奇妙な部屋

 三和土には五足の靴が踵を揃えて並べられていた。カジュアルフォーマルなものからウォーキングシューズのような気軽なものまであるが、さきほど外で耳にした来客らしき声を考慮すると明らかに数が不足している。この家の住人が普段履きにしているものは片付けられているのか、そう目視で探ってみても玄関回りには傘立てがあるのみで下駄箱すらない。通用口は別にあってそちらから出入りしているのかもしれない。


 客用といった風情のスリッパが、どうぞお使い下さいとばかりに上がり框に置かれている。しかし、びしょびしょのまま上がるわけにもいかない。マウンテンパーカーを脱いで水滴を払い、外側が内になるようにして丸める。幸いなことにインナーに大事はないようだったが、下半身はひどい有様だった。スニーカーは完全に水浸しで、チノパンは膝から下は湿り気を帯びて濃い色になっている。裾からは水が滴っていた。下着まで濡れていないのがせめてもの救いだ。


 どうしたものかと途方に暮れていると、俺を招き入れてくれた家人の男がタオルを持って来た。上がり框にバスタオルを敷いてマット代わりにし、そこで一通り雨を拭った。もっとも、あくまで水が垂れなくなっただけで、相変わらずチノパンは重い。


 濡れた衣類を洗濯して乾燥機にかけましょうかと男が提案する。

「そうしてもらえるとありがたいのですが着替えが」

 男は「それなら問題ありませんよ」と口元を綻ばせる。

 部屋着まで貸してくれるという。まさに至れり尽くせりだ。

「何から何まですいません」

「タオルを洗う必要がありますからね。そのついでのようなものです。お気になさらず」

 たしかに汚れたままにしておけないのだろうが、それでも恐縮せずにはいらずまた頭を下げる。


 マウンテンパーカーと靴下をタオルで包んで渡すと、男は一旦奥へと引っこんだ。微妙に空き時間ができ、なんとはなしに屋内を観察する。玄関広間もそこから伸びた廊下も新築同然に綺麗だった。ニスの効いたフォローリングの床は鏡面さながらに磨き上げられていたし、壁紙はひっかき傷ひとつ見当たらない。外装からして建てられたばかりということはないだろうから、最近になって内部をリフォームしたのかもしれない。


 戻って来た男に案内されその背中を追う。応接室に通されて知らない人に混じるのは気が詰まりそうだと憂鬱になったが、それは杞憂だった。男は来客の声がしている部屋を素通りした。 

 開けっ放しになったドアの横を抜ける際に、室内の様子をうかがえた。年齢も性別もばらばらの四人が、テーブルを囲んでソファーに座り和気藹々と談笑している。飲み物片手に語り合うその雰囲気から、応接室というよりサロンという印象だなと思って壁のほうへ目を滑らせるとマントルピースまである。秘密の抜け穴、死体の隠し場所、証拠の焼却などと連想してしまうのは、我ながらミステリ脳というかなんというか。そんなものが現実にあるはずもない。外から眺めた限り煙突はなかったし火も焚かれてはいなかった。天井ぎわにはエアコンが設置してある。暖炉はイミテーションだろうと推測できた。


 俺の視線に気づいたのか、四人のうちの一人、短髪をアッシュグレーに染めた大学生くらいの男が「よう!」と手を挙げた。

「災難やったな」

 気さくにそう話しかけられるが、もちろん初対面だ。こちらの事情をどこまで把握しているのかは不明だが、災難とはおそらくこの天候のことだろう。足を止めてしまったものの、どう応じたものか判断がつかず「はあ」などと鈍い反応しかできなかった。

「なんだよつれねぇな」

 彼はそう剽げたあともまだ何か言おうとしていたが、先導していた家主がこちらを振り返り、「まずは部屋に」と先を促した。家主のその短な言葉は、俺に投げかけたようでもあり、あまり引き留めるなと青年に釘を刺したようでもあった。

 ぼやく青年を宥めるような女性の声を背に聞きながら階段を登る。


 二階部は建物の中央を貫く形で通路があり、両側にそれぞれ三つの部屋があった。その六うちのひとつ、右手最奥のドアを「どうぞこちらへ」と家主が引いた。

 室内灯が点けられ、内装が露わになる。家具らしい家具は、白いカーテンの敷かれた窓際のベッドとサイドテーブルだけの簡素な部屋だった。インテリアも何もない。泊まったことはないが、ビジネスホテルがちょうどこんな感じなのではないだろうか。寝室といった間取りだが、床のベージュのカーペットはこれまた張りたてのような綺麗な毛並みだ。ベッドのシーツにも、枕にも使用された形跡がない。


 突然お邪魔した手前文句は言えないし、雨宿りさえできるのならどこであれ不足はない。だが、来客にあてがうのに寝室が適切なのかは疑問だ。先客があったから応接室は無理だとしても、もっと他に都合の良い部屋があったのではないか。別個に寝室があって、ここは元から空き部屋だったとするには内装が整いすぎている。


 まさか他の五室も同様の造りで、ここは宿泊施設だとでも。古民家を改装して貸し出している場所もあるとは小耳に挟んだことがあるが、このあたりは利便性が悪く宿で儲けを出すには不向きだ。近くに観光地があるわけでもない。誇れるほどの景勝もなく自然を持てあましているだけの、日本中どこにでもある田舎でしかない。別荘地にもなりはしないだろう。

 そもそも家主から料金の話が出ていない。無償のカウチサーフィンだっとしても利用に際してなんらかの注意や取り決めがありそうなものだが、それすら口にする気配がない。


 いくら思考を巡らせても疑問が解決しそうもない。どうせ雨があがるまで暇になるのだからあとで事情を訊いてみればいいと、俺は室内に入った。

 リュックのなかの荷物の状態を確認していると、下へ降りた家主がふたたびやって来た。部屋着としてガウンを渡される。

 ますますもってホテルだと、狐に化かされたような心地になる。

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