二つの選択肢

 一時は小康状態となっていた雨足が、ぶり返したかのようにまた強くなっていた。風も吹いている。夕山風だろうか、雨雲に遮られ日中も照度がそれほどあがらなかったため、この薄暗さが日が傾き始めたからなのかいまいひとつはっきりとしない。ここ一ヶ月ほどでかなり日は長くなっていたが、カクヨム巡りと家主の話でそれなりに時が経過しているはずで、夕方になっていてもおかしくはなかった。スマートフォンの時計を確認すると、母の退勤時刻が近くなっていた。


 客人について語り終えてなお家主は室内に留まっていた。泊まるとなれば食事を一人分多く用意しないといけないので、俺の返答待ちなのかもしれない。


 帰宅か、宿泊か。

 家に帰れば購入したゲームを進められる。しかし、就寝までのたかだか数時間で何が変わるというのか。ノベルゲームなので、どれだけ多く見積もってもプレイ時間は三十時間程度だろう。一通りクリアするまではネタバレがありそうな場所には近づかないつもりだ。もうカクヨムを開いてしまったので完全なネット断ちとはいかないが、小説投稿サイトならばゲーム関連のエッセイでも読まない限り大事には至らないだろう。ハナからそうやってしばらくはゲーム漬けの日々を送るつもりだった。予定外のアクシデントで発売日をまるまるプレイに充てる計画はすでに狂っていたが、最速クリアを目指しているわけでもない。休みの期間中にオールコンプリートできれば御の字だ。そして、それは寝る間を惜しまずとも十分達成可能な目標だった。急ぐ必要などなかった。

 観たいテレビ番組や期限の迫った課題があるわけでもない。特に予定はなく、是が非でも今日中に帰らなければならない理由などなかった。


 家主の言葉に甘えて泊まってしまえ。外泊を許さない家風でもないので、今晩は帰らないと母に連絡を入れればそれで足りる。見ず知らずの人の家に厄介になると馬鹿正直に打ち明けずとも、友人宅に泊まるなり何なり適当な理由をでっちあげればいい。いまなら母はまだ会社を発っていない。食材の買い出しにスーパーに寄るかはわからないが、俺の夕飯がいらないと早めに判明するに越したことはないはずだ。

 この家で一晩を明かして翌朝に自力で帰れば迎えの手を煩わせなくて済む。先程目にした予報では明日も晴れてはくれないようだが、降水確率からしてさすがに雨は上がってくれるだろうと期待できた。


 家主の言葉に従って宿泊すればいいではないか。そう思うのだが、この奇妙な間取りの家に引っかかりを覚え、素直に頷けない自分がいた。

 家主と顔を突き合わせているのは良い機会だ。直接訊ねてしまってすっきりすれば心置きなくこの部屋に滞在できる。


 まずは疑問を整理して質問点を明確にするところからだ。  

 しかし、考えを纏めようとするが、どうにも頭が上手く働いてくれなかった。腑に落ちないところはいくつかあった。あったはずなのにそれが浮かんでこない。ベットに座った姿勢でずっといたので、エコノミークラス症候群ではないが、血の巡りが悪くなって頭が鈍っているのかもしれない。


 ストレッチでもして脳に酸素を送らなければと、立ち上がろうとする。だが、身体が妙に重く、足に力を入れて腰を上げるそのわずかな動作さえひどく億劫に感じられた。熱っぽくはなかったが倦怠感がある。ふとももに腕を投げだして項垂れたまま動く気力が湧いてこなかった。お尻がベッドに根をはったようだ。雨に打たれて身体が冷えたのがいけなかった。自分で思っていたよりも体力を消耗していたらいしい。それが今ごろになって祟ってきた。


 ただの疲労であれば良いが風邪の初期症状の線もある。寒気や関節痛などのそれられしい兆候がないからといって安心はできなかった。これから悪化するやもしれない。

 俺の異変は傍からも明らかだったようで、家主が額に手を当ててくる。

「熱はないようですね」


 しかし、頭がぼーとしている。眠気もある。横になったらすぐにでも意識が途切れてしまいそうなほどに眠い。迎えを頼んだとして自室のベッドに辿り着くまでどれだけ時間がかかるか。それまで耐えられそうになかった。仮眠を取って体調が回復する保証もない。

 この家がどれほど奇妙な構造であろうと、俺が現在いるこの場所が、寝室としての機能を備えた部屋であるのは変わらない。疑問など二の次だ。こうなってはそんな些事に構ってはいられなかった。迷っていられないほど逼迫していた。ベッドがあるのが、ただただありがたい。


 倒れこむようにして横になると、すぐにまぶたが重くなってきた。

「温かくしてゆっくりお休みください」

 家主がそういって布団をかけてくれる。食事は用意しておくので起きたら声をかけてくれとのことだった。ティーセットの載ったトレーを手にした家主は、ドア横のスイッチを操作して電灯を消してから退室していった。


 真っ暗になって危うくそのまま寝入りそうになったが、今日は帰らないと母に伝えなければ。手探りでスマートフォンを探してロックを解除し、液晶の光を頼りにしてLINEでメッセージを送る。文章を練る余裕がなく、先ほど考えたでっちあげの内容「友人宅に泊まる」そのままになった。ちょうど仕事上がりだったのか、サイドテーブルに戻す前にスマートフォンが震える。

 地元のゆるキャラが指でOKマークを作っているスタンプの返信を確認して、俺は眠りに落ちた。

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