部活のように

「それで先輩はすごすごと退散したんですか。謎を謎のまま放置して」

 郁子香に椅子の上から文字通り見下される。ミステリ読みの矜持はないのか、そう誹らんばかりの冷たいまなざしだったが、釈明の手立てなどない。俺としては「そうだが」と返すしかなかった。

「なるほど」郁子香がしたり顔で頷く。「無事帰宅できた先輩は、しばらくその家については忘れていました。ところが、時間が置いたからでしょうか。回想という形で引いて眺めてみると、渦中にあったときには見逃していたものも見えてきます。あらためて振り返った先輩は、今頃になってあれは何だったのか気になり出した。そういうことでいいのですね」


 首を縦に振ってから、他に誰もいない私室でもなのに、二人称がレイ兄から先輩になっていたなと思い至る。学校以外の場所でも先輩呼びされることはままあった。郁子香がどういうふうに使い分けているのか俺にもよく解っていないし、もしかしたら本人も感覚的に行っていて深い意図などないのかもしれない。ただ、彼女の発したの四文字は、文芸部での会話を連想させるものだった。ミステリ談義、ちょっとした謎解き、そして演説。放課後、あの中途半端な広さの教室で幾度となく耳にしきた響きが、その声に宿っているように俺には感じられた。

 謎を提示されて郁子香のミステリ脳が刺激されたのは間違いないだろう。


 しかし、それだけだろうか。こうして部屋に押しかけるのは中学以来で、同じ高校に通う幼馴染みでありながら俺たちは私生活での接点が皆無に等しかった。顔を合わせるのは部室でばかり、現在の俺にとって郁子香は部活の後輩のひとりだった。だからこそ俺は、二人きりになったとき、そこに部活のにおいを嗅ぎ取ってしまったのではないか。

ましてや、訪問の理由が理由だ。部活の延長じみた雰囲気となるのは致し方ないのかもしれない。それでも自責の念に駆られずにはいられない。別の形、それこそ昔のような気軽さで遊びに来るべきだった、もっと早くにそうしているべきだったと。

 いまさら悔やんだところで、奇妙な家のエピソードを披露してしまった以上、遅きに失していた。いくら俺が後悔しようと事態は進んでいく。もはや流れに身を任せるしかなかった。


「いつの話ですか。その家で雨宿りしたのは?」

「先週だ」

 即座に俺は反応する。推理のためには情報を詰める必要があり、質問がくるのは想定済みだ。質疑応答を何度か繰り返す展開になるだろうと予想していた。

 ところが、初手を出したきり郁子香は問いを投げかけてこなくなった。

 それは、つまり。

 すでに推理の材料は出揃っているということではないだろうか。少なくとも、応酬を打ち切るに足る推論が彼女にはあるはずだ。


「まず疑問点を整理しましょう」

 やはり郁子香の口ぶりは、確信に裏打ちされた断固としたものだった。だが、十分な検討が重ねられた素振りはなかった。熟考もなく天啓のごとく真相を突き止めるなど、名探偵、それも直観型の名探偵の所行ではないか。読書中にもメモを取ってネガポジ両方の伏線を網羅し、種々の仮説を吟味する郁子香のスタイルからは最も遠いものに思えた。


「なぜ山裾の雑木林前の何もない土地に突如として一軒家、それも新築ではない家が出現したのでしょうか。なぜ内部をリフォームされていたにも関わらず、二階部が、居住空間として用いるには不便な間取りだったのでしょうか。なぜ玄関口で家主は先輩の素性を探るような態度だったのでしょうか。なぜ家主は先輩を宿泊させようとしたのでしょうか。なぜ先輩に宛がわれたのが二階の寝室だったのでしょうか。なぜオフ会は交通の便の悪いこんな田舎で行われたのでしょうか。なぜ先輩は十二時間以上も睡眠を摂ってしまったのでしょうか。なぜリュックは二階から移動させられていたのでしょうか」


 なぜ、なぜ、なぜ、と矢継ぎ早に繰り出されるされるその言葉の羅列には、彼女の悪癖の兆候があらわれていた。興奮気味に捲し立てるオタク。他者を顧みない早口は揶揄されることもあるが、語りたいことが多くなるのはその知識量ゆえなのは否定できない。造詣が深いという自負があるからこそであり、捻れてはいても、そこにはある種の自信が滲んでいる。

 もちろん、不安なのを糊塗するために言葉を重ねた結果として早口になる場合もある。  

 しかし、目指すべき真実へと至るための道程を、自信に満ちあふれた足取りで彼女は突き進んでいる、そう俺の目には映った。


「まず考えるべきはリュックです。先輩は洗濯をしたからリビングのソファーの上にあったと結論づけましたが、はたして本当にそうなのでしょうか。家主の立場になって想像してみて下さい」

 濡れた衣類を渡したときに、リュックも洗いましょうという申し出はなかった。洗濯機の回された正確な時刻は俺の知るところではないが、その発想が出たのは俺が寝てからだ。来客たちについての説明を受けたあと、すぐに睡魔に襲われて俺はベッドに入った。その時点で、リュックの洗濯について話題にあがっていなかったのだから。


「二階へとあがった家主。洗濯をするのでリュックを持ち出すと断りを入れようにも先輩は寝ています。無言で拝借したのでしょうか。先輩が目を覚ましたときにリュックが紛失していたら盗まれたと不安になるかもしれません。実際、先輩は盗難の可能性を考慮しましたよね。勝手に移動させるのですからそうならないように、書き置きのひとつでもするのが筋でしょう。何らかの配慮をしてしかるべきです。たとえ無言で持ち去ったとしてもあとから説明はできます。けれど、そうはなっていませんでした。書き置きも事後報告もない。では、先輩が起きるまでに戻しておくつもりだった。それもおかしいですよね。ソファーの上にあったリュックは乾いていました。洗濯が終わったにも関わらず放置しておく理由がありません。衣類と一緒に先輩の部屋に運んでおけばよいのです。先に先輩が起きてしまったというのも、睡眠時間からして不自然です。家主によれば乾燥機もあるのですから、洗濯乾燥を終えるのに三時間もあれば十分だったはずです。加えて、家主は徹夜した様子だったというではないですか。リュックを返す機会はいくらでもあったはずです。リュックか書き置き、そのどちらかがなければ洗濯という仮定は成立しません」

「つまり、乾いていたのは自然乾燥だと。洗剤の香りも消臭剤だったわけだ」

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