第12話「File not found」

 11話同様、1話との対比、アニメオリジナルのシーンが目立つ構成になっています。戦闘も原作ではほとんど一瞬で決着が着いちゃうんですよ。間を持たせるのに苦心した痕跡が窺えますが、戦闘シーンは最終回にふさわしい見ごたえだったと思います。これはスイムスイムのおかげかな。潜る/飛びかかるという、静と動がはっきりしてますから、そのメリハリさえ押さえれば見られるものになるんですよね。背中から倒れ込んで地面に潜ったりと、ハッタリを利かせる余地もある。「魔法少女を殺し慣れてるぽん」とはその通りで、「ラルケ、おまえも慣れてきたな」と偉そうに感心したりしました。正面からの切った貼ったはやっぱり動画にうまい人がいないとどうしようもないんでしょうね。


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 まず注目したいのがスノーホワイトの挙動です。人助けシーンに象徴的なように(鍵を拾う。車を持ちあげる。おばあさんを抱え上げる。猫を抱きかかえる)この人は基本的に「拾う」ヒロインなんですが、この回ではマジカルフォンを投げる投げる(笑)。そして、最後、リップルに拾われる、手を取って引っ張り上げてもらうという立場に変わってしまうんですね。ここに彼女の変化が端的に表現されている。


 7話で述べたように、リップルの物語は、フィルム・ノワール的ジレンマの物語なんです。まほいくも暴力を宿命づけられたジャンルだからなんですね。作中で提示される問題は基本的に暴力でしか解決できない。


 リップルが戦うことになるのはメアリとスイムスイム。悪い母親と悪い子供なんです。母親だけならわかりやすいですよね。母殺しの物語ならありふれてます。ヘンゼルとグレーテルなんかがそうですよね。童話に出てくる魔女っていうのは母親のネガティブな側面の投影なんです。グレーテルが魔女を窯に放り込みますけど、あれは象徴的な母殺しなわけですね。


 まほいくもそれに近いことが起こりますよね。悪い母を殺したらもう一方の母も死んでしまうという。つまりトップスピードのことなんですが。ただ、ヘンゼルとグレーテルの母親が子供を捨てたのに対して、トップスピードはこれから親になろうとしてる、その子供のためにせめて半年は生き延びたいと考えてる、いわばいい母なわけです。それが悪い母と一緒に死んでしまう。


 ですから、メアリ殺しっていうのは必要な通過儀礼だったのかもしれませんが、けっきょく、それを暴力で成し遂げてしまったことの責めを負うわけですね。リップルはトップスピードに対してひどい態度を取ってきたわけです。ですから、スイムスイムに対してあれだけ復讐心を燃やすのは自分を投影してるからなんです。トップスピードにひどいことをした自分を。


 親殺しというのは、内なる「親」という権威を殺して対等な人間になることです。依存するのでもなく、いたずらに反発するのでもなく、独立した人格として互いに尊重し合うという、まあある種の理想ですよね。反抗期っていうのはそういうもの。興味深いのは、ここでリップルがそれまで反発していた二人の親――トップスピードとメアリの遺品を装備して戦いに赴いているところです。だから、この段階で親とのわだかまりってのは解消されてることが示唆されてるんですね。残された問題は一つ。内なる暴力です。


 だから、今度は暴力的な自分――その象徴としてのスイムスイムを殺さないといけないんですが、それもやっぱり暴力を以て成し遂げるしかないという矛盾があるんですね。しかも、妊婦の仇で子供を殺すという皮肉にもなってるわけです。復讐のつもりだったのに、結果的にメアリ殺しと合わせてスイムスイムの「母子殺し」を疑似的に追体験させられてしまう。ですから、リップルとスイムスイムっていうのは本当に鏡像のような存在なんです。だから、最後に視界が血でふさがれるっていうシンクロニシティが起こる。


 とにかく、そういう矛盾を経て、さらにその落とし前をつけて、ようやくリップルは普通に、「舌打ちしない魔法少女」になれるっていう、そういうとんでもない話がまほいくです。何も選べず流されたスノーホワイトに対して、端から正解がない選択肢の中から自分の道を選んだのがリップルなんですね。フィルム・ノワールは主人公が最終的に死んじゃう場合も少なくないんですが、生きるなら生きるで死に匹敵するだけの落とし前をつけなければならないんです。


 ここで注目すべきが、彼女が腕を失っていることです。こっちのバージョンは画像がないのであんまり触れてこれなかったんですが、この作品は徹底して手や腕に注目した演出をしてるんですね。スノーホワイトの何かを拾うという動作。リップルの投げるという動作。シスターナナの他人の手を取るという動作。スノーホワイトとラ・ピュセルの手を重ねる動作。などなど。


 ウィンタープリズン死亡回で、心臓を刺されたときではなく、腕を失ったときに死を感じるというポエジーがあると書きましたが、この作品ではそれも当然なんです。腕や手に注目した演出を重ねることで、それを失う重みを強調してるんですね。


 だから、最後、リップルは腕を失ったことで疑似的な死を経験する。腕の喪失が疑似的な死と位置付けられることで本当に死ぬことなく、落とし前をつけられた。「舌打ちしない魔法少女」に生まれ変わることができたんですね。


 そして、ラストシーン。「拾う」ヒロインだったスノーホワイトが「投げる」ヒロインだったリップルに拾われる。ここに両者のドラマの帰結が、凝縮されているわけです。これは当然、1話の、スノーホワイトとラ・ピュセルが握手するシーンとの対比であり、シスナーナナの手を振り払い、相方トップスピードとのハイタッチもし損ねたリップルがとうとう他人の手を取るというカタルシスがあるシーンでもあります。

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