第2話 リンネ
どうやらこの世界は、俺が元いた世界とは違う、言ってみれば異世界らしい。地図を見せてもらったが、俺が知っているどの大陸の物でも無かったし、見た事のない果物や味わった事の無い飲み物が出てきた(どちらも美味しかったが)。建物や家具の感じを見るに、文明レベルは現実世界で言う中世くらいだろうか。ただ光だけは、炎が灯っている訳ではなく、もちろん蛍光灯でもなく、ランプの中が不思議に光っていた。
だが何よりも奇妙なのは、俺を崇め奉るこのタロー教の事だ。俺が死んでから1600年以上が経過しているとクレイさんは言っていたが、その間に一体何があったのか。いや、というより、俺は一体何をしたのか。聞けば聞くほどに疑問は増えた。詳しくはないが、多分現実で言うキリスト教みたいな物なのだろうし、俺自身は典型的な日本人らしく無宗教だったが、自分の名前が冠されているとなると詳しく聞く必要性が出てくる。
「聖書をご覧になりますか?」
「聖書? そんなのもあるんですか。何から何までキリストみたいだ」
「キリスト? ご友人ですか?」
決してご友人では無いけど、こうなるとある意味では教祖仲間とも言えるかもしれない。
「我々タロー教信者ならば最低1冊は必ず持っている書物です。タロー様が残された言葉や大切な文章が纏められております」
週間少年漫画雑誌くらいの分厚さがあるその本を、俺はクレイから受け取る。
一体何が書かれているのか。もしこれを書いたのが俺だとしたら、この状況を打破する為に必要な事が何かしら書かれているはずだ。緊張しつつ、1ページ目を開く。
『ぼくの なまえは にしのぎたろう です。しょーらいの ゆめは スーパーヒーロー です』
……は?
俺は一旦本を閉じ、クレイさんを見る。
「あの、すいません。本を間違えているみたいなんですけど」
「いえいえ、聖書は我々タロー教徒にとって唯一無二の絶対的存在。間違えるはずがありません」
そう断言されては俺も強くは言い返せない。再び本を開き、1ページに1行しか書かれていないそれを読む。確かに何度読んでも上の通り書いてある。そして俺はふと思い出した。
うっすらとした記憶。確か、小学校に入学したばかり。1年生の時。みんなで自分の自己紹介カードを書きましょうみたいな授業があって、自分の名前と、将来の夢とか好きな動物とかを書いたのだ。その時、確かこんなような事を書いたような気がする。
俺が再び頭を抱えていると、トシコと名乗った美少女がこう言った。
「タロー様はもっとも大切な教えを、誰にでも読めるひらがなの形で最初に残されました。これはとても偉大な事だと思います」
大切な教え? スーパーヒーローになるという漠然な事が?
あと、このトシコという少女についてはもう1つ突っ込みたい事があるが今は後回しにする。
「スーパーヒーローとは、強い者をくじき、弱者を助ける存在であると別の章で解かれています。最初の言葉も、まずは自分という存在をあるがままに認め、理想を掲げた上で物事を始めるべきだという素晴らしい教えだと思います」
えぇ……。多分小1の俺はそんな事考えず、鼻を垂らしながら適当に書いたと思うのだが、トシコの恍惚とした表情を見ているとそんな事は言い出せない。……まあいい。俺は次のページをめくる。次に飛び込んで来たのはこのタイトル。
『大勇者アキトの大冒険』
「わあーーーっ!!!」
俺は慌てて本を閉じてぶん投げる。
「ど、どうなさいましたか?」
クレイとトシコも驚いた様子で俺を気遣っている。
大勇者アキトの大冒険。それは俺がジャスト中学2年生の時にノートに書いた黒歴史ラノベだ。思い出すだけでも忌々しいが、伝説の剣と呪われた魔眼を持つアキトという主人公が、ファンタジー世界で大活躍するという話だ。言うまでもなくクソつまらん。誤字だらけだし、どっかで見た事のあるような展開ばかりだし、俺TUEEEEのド直球だし、読む価値が全く無い。しかも途中で飽きてエタってる。何故そんな爆弾級のゴミが聖書呼ばわりされているんだ。
「大勇者アキトの大冒険は人々に希望を与える物語であると同時に、予言にも満ちています。例えば、アキトが冒頭で伝説の剣スクサカリバーを抜くシーンなどは……」
「ちょちょちょ、待って! 聞きたく無い!」
俺はすがりつくようにしてクレイの口を止める。記憶の奥底に封印して鍵をかけていた物をほじくり返され、正気でいられる人間などいるだろうか。いやいない。
というかちょっと待て。これが聖書に収録されているって事は……。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが、この聖書って一体どれくらいの人達が持っているんですか?」
「先ほども申し上げましたが、タロー教徒なら誰でもです。人数で言えば……そうですね、人数で言えば500万人ほどでしょうか」
終わった。
「これは余談になりますが、歴代の偉大なる主教達が大勇者アキトについて考察し、新たなエピソードを書き、教会の認証を得た物も現在第147巻まで出版されております。つまり、それ程に幅広く愛されているという事です」
俺の黒歴史が異世界で勝手に公式アンソロ化されている。
完全に終わった。
俺は両手で顔を覆い、夢ならば早く覚めてくれと何度も願った。おお神よ、貴方は何故このような試練を私に与えるのか。決して教祖になってたこの状況を受け入れた訳ではないが、それくらいの事を嘆きたくなる。
そのまましばらく黙っていると、嗚咽が聞こえて来た。最初は俺の物かと思ったがそうではない。ゆっくり顔をあげると、クレイさんが目に涙を溜めながら、それでも背筋を伸ばしたままでこちらを見ていた。
「ど、どうしたんですか?」
クレイさんは涙を拭い、鼻をすすりながら言う。
「お見苦しい所を見せてしまいました。あのタロー様と、こうして直接お話が出来ているという事実に思わず感極まってしまいました。このような幸福を、私程度の者が与えられて良い物なのかどうか……」
大のおっさんの男泣き姿は妙に胸を締め付ける物があるが、俺は本当にそんな大した物じゃない。普通の会社員だ。……いや待て。会社員ですら無い。確かクビになったんだ。で、それから……。
再び俺は頭を抱える。
記憶が混濁している。ここに来る前、確かに俺は現代日本に暮らしていた。月の残業は80時間。スーパーの半額弁当と缶チューハイで夜露を凌ぐ日々。彼女なし。実家は田舎の布団屋。子供の頃は足が早いのが取り柄だったが、高校の時に陸上部で靭帯をやってそれからずっと帰宅部。ここまでははっきり覚えている。
だが、何らかのきっかけで会社をクビになり、それで俺は……。思い出せない。
「……タロー様、大丈夫ですか?」
トシコが俺の肩に優しく触れる。
「やはり目覚めたばかりでお疲れなのだ。しばらくお一人になりたいですか?」
クレイさんが気を遣ってくれている。
なんだかものすごく心配をかけてしまっている事に気付き、申し訳なくなった俺は気を取り直す。
「いや、大丈夫です。むしろこの世界についてもっと聞きたい。ただその前に、1つだけ聞いておきたい事があるんですが、良いですか?」
俺はトシコの方を向く。
「あの、人の名前にケチをつける気は無いんですけど、『トシコ』って実は僕の……」
「存じ上げております」と、トシコ。
「え?」
「お母様のお名前ですよね?」
西乃木俊子。マイマザー。俺は生まれた時から東京住みだったが、オカンは大阪出身で、バリバリの関西弁だった。その影響からか、俺も興奮するとたまに関西弁が出る事がある。決して大阪人をディスる訳では無いが、大らかというか器がでかいというか大雑把というか適当な性格で、風呂に入りながら風呂を洗う。
「タロー教においては信者にそれぞれ階級が存在します。そして女性司祭で最も地位の高い者は祝福を受け、偉大なる聖母から御名を戴き『トシコ』と名乗る事が許されるのです」
俺のオカンが異世界で聖母になっていた。聖書の件よりダメージは少ないが衝撃度はどっこいどっこいだ。俺はせめて丁寧な言葉を選んで告げる。
「あの、気を悪くしたらごめんなさい。母親の名前を名乗られていると違和感が凄いというか何というか。こんなに綺麗な方なのに」
トシコが頬を赤らめた。
と、こう表現してもオカンの顔がちらつく。これは実に厄介な事だ。
「その祝福というのを受ける前は何というお名前だったんですか?」
「リンネです。リンネ・ドリムロアでした」
かわいい名前だ。それでいいよ、むしろそれがいいよ。
バラ撒かれた黒歴史聖書と違って、この件ならばすぐに対処が可能だ。
「出来ればなんですけど、トシコと名乗るのはやめてもらって、元のリンネに戻ってもらっても良いですか? 何というかその、どうしても気になってしまって」
トシコ改めリンネは、にこっと笑って俺の提案を受け入れてくれた。
この時の俺は大馬鹿者だった。
名前を変える事の重大性すらロクに理解せず、リンネの優しさに知らず知らず甘えていたのだから。
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