玄関口の問答

 降りしきる雨は、靄のように煙り行く手を白く霞ませていた。視界はすこぶる悪い。しかし、だからこそ前方左手にぽつりと浮かんだ明かりが目に留まる。まだ少し距離があり輪郭は滲んでいたが、その暖色系の色味からして民家の窓から漏れたものだろう。


 こんなところに家などあっただろうか。

 通学にはもっぱら農道を用いているので、それほど頻繁にこの道を通るわけではない。それでも、休日の外出、あるいは放課後に繁華街へ行った帰りなどには利用することもあって、ある程度は土地勘を有していた。新興住宅地を形成する郊外ならばともかく、この一帯にあるのは雑木林と田畑ばかりだ。あってもラーメン屋かコンビニくらいで変わり映えのしない景色が続いていると記憶している。民家がまったくないわけではない。両脇には小規模な集落がいくつか疎らに点在していたが、現在地は、その空白地帯に位置する。次の集落、つまり自宅のあるところまでキロ単位で何もない開けた場所を走らなければならない。そのはずだった。


 知らないうちに空き地に新居が構えられたのか、あるいは単に俺が忘れていただけでもとからそこに住居があったのか。どちらにせよ雨を凌げるのはありがたい。夕方まで時間を潰せれば、帰宅した母に拾いにきて貰える。午後をゲームの時間に充てる当初の目論見は果たせなくなるが致し方ない。無理をして進んでROMがダメになったら元も子もなかった。


 近づくにつれ、山を背に建ったその一軒家の全容がはっきり視認できるようになる。スレート葺きの瀟洒な佇まいはこのあたりでは珍しかったが、それでもごく一般的な住宅に見える。雑草の生い茂った空き地に挟まれ、道路に面して前庭が設けられていた。塀や植栽の類いはなく一面が砂利敷きだった。車回しや駐車場として整えた場所といった体で、事実コンパクトカーとミニバンが雨晒しで並んでいる。ガレージはないようだ。


 自転車を押して二台車の横を抜ける。玄関のほうは一瞥して、ポーチが狭くて駐輪するスペースがなさそうだった。適当な場所はないかと見回してみるが、どこも壁際まで地面が湿っていて濡れるのを避けられそうにない。屋根が、正面には軒がなく横手でも庇が短いという造りだった。それが原因というわけでもないだろうが外装にシミができている箇所があった。どうやら新築ではなさそうだった。


 諦めて正面壁に平行に寄せるようにして家屋と車の間に自転車を停める。多少は雨を防いでくれるだろうかと車体を眺め、ナンバーに目が行く。どちらも地元のものだったが、ミニバンのほうは「わ」ナンバーだ。観光地となるような土地でもないので、レンタカーなど滅多に見かけないので印象に残った。


 リュックを手にして壁伝いに進むと玄関ポーチの横に客室らしき部屋の窓があり、カーテン越しに複数の人の気配があった。談笑しているような声も聞こえる。ミニバンは来客が乗って来たものなのかもしれない。


 接客中だろうが今更引き返すわけにもいかない。インターフォンを鳴らすとすぐに男性の声で返事がある。雨宿りをさせて欲しいと事情を説明すると、しばらくしてドアが開かれた

 現れたのは薄手のグリーンのセーターを着た男だった。家主だろうか。インターフォンを通した声からは判断がつかなかったが、歳は四十代くらいに見えた。平日の日中なので、出てくるのは定年して在宅の老人だろうと勝手に思いこんでいたので少し驚く。


「来客中に申し訳ありません」

 謝罪の言葉を口にすると、男は一瞬背後を気にするような素振りを見せた。やはり俺に応対するために客に断りを入れて離席したといった様子だ。家のなかから届く話し声からして、三人以上はいそうだ。何の集まりかは判然としないが、家主が抜けても会話は盛り上がっているようで、そこにお邪魔するのはさすがに気が咎める。


 帰るべきなのかもしれない。そんな俺の逡巡が表情に出てしまったのだろうか。

「いえいえ、大丈夫ですよ。お気になさらず」

 迷惑をかけているのはこちらだというのに、逆に気遣われてしまう。

「もう少し小降りだったら、多少無理をすれば帰れなくもなかったのですが。この雨なので」


「お住まいはこのあたりなのですか?」

 住所を教えても男はピンと来なかったようで、ここから何キロ行ったところだとおおよその距離を告げる。

「それはまた大変な。ここまで徒歩で?」

「いえ、自転車です」

 自然と駐輪してある左手に俺の視線は流れ、男もつられてドアから頭を突き出すようにしてそちらを確認した。


「あとで裏手に回しておきましょう」

 裏口だろうか。その口ぶりからすると、そちらには雨のかからない場所があるのだあろう。雨宿りとはいっても家人の了承を得られない可能性もあった。そもそも私有地、それも建物のすぐそばに停めた自転車が盗まれる心配はさしてないだろうと施錠はしていなかった。移動させて貰えるというならその言葉に甘えよう。

 ふいに雨音が大きくなる。風こそ吹きすさんではいないものの、春の嵐の様相を呈し始めていた。


「また一段と雨が強くなってきましたね。どうぞ家のなかへ」

「そこまでご厄介になるわけには」

 雨さえ凌げれば十分で、軒先で待たせてもらうつもりだった。見ず知らない人の家に我が物で入って行けるほどずうずうしくもないつもりだ。

「まだまだ冷えます。風邪をひいていけません。遠慮なさらずどうぞなかにお入りください」

 こうして俺はなかば押し切られるようにして、その家の敷居をまたぐことになった。

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