第3話 命令
聖グレンステア大聖堂。総大理石の荘厳な造りで、その敷地はまだ正確には把握していないが広大。両脇に立った2本の尖塔と、その間にある屋根は数多のアーチで構築されている。元いた世界では確かゴシック調とか言ったが、ここで何と呼ばれているのかは分からない。品格があるというか権威の象徴というかそんな感じの建物で、天井は野球出来る程に高い。
その中心、模様の入った絨毯のある間、身長の3倍くらいの高さの背もたれがある椅子に俺は座らされていた。服も帽子もクレイさんからもらった物で、醤油こぼしたら一発でアウトの真っ白な生地には、目立ち過ぎない程度に金の刺繍が施してある。
そんな場所で、一体俺は何をしているのかというと、次から次へとやってくる人達に向かって挨拶していた。今日はかれこれもう8時間くらいになる。まだまだ長蛇の列は消えず、消化するのに一体あとどれくらいかかるのかは見当もつかない。しかもこれが既に3日も続いている。
「おお、何と神々しいお姿。お目にかかる事を心待ちにしておりました」
「タロー様が再臨された時代を共に生きられる事、この上ない幸福です」
「タロー様万歳! タロー様万歳! タロー様万歳! タロー様万歳!」
俺の前に来た人達は、跪き、両手を組んで祈り、何度も仰ぎ、涙し、鼻水も出し、歌にして、贈り物を預け、感謝し、謝罪し、興奮し、訳が分からないまま時間が過ぎていった。
やたらと敬われている事自体は正直悪い気はしない。言うまでもなく、今までここまで誰かに褒められたり尊敬されたりした事など人生で無かった。ただ、俺はあまりにもこの世界に対して無知なので、下手な事を言えないという恐れもあり、謁見の際はただ黙ってにこにこしている時間がほとんどだった。
すぐ側にはクレイさんがいて、更にその周りを輝く鎧を着た聖騎士の皆様が固めている為、安全面という意味では不安は無いが、流石に疲れた。そんな様子を察してか、クレイさんが切り上げを提案してくれた。
「あ、いや、今並んでいる方だけでも今日中にお会いします」
じゃないと、どうせ結局明日この人達が来るし、また並んでもらうのも悪いし。
するとまた嗚咽が聞こえてきた。その主はやはりこの人、クレイさん。
「タロー様、慈悲深きそのお言葉、私は心の底から感動しております」
2日間一緒にいて分かったが、このおっさんの涙腺はガバガバだ。最初はリンネも「父が泣いているのを初めて見ました」と驚いていたが、今となっては日常になったのか何も言わなくなってしまった。俺が何か言う度に心の底から感動しているので、ただ底が人より浅いだけなんじゃないかと疑いたくもなる。
この数日で分かった事をいくつかまとめてみよう。
まず最初に、この世界には「魔法」という概念が存在する。魔法にはそれぞれ属性があり、専門に扱う職業を魔術師と呼ぶ。しかし、聖属性魔法については別名「信仰魔法」とも呼ばれ、これはタロー教の信者のみ、しかも階級が上の者ほど凄い魔法が使えるようになっているらしい。
少し気になっていたランプの中の灯りも、この聖属性魔法によって点けられた光であって、高位の聖属性魔術師、つまり俺をここに召喚もとい降臨させた主教と呼ばれる偉い方達などは、永遠に消えない光を灯す事すら可能らしい。もちろんそれだけではなく、傷や病気を癒す魔法や、身体能力を強化する魔法や、遠くの者と言葉を交わす魔法など種類は様々で、この世界における教会は現代日本で言う病院でもありスポーツジムでもあり郵便局でもあるという訳だ。
あとこれもお決まりのようではあるが、魔物という存在もいるらしい。大聖堂のあるノヴァーシュという街は聖騎士団の本部があって守りが堅く、一生魔物など見ずに人生を終える住民も多いらしいが、地方の農村などでは良く襲われているのだそうだ。その度に教会の命令によって優秀な聖騎士達を派兵して救っている。しかも俺の名の下に。広く布教されているのにはその辺の理由もありそうだ。
