雨があがるまで

 濡れた衣類を家主に預けて部屋に戻ると、やることがなくなる。室内にはテレビすらなかった。ベッドとサイドテーブルしかないというよりは、それだけしか置けないというほうが近く、ベッドを入れる最低限の広さだけ確保した、本当に睡眠だけのための部屋といった間取りだった。クローゼットはあったが、何も吊さないハンガーが端に寄せてぶら下げられているだけで空っぽだ。


 いかにも宿泊施設然とした内装にも関わらす、備えつけのバストイレはない。入り口のドアはサムターンを回して内側から鍵をかけられるようになっていて、プライベートな空間として設計されていた。しかし、風呂やトイレが共用なので、この部屋に籠もって生活を完結させることはできない。電話もないのでルームサービスも頼めず、食事のためにも移動をしなければならなかった。他の利用客との接点をなるべく減らした個室という造りでありながら、一方では外出を強いられるちぐはぐさはなんなのだろうか。


 知人を招き入れるための別荘とするには、ロケーションが良好とは言いがたい。この部屋の窓は家の裏に位置しているらしく、カーテンを開くと雑木林があった。家の正面からは死角になっていて先ほどは気づかなかったが、右手のほうには小さな池もある。水面に打ちつける激しい雨のせいで水の流れは読めない。それでも川が注いでいる様子はなく、おそらく水源は地下だろう。農業用の溜め池といった規模だが転落防止の柵があるわけでもなく、土手は落ち葉や草木によって水ぎわまで覆いつくされてる。自然にできたものがそのまま残っているといった風情で、護岸などの整備がされた形跡はなかった。雑木林のほうも人の手が入っておらず、遊歩道はおろか獣道ですら見当たらない。木立の奥に黒い影がわだかまっているのは、天候のせいばかりでもなく、日の光さえ差しこまない鬱蒼とした森が形成されている。


 むき出しの大自然を拒むように地面がセメントで固められているのは、家のごくごく近辺だけだった。裏庭と呼ぶにも手狭なその場所に、傘をさした男が現れる。見覚えのあるその服装は、家主のものだった。家をぐるりと回って引き返してきた彼は、片手で傘を支えもう一方の手でハンドルを握った不安定な格好で器用にも俺の自転車を押していた。一階部には、透明な波板で屋根が設けられていて、ちょっとした物置のようになっているらしかった。自転車がそこに停められたのを認め、俺はカーテンを閉じる。


 DIYで増設したかのような簡便なテラス屋根と、そこに雑然と置かれた日用品からはすこぶる生活臭が漂っていた。いかにも民家の裏手といった光景ではあるが、俺はどうにもこの二階の構造にひっかかりを覚えてしまう。一軒家の二階部としては部屋が多過ぎではないか。廊下の長さとドアの間隔からして広さはどこも同じだと推測できる。家具もまともに揃えられない狭さの、使い勝手が悪い部屋を六つも揃えるよりは、数を減らして一部屋あたりの面積を増やしたほうが良かったのでは。住み心地を度外視してまで六部屋も拵える必要がどこにあったのだろうか。


 階下からは相も変わらず話し声がしていた。一階にいるのが家主だけであったのなら、話をうかがいに行くのも抵抗が少なかった。挨拶がてらの雑談で、民家としても宿泊施設としても半端なこの家について訊ねてみることもできただろう。しかし、客人がいるとあってはそれも難しい。見知らぬ人ばかりの場所に単身飛びこんでいく勇気はさすがになかった。


 暇をを潰すために鞄からスマートフォンを取り出しロックを解除すると、Wi-Fiが検出されていた。この家の回線らしく、当たり前ではあったが、パスワードが設定されていて繋がらない。拝借するつもりもなかったのに自動接続のせいでわざわざ切断の操作をしなければならなかった。月末になると通信速度制限に苦しめられることも多いが、だいぶ容量に余裕があり無線LANを利用する必要もない。注意するとしたら電池のほうだ。買い物をするだけのつもりだったので、充電器もモバイルバッテリーも鞄に入れていなかった。


 とりあえず習い性でカクヨムにアクセスしてみるが、通知のベルアイコンは点灯していない。せっかく時間ができたのだから執筆をしたいところだったがPCがない。スマートフォンでも文章を綴るのに問題はなく、やってやれないということはない。しかし、だ。いかんせん書きかけのファイルは自宅のハードディスクのなかだ。作者によっては、カクヨムサイト内のツールに文字を直接打ちこんで、仕事や学校の合間のちょっとした時間に続きを書き進めたり推敲したりとしているらしい。家でしか小説を書かない俺は、あいにくと下書き保存機能を活用していなかった。


 書くのは諦めて読むほうをと新着レビューやランキングを漁る。連載が続けば、それだけ露出する機会も増えて★が多くなって行く

傾向にあり、評価が四桁の大台に乗っているものは、おしなべて文庫一冊の文章量を上回っていた。百話オーバーもざらにあり、なかには数百話に及ぶ作品も。半日近い空き時間があるとはいえ、大河と呼べる長さのものに新たに手を出しにくい。適当な長さのものを見繕ってこれはという作品を引くまで冒頭の試し読みを繰り返す。


 そうしてしばらく読書をして過ごしていたら、ドアがノックされた。返事をして鍵を開けると家主が立っていた。マフィンとティーセットの載ったトレーを手に、下で軽食として出したものですが、よろしければいかがですか、と。本来なら帰宅後に昼食となるはずだったが、雨に降られたせいで食事にありつけていなかった。急に空腹を覚えた俺は、有り難く頂戴することにして、トレーをサイドテーブルに運んでもらった。


「まだまだ降りますね」

 見えるはずもない外の景色をカーテンを透かして眺めるかのように、家主は壁を叩く雨音に耳をそばだてていた。

「早くあがって欲しいものです」俺もつられて窓のほうへと視線をやる。「一晩中降り続けるということもないのでしょうが」

「さきほど見た予報では明日も天気が優れないと」


 夜には雨が止むのではなかったのかと、スマートフォンで確認すると夕方以降の降水確率が上昇していた。雨雲レーダーも青い領域が増え、ずっと雨雲がかかったまま晴れてくれそうにはなかった。

 自力で帰るのは不可能そうだが、両親が帰宅すれば車を出してもらえるから差し障りはない。そう考えていた。

「泊まっていきませんか」

 やおらといった態度で口にされると、その家主の提言はそれほど唐突なものには感じられなかった。どうやら彼は最初からそのつもりで切り出すタイミングをうかがっていたらしい。軽食の差し入れも話すきっかけを作るためだったとするは穿ち過ぎだろうか。


「いえ、さすがに、そこまでは」

 もちろん俺は断ろうとするのだが、家主は何故か「そうおっしゃらずに」と食い下がってくる。

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