青春の味

猫の額

青春の味

 私しかいない教室にカチコチと一定のリズムを刻むメトロノームの音が響く。

 今一度、目の前の課題曲の譜面を確認してからよしと口の中でつぶやき、手に持ったトランペットを構えた。

 メトロノームの音に合わせて息を思い切り吸い込んで手に持ったトランペットを口元へ、マウスピースに当たる唇の感触を確かめてから息を吹き込む。

 プアーと金管楽器特有の甲高い音が教室に響き渡るのを聞きながら唇を震わせ、それと同時に指を動かしていく。

自分でもお世辞にも上手いとは言えないというのはわかっている、それでも先程から何回もミスをしていた場所を上手く吹けたことに、しっかりと成長している実感をつかめて気分が高揚しその調子のまま自分のパート部分を吹いていく。

 この先ミスするようなところも無いのでこのまま落ち着いて吹けば今日はじめてとなるノーミスでのパート演奏が成功する、そんなことを頭の片隅で考えていると突如教室のスピーカーからブツリという不快な音が聞こえたと思いきや、次の瞬間には大音量で下校時間を知らせる鐘が鳴り響いた。

 それに集中を乱されて指の動きを間違え変な音が出てしまった、諦めてトランペットを口から離し時計を見上げるといつのまにか下校時間まで後20分という時間だった。

 はぁ、とため息が自然と口をついて出る、寄りにもよって上手く言ってるときに限って教室のスピーカーを切るのを忘れているだなんて。

 先程の上手くいった感触を頭の中で反芻しながらトランペットの片付けにはいる、マウスピースをはずしトランペット本体を傾けてつば抜きをしそれが終わったらクロスで簡単に拭く。

 外したマウスピースはスワブという紐のついた布で中を拭き、その後外も軽く吹いて袋型のケースに入れ、トランペット本体も帳星と私の名前が刻印された箱型ケースにしまう。

 いつもの片付けが終わったところで教室の入口がガラリと開かれる音に振り返るとそこにはポニーテールの幼馴染が立っていた。

 

あかりー、まだやってんのー?」

 

 中学以来の親友である神代玲かみしろれいが扉の付近からそんなことを言ってくる、手にはすでにスクールバッグが握られているが練習はどうしたのだろうかなどと考えながらトランペットケースを持ち上げる。


「今終わったとこ、先生は?」

「あー、高崎なら一足先に職員室、10分くらい前に部長がちょっと早いけど終わりにしましょうって」


 なるほど、玲は別にサボっていたわけじゃなかったようだ、仮に玲がサボっていたところで玲を攻める人が部活内にいるかどうかはわからないが。

玲を見るとん? といった顔で首をかしげているが私がやったら気持ち悪いであろう動作も玲がやるとその整った容姿も相まって絶妙に可愛く見える。

透き通るような綺麗な肌にバランスよくまとまった顔のパーツ、更に可愛らしい仕草によく変わる表情と羨ましくなる容姿を持つ玲、さらに容姿だけではなくアマチュアとは言え大人の楽団に誘われるほどのフルート奏者であり、かつ殆どの楽器を演奏できるほどの才能の持ち主で思いを寄せている男子も多いと聞く。

正直その容姿や才能に嫉妬しないことも無いが今となっては小学3年生から7年とちょっとの付き合いだ、もはや慣れてしまった。

それにしても先に終わっていたのなら声ぐらいかけてくれてもいいじゃないかと思う、私が一人で練習していることは玲だけじゃなくて同じくトランペットを演奏する後輩も知っていたはずなのに、そんなことを考えていると玲がいきなりあっ、と何かに気がついたように声を上げた。


「ごめん、今話してて思い出したけど私が個別練してる人たちに声かけて回ってたんだった、星のこと忘れちゃってた」


 ぺろりと舌先を出して拝んでくる玲にまあ別にいいけどさぁ、とため息混じりに返し音楽室兼部室を目指して玲と並び向かう。

 音楽室への道のりを行く間、一足先に帰りの準備が終わった後輩や先輩とすれ違いつつ挨拶を交わすが、皆揃って玲とは親しげに挨拶を交わす。

別に私が無視されているというわけではない、ちゃんと私にも挨拶をしてくれるのだが明らかに態度が違うのだ、容姿の良し悪しも多少なりともあるとは思うがそれ以外のもっと人間の根幹的なところで私と玲に違うような気がする。