1日分の謁見業務を終え、食事や風呂を済ませるともう深夜。働いていた時のルーチンと大して変わらないといえばその通りだが、何もかも用意してもらえているのは素直にありがたい。ただ、人間関係に関しては相手が最大限に忖度してくれるから今の所問題は起きていないが、当然俺は聖属性魔法なんて使えないし、戦った事も無いから何も出来ない。つまり物凄く有名なだけの無能な訳だ。
今はまだ皆、会えただけで幸運の極みというモードでこちらに来るからにこにこしていればいいが、何の取り柄も無いカスだとバレると流石にヤバいのではないかと思う。失望されるのにはそこそこ慣れているが、これだけ慕われているとなると、もしそうなった時のダメージもでかい。
そんな事を考えていると、寝付けなくなった。
夜風に当たろうかと俺は寝室から廊下に出た。
「うおっ!」
不意を突かれてびっくりしたが、リンネが俺の部屋の目の前にいた。しかも体育座り。俺に気づいて立ち上がろうとしたが、かなり長い時間同じ姿勢でいたらしく、よろけてこちらにしがみついてきた。
柔らかい物が俺の腕にあたる。
「し、失礼しました!」
リンネは焦って離れようとしたが、足がガクガクしていたのが見えたので俺は支えようとする。決してやましい気持ちがある訳ではない。
元々俺の部屋の前にはこの大聖堂所属のゴリゴリの鎧を着た聖騎士が2人、護衛としてついていた。
何度もぺこぺこと頭を下げて謝るリンネを宥めて、俺は尋ねる。
「というか部屋の前で何をしてたんですか?」
「タロー様が起床されるのを待っておりました」
言われてみると、俺がここに来てからの2日。朝起きて部屋を出ると必ずリンネが立っていた。……夜中ずっとここで待っていたという事か?
「あの、そこまでされなくて大丈夫ですよ。ご自身の部屋に戻って休んで下さい」
するとリンネは少し言い辛そうにしていたが「それはタロー様のご希望ですか?」と訊き返してきたので、俺は答える。
「えっと、そうですね。身体を壊したら元も子も無いですから」
するとまたリンネはにっこり笑って、「分かりました」と言うと去っていった。
リンネの信仰心は他の信者と比べても段違いなのは分かっていたが、まさかここまでするとは。
「タロー様」
「うおっ!?」
驚いた理由は2つある。
1つ目は一部始終を見守っていた護衛のフルアーマー聖騎士が突然喋りだした事。もう1つは、その声が女の子だった事。今まで一言も喋っていなかったので気づかなかったが、どうやら鉄塊のその中身は女性のようだ。
「タロー様が任を解かれたので、リンネ様は大聖堂にいられなくなりました。それでもなおタロー様のお側にいたいという想いから、ここに座って待たれるようになったのです」
「過ぎた真似をするな、サリファ」
もう1人の聖騎士が低い声でそう言った。サリファと呼ばれた方とは違って、どうやらこちらは鎧のイメージ通りイカつい男のようだが、今はそんな事よりも、
「任を解いたというのはどういう事ですか?」
「タロー様が再臨された日、リンネにトシコと名乗るのをやめるよう命令されました。お忘れですか?」
「サリファ、やめろ」再び男の声。
確かに、俺は最初トシコと名乗っていたリンネにそれをやめてくれないかとお願いした。命令したつもりは無かったが、これだけ尊敬している人間に求められればそれは命令と同義だ。
気づくと俺はリンネを追いかける為に走り出していた。
「タロー様!」
2つの鎧が追いかけてくる。重装備の癖に足が速いが、元陸上部を舐めてもらっては困る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます