柿を取る
安良巻祐介
祖父と二人、敷地の山に生っている柿を取りに行った。
早く取らんと来週には鴉に食われてしまうと脅され、銀色の剪定鋏を抽斗から出して、そろそろ肌寒くなり始めた戸外に出る。
軒先に伏せてあったビールケースを収穫用の籠として抱え、家の後ろ、崖と言うには低い崖を作っている山へ上っていく。
家を見下ろす縁のぎりぎりのところまで、柿の木の枝が伸びている。
鋏の尻の爪を外し、握りに指をかけて見上げると、白い空に影絵を作る枝の合間に、かなりの数の橙色や赤い色の実が見えた。
続けて上がって来た祖父と協力して、まずは大ざっぱに、枝ごと切り落としていく。
きれぎれの空の色を眺め、時おり刃に絡む小さな蜘蛛の家の意外な強度に驚きつつ、パチンパチンと鋏の音を響かせる。
ランプの灯を落とすように柿の木から色彩が減り、代わりにビールケースの中へと溜まっていって、三十分ほど取り続けた後、ようやく庭へ下りた。
シャツの腕に毛のように植わったくっつき草を一つずつ抓んで抜きながら、水道の前へケースを運ぶ。
ケースを傾けて葉っぱだらけの柿の実をそこらへぶちまけ、今度は枝葉を取り除いてゆくのだ。
僕と祖父とは、しゃがみ込んで黙々と鋏を動かした。
ちちちちと山の向こうで鳥が啼き、山に挟まれた海には、大きな白い船がいくつか浮かんで、のんびりと煙草をふかしている。
祖父はぽつりと、一年後の今くらいまでには、色々なことの準備を済ませておかなければならない、と呟いた。
もうあまり、日々のことに力が入らない、何だか何をしてもはっきりしない、と。
そして言った。
「早く来い、ミヤコがそう言って呼んどる」
僕は鋏を動かす手を止めた。
家の客間の隅、まだ真新しい仏壇の、骨を入れた壺の隣で、写真の祖母はいつものような優しい笑顔を見せていた。
祖母のずっと寝ていたベッドは、今は祖父の寝床になっていた。
母が心配している通りだと思った。
祖父は、世話を焼く相手がいて、その相手のために全霊を傾けて暮らして、そうやって初めて、人として生きていられる、そんな人であった。
最も多くの時間を連れ添って歩いた祖母のいなくなった今、祖父を繰っていた糸が切れてしまうのではないかと、母は何度も口にしていた。
余命を宣告された祖母の臨終までを、なるべく自分の手だけで、自分の好きなようにさせてほしいと言った祖父について、一人娘である母は、なるべくその願いを叶えてやりたいという思いと、どこか疎外されたような気持ちとを、同時に抱いていたようだった。
「婆ちゃんはそんなこと、望んでないと思う」
僕は、祖父へというよりも、自分に言い聞かせるように言った。
実際のところは、わからなかった。
祖母は誰よりも優しく愛らしい人だったが、同時に誰よりもさびしがりな人でもあった。
臨終のその日まで、祖母は、祖父の手を離したがらなかったのだ。
「とにかく、教えられるうちに…色んな事を教えとかんとな」
僕の言葉には答えず、僕の顔も見ずに、鋏を動かしながら祖父が言う。
僕も結局黙り込んで、葉を除いた柿を一つずつ、ケースの中に入れていく作業に戻った。
祖父は、僕や母が思っているよりもしっかりと、静かに、祖母の死を受け入れている。
そして同時に、僕や母が思っているよりもはっきりと、厳かに、人生の後片付けを始めようとしている。
それは、僕などにはどうしようもないことなのかもしれない。
やがて、大小様々の柿の実は、再びケースの中に一杯になった。
それは、樹の上にある時には燈火のように鮮やかに見えたのに、こうして今見ると、薄い布を一枚かけたみたいにぼやけ、少し色あせているように見えた。
切り取られた柿の葉のほうは、庭の焼き場の中にうず高く積まれて、祖父が、それへ火を付けた。
眺める僕と祖父との前に、うっすらと青白い煙が立つ。
煙は、山の方へ向かって、苦い匂いを上げながら、細く、ゆっくりと、たなびいていった。……
柿を取る 安良巻祐介 @aramaki88
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます