第7話 信仰

 この世界に来て1週間。俺は初めて休みをもらった。

 謁見に来る信者の数は減るどころかむしろ増えている。開祖が再臨したというニュースが大陸中に広がり、各地の熱心な信者が続々とこの街に到着した為だ。かと言って、じゃあわざわざ遠くから来てもらった人に悪いので会いましょうとするといつまで経っても休みが取れない。座ってニコニコしているだけだから体力的には問題無いが、色んな人と次々に会うというのは精神的に疲れるものだ。それに俺が休まないとリンネもクレイさんも休んでくれない。


 休みをもらった理由はもう1つある。普段は謁見の間と自室を行き来する生活なので、大聖堂の他の部屋がどうなっているかを俺はほとんど知らない。昨日リンネが治療を行なっていた祈りの間と、あとはトイレと浴場が今の所俺の異世界での生活の全てだ。

 窓から中世ヨーロッパ風の街並みを見る事くらいは出来るが、表に出るとパニックになるというので外出にはそれ相応の準備が必要。ならばせめて大聖堂内の部屋くらいは知っておきたい。


「ここが厨房です。司祭見習いの女の子達が、私達の食事を作ってくれています。炊き出しを行う時などは私も手伝いますよ」

 と、リンネが言う。休みを与えると言いつつ結局案内してもらっているが、どうしてもという希望なのだ。護衛のサリファもついてきているし、この立場になると完全に息を抜く事は出来ないのかもしれない。

「この長い廊下の先がタロー様が再臨された顕彰の間です。タロー教信者にとって特に重要な儀式が執り行われます」

 まだたった1週間前の事なのに、もう随分と長い間ここにいる気がする。やはり忘れているだけで、俺は1度この世界に来た事があるんだろうか。

「この階段を上りますと、伝心室です」

「伝心室?」

「伝心の魔法を使って離れた場所と情報の交換を行っています。ご覧になられますか?」

 そういえば、この世界では電話の代わりに魔法で通信が行われていると聞いていた。ちょっと興味がある。見てみよう。


 その部屋は、中心に大きな魔法陣が描かれ、その周りをアーチ状の机が囲んでいた。席には司祭用のローブを着た方達が20人ほど座っている。皆一様に右手には羽根ペン、左手には杖を持って、忙しなく動かす。中心の魔法陣から光を帯びた文字が湧き出ていて、それを手に持った杖をくるくる回しながら手繰り寄せ、文字を読んで紙に書き写しているようだ。


「あの中心部にある魔法陣がこの聖グレンステア大聖堂の場所を示しています。あそこに向かって伝心の魔法を使うと、言葉が魔力に形を変えて空気中を飛び、どれだけ離れていても辿りつくんです。ただ、信仰の力が弱いと途切れ途切れになってしまったり、つくまでに時間がかかったりします」

 神々の国で言う電波の役割を魔法がこなしているという訳だ。


「おお、これはこれはタロー様ではないですか。今日はお休みと聞きましたが何故こんな所に?」

 部屋の奥にいたのはザルタリだった。正直、嫌な奴に会っちまったな、と思ったが流石に態度には出さない。ザルタリが大声で言ったので、仕事に集中していた司祭の方たちも一斉にこっちを見た。

「リンネに大聖堂の中を案内してもらっていました」

「ほう、そうですか。リンネ様との仲が良い様子を見ると私はてっきり逢引きでもされているのかと……あ、これは失礼をしました。私の愚かな勘ぐりをお許し下さい」

 一体何が言いたいんだ、こいつは。リンネもどう返していいやら困っている。すると、ザルタリは周りでこちらを見ていた祭司達に向かって高圧的に言い放った。

「何をぼさっとしている。タロー様がお見えになったからといって手を休めて良いとは言っていないぞ!」

 祝福の時もそうだったが、どうもこの人は俺に対して敵対心を持っている気がする。どうしてこんな嫌な感じの人が主教まで出世したのか不思議だが、神々の国でも似たような状況は良く目にした。


「仕事の邪魔をしてもアレなんで、僕達はそろそろ……」

 さっさと退散しよう。伝心の魔法についてはちょっと気になる所もあるが、この人と会話するのはせっかくの休みにストレスだ。

 その時、1人の司祭が声をあげた。「主教様! 緊急の『派兵要請』が……」一瞬鬱陶しそうな表情を見せたザルタリだったが、すぐに俺とリンネに向かって作り笑いを見せて、報告をした司祭の下に行った。


「派兵要請って?」

 気になったのでリンネに尋ねてみる。

「兵を貸してくれないかという依頼です。ご存知の通り聖騎士団は教会の下部組織ですので、例えば魔物に襲われた村などが、地元の兵力では太刀打ち出来ないとなればここに派兵要請が飛んできます」

「聖騎士達はあまり地方にいないのか?」

「場所によりますね。ここに要請が来るという事は、元々数が少なかったか、あるいは……」

 会話の途中でザルタリが戻ってきた。来なくていいのに。

「いやはや失礼しました。それで、これからお2人はどこへ……」

「決めてない、ですけど……ていうか派兵要請は良いんですか?」

 戻ってくるやいなや世間話を始めようとするザルタリに、俺は驚き気味に尋ねる。

「ああ。来たのはゾンデ村という寄進をしていない小さな村からでしたので、大切な聖騎士様達を向かわせる訳にはいきませんよ」

 ははは、と笑っている。


 俺はリンネの顔を見る。再びザルタリの方を見る。

「それって助けに行かないって事ですか?」

「ええ。そういう事になります。寄進が無いですから」

「寄進……?」

「我らがタロー教会に対する寄付ですよ。信仰の証として、信者ならば誰しもが納めるべき物です。それをゾンデ村の方たちは怠っていたようなので、魔物に襲われるのは自業自得という物です。これを機に、魔物から逃げられた者達だけでも考えを改めてくれると良いのですがね」


 流石にこれは、一言物申しておいた方が良いだろう。


「ちょっとそれは酷すぎるんじゃないですか? きっとその村には子供や病人だっていますよね。その人達は黙って死ねって事ですか?」

 ザルタリは張り付いたような笑顔でこっちを見たまま黙っている。俺は続ける。

「聖騎士達は沢山いるじゃないですか。行って助けられるなら行った方が……」

「そうは仰られますが、寄進の方が無い事には……」

 寄進寄進うるせえな、こいつ。段々腹たってきた。だが、このまま問答を続けていても埒があかなそうだ。こうなると頼りになるのはリンネしかいない。聖女ならば、どうにかこの目の前の金の亡者を黙らせる方法を思いつくはずだ。


「リンネはどう思う?」


 問いの答えを聞いた瞬間、俺の足元がぐらりと傾いた。


「こればかりは、やはり信仰が足りなかったと言うしか無いと思います」


 え?


「それって……助けない、って事か?」

「タロー教の信者として、寄進は信仰の証です。一般信者の義務でもあります」

「待て。じゃあタロー教信者じゃない人間は? 当然この世界にもいるよな?」

「異教徒に生きる価値はありません」


 しばらくの間、俺は言葉を失った。


 確かに、今日まで俺はこの大聖堂の中でずっと暮らしてきたし、リンネはタロー教信者に対してまさに聖女の如き優しさを発揮している。何度も見てきた。特に俺の事は病的なまでに崇拝してくれているし、自らの力を正しく扱っている。だから俺はリンネを「良い人」だと思ってきた。いや実際、今この瞬間まで、彼女はきっと「良い人」だったんだろう。間違いない。


 信仰。

 その言葉は、俺が1人で抱えるにはあまりにも重い。

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