太陽』だとか『結城友奈は勇者である』といったポストまどマギの作品群を総括するような内容になってるのがおもしろいところです。


 アニメの1話アバンっていうのは、さしづめ、まどマギショックの象徴なんですね。この作品はそれ以降の作品なんだと印象付けている。そして、理想の魔法少女を目指す少女の物語が幕を開ける。その夢はやがて血生臭い現実を前に挫折し、ある幼女を道連れにとうとう息絶える。魔法少女という概念が決定的に変わってしまう。ただ、だからといってすべての魔法少女ものがそうなるべきだと言ってるわけではないんですね。それが、物語を締めくくるようにしてリフレインされる「それでも私は夢見てる」という独白だと思います。



 人は現実にしか生きられない

 けど夢を見ずに生きるのが全てとは思いたくないのよ

  城平京原作/水野英多画『スパイラル~推理の絆~』15巻より



 余談ですけど、スノーホワイトは原作の2作目以降もアイドルをやってるんですよ。というか、勝手にアイドルにされてしまう。つくづく、そういう体質なんですね。一方的に「理想の魔法少女」像を押し付けてくるプロデューサー気取りの髪フェチ先輩魔法少女をはじめとして、勝手に同志やライバルと見立ててくる「厄介」たちが続々と現れる。スノーホワイトはその都度、塩対応でいなす、というのがお約束になっています。



 しかし、長くなりました。まさか3万字を越えようとは夢にも……これにかかりっきりだったせいで、今年(2017年)の秋アニメにほとんど手を付けられてなかったりします。小説を書くよりは楽だろうと思っていたのですが、あにはからんや、他人の物語とがっつり向き合ってそこに描かれているものを言語化するという作業は、言うなれば、物語を自分の言葉で語り直すということであり、これは創作と何ら変わることがない、面倒なことに手を付けてしまったものだと己の浅慮を何度も呪ったものです。実際、小説だってこれより長い話はほとんど書いたことがなかったりします。


 断定口調でいろいろと書いてきましたが、これはあくまでわたしの「まほいく」です。一種の二次創作だと思ってくださってけっこうです。余白の多い物語ですから、ファンの数だけ解釈はあるでしょう。最後まで読んでくださった奇特な読者様が存在するものと仮定して、この長文が、皆様のまほいくに多少なりとも波紋を投げかけられれば幸いです。わたしのまほいくが皆様のまほいくと響き合って、また新しいまほいくが生まれること。それ以上に報われることはありません。

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アニメ『魔法少女育成計画』全話レビューショートver 戸松秋茄子 @Tomatsu_A_Tick

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