花街の妖魔女・02




 ◇◇◇◇



「暑いぃ………ダルいぃ………」



(今日はこれから何して過ごそうか)



 ユリィは寝台へごろんと寝転んだ。



 昼夜真逆の生活を送っている妓楼の女たちだが、時と場合によっては朝から起きていることもある。


 前夜に客をとれなかったり、貴重な休みがもらえた場合だったり。



 ユリィには昨夜「占売り」を求める客が来なかった。



 客が来ない夜はなんとなく勘でわかるので、いつもより早く寝てしまったのだ。


 そのせいか、今朝は仕事を終えた妓女たちが眠りに入る時間に目覚めた。



 だが結局は熱による倦怠感と、嫌な感じのする「気」のおかげでダラダラ過ごし、気付けばもうすぐ昼になる。



 下働きに頼めば昼食を作ってもらえる。



 一人分なら厨房を借りて自分で作ることもあるが………。




「お腹すいてないしなぁ」



 腹ペコなのは〈貘〉だから。



 ユリィの妖力の中に棲んでいる幻獣〈貘〉は腹が減ると熱を放出させてユリィに知らせる。


 催促するのだ。




 最後に悪夢を食べさせてから、もうかれこれ三ヶ月になる。



 その間、悪夢とまではいかないが、「陰気持ち」のお客から〈気鬱〉や〈邪気〉や〈忘れたい記憶〉などをちょこちょこと食べさせていた。

 けれどそんなのは貘にとってはおやつ代わりのようなものだ。



(三ヶ月って、今までで一番長いかも)



 ………ふむ。


 これ以上喰わせないのはマズい。


 本気で考えてやらなければ。



 ユリィの身体もそろそろ限界だった。



「茹だっちゃう………」



 外へ出かけて「悪夢持ち」を探してもいいが、今日は外へ出ない方がいいという予感が強い。




 どうしようかなぁ、と大きな欠伸をしながら団扇うちわをパタパタさせていると、




 ───コンコン。



 部屋の扉を叩く音がした。



「ユリィ姐さま」



 声は童女のものだった。



「どうぞ」



 寝転んだまま返事をして視線だけ扉に向けた。



 すると見習い童女禿がひょっこりと顔を覗かせて言った。



蓮李レンリ様がお呼びです」



「わかったわ。着替えてから行くと言っておいて」



 禿は丁寧にお辞儀をすると扉を閉めた。




(こんな時間から何だろ)




「………あーあ。なんか着なくちゃ」




 ユリィはのろのろと起きて身支度を始めた。



 ***



「えぇ~っ、林杏リンシンの代役 ⁉」



 蓮李の部屋でユリィは顔を顰めた。




「腹こわして寝込んじまったんだ、仕方ないだろ」




 林杏はユリィと同い年の妓女だ。


 赤ん坊の頃から華睡館で暮らすユリィと違い、林杏は六つのときにここへ来た。



 実家が貧しく両親が相次いで病で亡くなったと同時に親戚は林杏を妓楼へ売ったのだ。


 両親が残した借金の肩代わりに。



 林杏と同じような身の上で妓女になった娘など、花街の中では珍しくもない。



 花街から逃げ出すことはできないが、こんな場所でも高みを目指すことは可能だ。


 稼ぎがよくなれば身請け話もでてくる。



 林杏は歌舞が上手く声も美しいので、彼女の歌だけを聴きに来る客もいる。



 最近ご贔屓客が増えた林杏には貢ぎ物も多く、中でも林杏が大好きな菓子類はどれも高級品だった。


 中には舶来品の珍しい生菓子まであり、蓮李の話では、もったいないから少しずつ食べていたという貢ぎ物の生菓子にあたったらしい。




「………まったく、林杏ったら。この前占ってあげたとき「食災の相」が出たから気をつけるようにって言ったばかりなのに」




 特にこの時季の食べ物は傷みやすい。



 幸いにも症状は軽く、少しずつ回復に向かっていると聞いて、ユリィはホッとした。





「最近指名も多くて忙しくしてたから、しばらく休ませてもいいと思ってね。で、あんたの出番ってわけ」



 蓮李は笑みながら煙管キセルをふいた。


 ゆるゆると上る煙の向こう側に座る蓮李は五十を過ぎた年齢だというのに肌の色艶も良く、その容姿は若々しい。


 実年齢よりかなり若く見られることが自慢のようだ。



 ユリィが物心ついた頃からそれほど老いてないように思える。



 昔一度、その美を保つ秘訣は何かと聞いたことがある。



 返ってきた答えは『お金と男と恋』そして………


 妖力のおかげだと言ったのだ。



 嘘か誠か。


 恐ろしい返事である。




「なんで私? 林杏の代わりなら他にもいるでしょ」




「他の子まで宴に出してどうする。

 店を貸し切るならともかく、夜になれば別の客だって来る。

 そのお客用にもちゃんと使える子は控えさせておかないとね」



「あっそ。んじゃ、せいぜい盃の係りに徹することにするよ」



「何言ってんの。舞くらい踊りな」



「はぁ⁉」




 ───冗談でしょ!



 自慢じゃないが歌舞も詩歌も二胡も苦手なのだ。



 それに占売り専門なので芸事の練習もかなりサボっている。



 きっと蓮李はそれを知っていて言ってるのだ。




「芸も色も売らないのはあんたの勝手だけどね、ここで暮らしてる限りはあんたも妓女なんだよ。それに、日頃の鍛錬がなってないから、いざというときに慌てることになんのさ。

 昼飯食ったら蓮李さまが直々に指導してあげようかねぇ」




「えぇッ⁉」




 ユリィはおもいきり嫌な顔をした。




「なんだい、可愛くないねぇ。嫌なら日頃から怠けるんじゃないよ」




「舞は姐さんたちので充分じゃん。なんで私まで………」




 仏頂面で呟くユリィを、蓮李は面白そうに見つめて言った。




「あんただって一応ここの売れっ子なんだよ。その気になれば色で稼げる素質もあるくせに。こんなときくらい目立たなくてどうすんだい。………それに、随分と腹空かしてんじゃないのかい、あんたのそれ」




 ───どきっ。




「あんたが来ただけでさぁ、なんだかこの部屋の体感温度上がった気がするんだけど? ………奴の腹を満たせる客が必要なんだろぉ ?」




 ───むぅ………。





 養母でもあり、同じ妖力持ちの蓮李には全てお見通しのようである。












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