あまりに異様な

「リュックを運び出した人物を仮にXとしましょう。返却されなかったリュックを起きてきた先輩が見つける、それはXが最初から想定していたものでしょうか。目的が何であったとしても、その行為が寝ている間に断りなく行われたのは動きません。そして、事情が全く詳らかにされていないのも。ならば洗濯の仮定でのロジックと同様のものが適用できます。書置きか説明があってしかるべきではないですか。もちろん、リュックを移動させた理由を先輩に伏せなければならなかった可能性も捨てきれません。けれど、なにも本当の目的を打ち明ける必要などないのです。納得できるもの、それこそ洗濯しておいたとでも告げれば済む話なのです。詳細がさっぱり語られないせいで逆に怪しくなってしまっては本末転倒もいいところですよ。このことから、Xがリュックを手にした時点では、先輩の起床までに元の場所に返すはずだったのだと推察できます。何らかの事情により実行できなくなったわけです。では、その事情とは。荷物にはどこにもおかしなところは見受けられなかったので、リュック自体に異常が生じたとは考えられません。時間がなかったということもない。部屋に戻すだけなら五分とかからずにできるのですから、Xが家主なら言わずもがなです。たとえ客人が犯人であってもそれは変わりません。いつ家を出発したにせよ、リビング、それも洗濯した衣類と一緒あったのなら、リュックが持ち出されたのは家主も承知の事実だったはずです。であるなら、X本人が実行せずとも、家主に頼めばよいのです。たった一言なら、帰り際にでも伝えられますし、あるいはそれさえできなくとも後から電話を入れることはできたはずです。先輩が起きるまでに、客人の言伝通りに家主がリュックを返すチャンスは十分ありました」


 郁子香は淀みなく自身の推理を披露していた。複雑な論理があるわけでもなく、理解する速度が追いつかないほど捲し立てられているわけでもない。さして難しくない。だからこそ、俺は違和感が拭えなかった。

 前の仮説のロジックを参照することは推理においておかしな行為ではない。ただ、そのやり方が、行きつ戻りつと展開が前後しているようでスマートさに欠けるのだ。あらかじめ様々な可能性を考慮して結論が導き出されていたのならば、全体としての構成ももう少し練りこまれたものになる。真相へ至る一本の道筋があり、その枝葉を切り落とす形で別解の可能性が排除されなければならない。だというのに、どうにも彼女の語りぶりには、整理されていない印象があった。着想そのままに思考の道程を包み隠さずさらけ出しているような。


「どんな状況であればリュックを睡眠中の先輩の元へ届けられなくなるでしょう。ソファーの上に放置されていたため、リュックにまだ用があったとは考え難いです。部屋に返すまでの間、一時的に待避させておいた、そんな感じではありませんか。リュックの側に問題がないとするのなら、返す場所、つまり先輩の部屋のほうに原因があったというのはどうでしょう。先輩は深い眠りに就いていて、気づかずに戻しておくのは容易だったはずです。なら、いったいどんなものであれば部屋での問題としての条件を満たすでしょうか。想像力を逞しくしてみましょう。ドアに鍵はかかっておらず誰でも自由に出入りができました。そうです、のです。リュックが移動させられたと知らない人物が部屋にいた、そんな環境であれば、それはXにとって障害となります。返すところを目撃されれば、リュックを持ち出していたとバレてしまうのですからね。さて、この何者かはなぜ部屋にいたのかという新たな疑問が生じます。先輩の看病のため? そんなはずはありませんよね。氷嚢や濡れタオル、体温計、薬、あるいは食事、そういったものは先輩が起床したときありませんでした。ならば、なんのために部屋に。注目すべきは、謎の人物が入って来たにも関わらず先輩が目を覚まさなかった点です。Xがリュックを取りにきたとき、そして別の者の侵入、二度も出入りがあったことになります。けれど、先輩は一度も途中で起きることなく寝続けています。ここで思い出されるのが、急激な睡魔と、覚醒後の倦怠感と頭痛です。前者は風邪気味、後者は睡眠過多によるものと先輩は見当をつけました。状況を鑑みればそれなりに妥当な推測かもしれません。けれど、いくら体調が優れなかとはいっても、十二時間以上ぶっ続けで眠るなどあり得るものなのでしょうか。この不自然さは睡眠薬を盛られたためだとすれば解消できます。薬が効いてきたために激しい眠気に襲われ、そして副作用によって倦怠感と頭痛が発生。先輩は、軽食を摂っています。睡眠薬を飲ませるのは家主にならば可能だったのす。紅茶にでも混ぜられていたのでしょう。その結果、部屋への出入りが誰でもできるようになりました。家主は当然、マスターキーを所持していたでしょうから、たとえ先輩が施錠してしまってもドアを開放できました。先輩が起きていては、勝手に部屋に入ることは叶いません。家主は、睡眠薬を盛ることで、先輩の許可なく、そして悟られることなく部屋に入れる環境を整えたのです」


 郁子香は自説を垂れ流すかのように吐き出した。その妙に淡々とした口調は、どこかナレーションじみていて、俺の頭に具体的な映像が再生されていた。


 斜め上方から俯瞰するカメラが、暗くなった部屋を、赤外線によって映し出す。灰色がかったモノトーンの室内で、ベッドに横たわり寝息をたてているのは、むろん俺だ。サイドテーブルに投げ出されるように置かれたスマートフォン。まだリュックは壁際の床にある。そこへ光が差しこんで来る。ドアが開かれたのだった。室内がうっすらと明るくなり、映像がモノクロからカラーへと切り換わる。しかし、アングルと逆光のせいで侵入者の顔はわからない。それは、さながらミステリ漫画の黒塗りの犯人のようだった。謎の人物はリュックを手にし部屋を去って行く。ふたたびモノクロへ。しばらく動きはなく、俺が寝ている光景が続く。やがて、またドアが開かれる。今度は室内灯が点けられた。しかし、それでもアングルのせいで入口に立ったのが誰なのかまでは識別できない。侵入者は、俺のほうへと歩みを進め、ベッドの側で立ち止まる。それから、俺を見下ろすのだ。観察するかのように、ただただじっと。


 それは俺が想像したよりも、はるかに異様な光景だった。

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