 スポーツではないけれど吹奏楽は集団でやるものだ、しかしスポーツと違って練習は常に集団でやるものではない。

 先程の私のように個人で練習する場合もあれば管楽器で、弦楽器で、といった風に練習することもあり当然、そこでよく話す者同士でグループができる、グループが出来上がったら対立が起きるのも必然だ。

 玲だってフルートを吹いているのだからそういったしがらみはあるはずなのに何故か玲がそういったもので悩んでいるように見えたことがない、顔も良くて才能もある、その上コミュニケーションも優れているとなると神様は不平等だなと思うしか無い。


「ねえ星さ、青春の味って考えたことある?」


 私が頭の中で神様に呪詛の言葉を放っていると玲がわけのわからない事を質問してきた。

一瞬、私の考えていたことがバレたのかと思ったが別にそういうわけでもないようだが、意味がわからず今まで考えていたことも合わさって頭の中がごちゃっとする。


「例えば星の青春の味ってマウスピースの味なわけよ」


 私がわけのわからないという顔をしていたからか玲が例えを教えてくれる。

 私の青春の味がマウスピースの味、ということはつまり私が学校生活で普段口につけているもののことを言っているのだろうか、頭を軽く整理して玲の言いたいことをまとめる。


「えっと、つまり青春を連想させるような味ってこと?」

「そうそう、さすが星」

「うーん、考えたことなかったな……、逆に玲はどんな味?」

「私? 私のは、うーん……果物?」

「果物って、それ味じゃなくない?」


 私の質問に首を傾げてなんとなく? なんていう玲に、なにそれと苦笑し青春の味に関しての話題はここで終わる、その後は課題曲についてのことや宿題のことなどとりとめのない話に話題も移った。

 玲と話しながらふと、今も体育館でボールやチームメイト相手にコートを駆け回っているであろう彼女の青春の味はどんなものだろう、そんな事が頭をよぎった。

 やはりスポーツドリンクの味だろうか、よく飲んでるもんな~などと考えていると部室についたのでいつのもの場所にケースを戻し部室を離れる。

 部室には下校時間が迫ってることもあって備品の確認をしている部長以外は居らず部室の窓から見える窓の外、校舎から校門までをつなぐ数十メートルの道には足早に駅や駅前にあるバス停に向かう生徒で溢れていた。

 下校時間はもう過ぎているので後三十分もしないうちに校舎から生徒は消えるだろう、私も早く帰ろうと部室に残っている部長にお疲れ様ですと声をかけて部室を出ようとしたところで再び窓の外が目に入った。

 先程は気が付かなかったが下校をする生徒とはまた別に誰か人を待っているのかいくつか人の塊ができていて動く場所と動いてない場所があった、その中でも不思議な動きをしている場所があり、そこだけは人が止まって動いてを繰り返していた。

 外に設置してある掲示板の前であるその場所を見てみるとそこには一人の女子生徒が立っているのがわかり、誰だろうとその人物をよく見た瞬間にそれが誰なのかに気がつく。

 もしかして、そう思い胸ポケットにマナーモード状態で入っていたスマホを取り出して画面を確認するとそこにはラインの通知が表示されていてその送り主は今掲示板の前に立っている女子生徒、天川晴あまかわはれのものだった。

 ロックを解除して内容を見てみると『今日部活あるよね? 私も早めに終わりそうだから一緒に帰ろ』と一時間ほど前に来ていたことがわかった。


「星まだー?」

「あ、えっとごめん玲ちょっと用事できたから先帰っても……」

「ん? あー、なるほどねいいよいいよ」


 玲が私の視線を追って窓の外を見た瞬間、すべてを察したように言葉を遮ってそう言い手をひらひらと降った。


「私も天川さんに恨まれたくないしねー、それじゃまた明日」

「別に恨んだりしないと思うけど、まぁうん、ありがとう玲またね」


 私と帰れないから部長でも手伝うのか私の横を通り抜けて玲に礼を言いスマホでの返信をするのももどかしく校門まで急ぐ。

 階段を1段飛ばしで駆け下り昇降口で上履きを脱いでローファーに履き替える。

 先程よりもまばらになった校門への道のりを走ると先程窓から見た場所と同じ掲示板の前に彼女はいた。

 私よりも10cm近く身長の高い晴はスマホを眺めていて、ショートヘアーがその横顔に垂れ下がっていた、その表情は待てを命じられている大型犬のように凛々しいものがありその横顔を眺めているだけでも飽きることなく数時間を過ごせるだろう。

 横顔からでもその顔つきが整っているのがよく分かる、芸術家が細部まで拘って作ったかのように整った顔立ちに、ショートとベリーショートの中間といった黒髪も近くによってみると嫉妬するくらいにサラサラで良い匂いがする。

 顔に負けず劣らずスタイルも良い、膝上数センチまで上げられたスカートから覗くスラッと伸びる足はとても健康的でそれでいて魅惑的だし、部活で引き締まったお腹周りや腕は女の子らしい柔らかさもしっかりとあっていつまでも触っていたいほどだ。

 玲も十分に顔が整っていて人気があるが晴の人気はその上を行く、玲の人気はどちらかと言うと男子に寄っているが晴の人気は男女問わず、女子生徒の中にも思いを寄せている人が多いと玲から聞く。

 そんな人物と付き合っているというのが未だに自分でも信じられない。

 ふと、晴が顔を上げ周りを見渡すと私に気がついたのか花が咲いたようにパッと笑顔になる。

 おーいという風に手をふる晴に右手をふりかえして晴のもとまで足早に近づいた。


「ごめん晴、ラインきてるの気が付かなくて」

「いいよいいよ、私も休憩中に今日一緒に帰れるかなーって思って連絡しただけだから、もしダメそうだったらそのまま変えるつもりだったし」


 そう言いながらあははと気持ちよく笑う晴の手元を見ると握られていたスマホの画面に私とのトーク画面が表示されていた。

 気が付かなかったら申し訳ないことをするところだったなと考えほんとゴメンねと再度謝ると、いいって~と言いながら足元においてあったエナメルバッグをヨイショと肩にかける。

 その時晴からふわりとレモンのような柑橘系の匂いがした。


「晴もしかして制汗剤変えた?」

「あ、やっぱわかる? 今回は柑橘系のにしてみたんだ」


 そう言って晴がバックの中から黄色い容器に入った広く出回っている制汗剤を取り出す。

 以前使っていた制汗剤は無臭のものだったため晴の匂いがしてとても好きだったのだが本人は涼しいけど匂いがなぁ……と言っていたので今回は匂い付きのものに変えたのだろう。

 晴が新しいおもちゃを見せびらかす子供のように笑いながら中身を手に取って手の平に伸ばす。

 手の平に伸ばしただけでもスーッと通るレモンの匂いが鼻翼をくすぐるが晴の匂いがそれで上書きされると思うとあまり好きになれそうになかった。


「いい匂いなんだよ、ほら」


 私が微妙そうな表情をしていたからか晴が手に伸ばしていた制汗剤をハンドクリームを塗り込むように私の手をとって塗り込んできた。

 晴に手を握られて少し心臓が跳ねる、そんな私の気も知ってか知らずか、どう? と笑顔で聞いてくる晴にいい匂いだねと笑顔で返した。

 晴の手が離れ、残った熱を制汗剤の清涼感が奪い去っていくのを少し残念に思いながら先に歩き始めていた晴の後ろを追った。

 数歩先の晴に大股3歩で追いつきその左横につく、隣に並ぶと晴のほうが歩幅が大きいので少しゆっくり目に歩いてくれるけれど最初の頃はよく置いていかれたなと思い出す。


「何か面白いことでもあった?」

「ううん、少し前の事思い出しててさ、あ、面白いことっていえば……」


 晴に先程、玲と話した青春の味についてを話すとキョトンとした顔で青春の味? とオウム返しに聞いてきた、その顔があまりにも可愛くて普段の表情とのギャップに胸が高鳴るが表には出さないようにしっかりと記憶に焼き付けて会話を続ける。


「うん青春の味、ほら私達ってマウスピースにずっと口つけてるから私達の青春の味はマウスピースの味だぁ!って」

「なるほどー、そういうの考えたこともなかったなぁ」

「私も、玲が言わなきゃこんなこと考えもしなかったよ」


 二人してクスクスと笑いながら私は晴の顔を横から眺める。

 晴の笑顔は本当にそこだけ世界が違うように暖かくてそれを眺めているだけでこちらも太陽の光に当たっているような、それこそ名前のような「晴れ」の日のような暖かくて気持ちの良い気分になる。


「それなら私の青春の味ってなんだろうな」

「うーん、やっぱスポーツドリンクの味とか?」

「あー、確かにそうかも……あ、他にも汗の味とか」

「いっつもびちょびちょになるまでやってるもんね」

「そうなんだよー、今とかもう涼しくなってきたからいいけど数ヶ月前なんて学校に持ってくるシャツの枚数が最低でも3枚は持ってこないとやばくてさー」


 苦笑する晴に私も笑って今年も暑かったもんね、と返してポケットから普段使っているアロエをベースとしたリップクリームを取り出す。

 乾燥してきた最近は楽器を吹く身としてこれが手放せない、唇が荒れたり乾燥したりしていると音が上手く出てくれないのだ、玲なんかは乾燥しててもふけるよー、何ていいながら私のトランペットを勝手に吹いて見本を見せたりするが私には到底マネできない。


「あ、後はリップクリームの味とか」

「リップクリーム?」

「うん、星が使ってるアロエのやつ」

「これ? なんでこれが晴の青春の味……あ」


 晴の言っていることに気づいて顔が一気に熱くなる。


「~~ッ! もう!」

「あはは、星真っ赤になっちゃって可愛いなぁ、いでっ!」


 晴がにやにやとしながら私の顔を覗き込んでくるものだからつい、晴の肩を平手で強めにぶつと、ごめんごめんなんて言いながら肩をさする晴。

 ふと、喋っていて喉でも乾いたのか肩をさするのもほどほどにバッグからスポーツドリンクを取り出して残り少しだったそれをぐいっと飲み干した。

 つい、その飲み干すところ、特に唇の触れている飲み口の部分を凝視してしまい晴のその柔らかくて熱くてそれでいて優しい唇を意識してしまってまたもや顔に血が登っていく感覚に襲われまたからかわれまいとそっぽをむいた。

 そんな私にきっと苦笑したのだろう、晴が小さく笑う声が聞こえた後踏切の音が遠くから聞こえてきた。


「あ、そろそろ駅か」


 いつの間にか駅前のロータリーまで歩いてきていた、私は電車で通うよりバスのほうが家に近いため電車通学の晴とはここでお別れとなる。

 遠くで踏切の音が聞こえたということは後3分もしないうちに電車が来てしまう、東京都はいえ、大概な田舎であるここは電車の間隔が20分近くあいてしまうのでおそらく晴もこの鳴っている電車に乗って帰るだろう。


「早いなぁ……私も電車で帰るようにしたい」

「うーん、私は嬉しいけどそれだと星が大変でしょ? ほら、星の家って駅から軽く数キロはあるじゃん」

「そうだけどさぁ……」

「まぁまぁ明日も会えるしさ、今日もお風呂上がったら通話しよ?」


 そんな会話をしていると遠くから電車の走行音が聞こえてきて、そろそろ限界かなと晴に向き直って右手を上げる。


「それじゃあね」

「うん……、星」

「ん? っ……」


 いきなり上げた右手を捕まれ晴の方に引っ張られたと思いきや肩に手を添えられそのまま目の前に晴の顔が近づいてきた。

 あ、と思った瞬間には私の唇に柔らかいものが触れそこから熱が伝わってくる。

 もっと、そう思ったときにはすでに晴の顔は離れていてもう一回、そうねだろうと思ったところで、ここが公共の場であり周りにまだ帰っていない生徒がいることに気がついて先程よりも数倍、顔が熱くなった。

 そんな私を見て晴が満面の笑みで笑う。


「んふふ青春のおすそ分け、じゃあねまた明日」


そう言って駅に向かって走っていく晴の後ろ姿を眺める。

晴の熱を求めてぺろりと舌を舐めるとスポーツドリンクの甘い味とほんのりアロエが香る。

私にとってもう一つの青春の味がした。

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