客人の正体

 階下の客人について家主が語るのを、頂いた軽食を食しながら聞く。マフィンは片手で摘まめるものではあったが、立ったままなのも不格好なのでベッドに腰かけ、サイドーブルを引き寄せて簡易の食卓とした。グラシン紙のカップをめくって齧りつくと、割れた生地から湯気が立ち上り甘い香りがふっと強くなる。いかにも自家製の素朴な味わいよりも、そのほくほくとした熱が空腹の胃に染みる。寒気は引いていても、まだ冷たさはしこりとなって体内にこごっていた。熱々の紅茶が内側から身体をあたためてくれる。


 家主の話すところによれば、客人は、インターネット上のとあるコミュニティーに属しているのだという。初期のころは、趣味の話に興じるだけの同好の集いだった。狭い界隈のコミュニティーはメンバーの出入りが少なくなりがちだ。新規参入者もなければ去っていくものもおらず、いつ行っても変わり映えのしない顔ぶれ。そこに行けば誰かしら常連がいるという安心感から、いつしか集まることそれ自体が目的のようになっていく。会話も趣味のものに限定されなくなる。仕事の愚痴であったり恋愛相談であったりとプライベートなものも混ざるようになり、それは彼らの連帯感をいっそう強めた。そして、実際に会ってみようというお決まりの展開へと。要するにオフ会だ。


 ネット上では知人ではあるかもしれないが、実質的には初対面のようなものだと彼は言い足した。条件はみな同じなのだから、周りが知らない人ばかりだと気を揉む必要はない、自宅だと思って自由にしてくれて構わないとも。


 インターネットで知り合った人たちだというなら「わ」ナンバーのミニバンにも納得てできる。住んでいる地域で限定した集まりでもなければ高確率で居住地はばらけるだろう。空路や鉄道を移動手段とする人がいるとなれば、目的地の最寄り駅を待合場とするのが理に適っている。そこからはタクシーやバスという選択肢もあるだろうが、ある程度まとまった人数で動くなら、レンタカーを借りてしまったほうが手っ取り早い。特に田舎ならばなおさら。


 しかし、何故こんな辺鄙なところにという問題が依然としてある。オフ会の経験がないので詳しくはないが、こういうのは行楽地とかでやるものではないのか。初回だから旅行というほど大それたものではなく顔を合わせ程度というなら、乗り継ぎ駅近辺のファミレスやカラオケ、アミューズメント施設あたりが妥当だろう。交通の便の悪い田舎を選ぶ理由はない。

 この家の立地はとりわけ適さないように思えた。


 わざわざオフ会について部外者の俺に聞かせたのはなぜか。

 こうして鍵のかかる個室を宛がわれているため、積極的に出ていかない限り俺が彼らと言葉を交わすような事態にはなり得ない。せっかくなので下に降りてきて一緒に話しませんかという誘いであれば、彼らの素性を明かす必要も生じるだろう。しかし、事実は異なった。ただ宿泊しませんかと言われただけだ。応対があるのであまりお構いもできませんがという断りだったわけでもない。


 彼らと俺が接触する可能性、彼らの間に俺が加わる状況を家主は想定している。

 一泊するとなると、当然ながら夕飯をご相伴に与ることとなる。階下では盛り上がりを見せているらしく、ときおりどっと笑いが湧いて、二人きりの静かなこの部屋の空気をも揺らした。あれだけ盛り上がっているのだから当分は彼らが帰ることはなさそうだ。このあとどこかへ行って観光をこなせる時刻でもない。彼らもこの家で食事をする予定だからこそ、家主はあらかじめ俺に彼らについて話しておいだのでは。


 夕飯を食べて解散というわけもないだろう。アルコールが入れば運転もできなくなる。別口で宿を取っている線がなくもないが、彼らもこの家に泊まる可能性のほうが高い。

 部屋数は十分あった。二階の残り五部屋がここと同様のものならば、寝泊まりするには申し分ない。


 しかし、と俺は訝った。

 日常生活を送るにはいささか不都合な間取り、内装が真新しく今まで使われていたふしがない。それは、まるでオフ会の宿泊場所として用いるためにリフォームされたようではないか。

 本来のこの家ががどういう構造であったにしせよ、六つも個室を作るためには、二階をまるまる作り替える必要があっただろう。そればかりか床や壁紙の様子からして一階にも手が入っている。結構な金額になっているはずだ。下手をすれば、新築が建てられるほどかかっていてるレベルの改修工事ではないか。


 たかがオフ会にそこまでするのはリスクが大きすぎる。毎年決まった時期にこの家で会を催す計画なら、ある程度の費用対効果を見こめるのかもしれない。だが、これからも現状の関係を維持できる保証などどこにもない。リアルで会ってしまったばかりに、ネット上で疎遠になった例を目にしたことがある。文章のやりとりだけではわからないことも多く、いざ顔を合わせてみたら想像と違った、立ち振る舞いに違和感を覚えた、生活レベルが著しく異なった、性格の相性が悪かった。モニターごしでは伝わらないものが見えてしまい、関係に亀裂が入る。彼らがそうならないとどうして断言できよう。


 グループの崩壊は、オフ会のための宿泊場所であるこの家が無駄になることを意味する。住居として転用するにしても、少なくともこの二階部は不用の長物だ。貸し出して費用を回収するのは、こんな田舎にあっては適わない。

 よほど金銭に余裕があって、この程度の浪費であれば懐が傷まないとするのも不自然だ。金持ちの道楽なら、リフォームではなく、土地ごと新規で購入するだろう。


 オフ会という事情が判明したが、疑問は解消されるどころか、いっそう謎が深まってしまった。

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