一目惚れ
一学期の中間テストの時期にはもう新しい学校の新しいクラスでのそれぞれの立ち位置みたいなものが確立されて、なんとかこのクラスで一年間上手くやっていけそうだと安心できたのだけれども、人間関係というのはクラス内だけで形成されるわけじゃない。わたしが美術部で親しくできる友達を作ったように、ナオちゃんはナオちゃんで部活のほうで交友を広めているみたいだった。
その影響なのか少し明るくなったように思う。もともと暗いわけでなかったけれど、弱腰というか遠慮がちというか衝突を避けるようなところがあって、だからこそ集合写真で後列の端っこに追いやられてしまうようなタイプのわたしとも気が合っていた。それが、どこをどうとは言えないけど変わったように思えた。
明るくなるのは悪い事ではなくむしろ良い傾向でわたしがとやかく口を出す問題でもないし、それをわたしに対する裏切り行為だなんて捉えてしまうのはお門違いで自分本位な考え方だとは理解してしても、離れて行ってしまうように思えて寂しかった。
だからってわけでもないけど、わたしはその日の放課後勇気を出して体育館に入ってみた。
完全下校の放送が流れ出す前にだいたいの部活は終わるみたいで、体操着のまま荷物を持った生徒が次々と吐き出されて来て、だんだんとそこに制服姿が加わるようになる。完全下校の放送が鳴り出すころには体育館に残っている生徒は少なくなっているはずなのだけど、まだ時々ボールが床を打つ音や靴のこすれる音が響いていて、見回りの先生が来て入り口から声をかけてしばらくしてから最後まで居座っていた生徒が出てくるというのがいつものパターン。ナオちゃんもたいがいはその時刻まで現れない。
人足が減って来たところで、中へと進む。昇降口で靴に履き替えてから来ていたので体育館の三和土で抜いだ靴を靴箱にしまい、靴下のまま上がって玄関のホールというか小スペースを横切る。
スライド式の両開きの扉は開けっ放しだったので、中が良く見えた。ステージのへりに腰かけている生徒が一人、ステージにもたれるみたいにして床に座っている生徒が二人、それからバスケットボール片手にステージのほうへと向かってコート内を歩いている生徒が一人いた。ほかには誰もいない。用具庫の扉は開いていてその傍らにボールの入ったかごがあった。
コートを歩いているのはたぶん身長からして男子だろう。半袖の体操着からのぞく腕は屋内部らしく白く屋内の照明に照らされていると青白くさえ見えた。
ステージはだいぶ遠くにあって扉のところから大声でナオちゃんを呼んでも聞こえそうにはなかった。もしかしたら、お腹に力を込めてめいっぱい叫べば、がらんどうで音を遮る物もない空間に声が響きわたりステージまで届くかもしれない。けれどそんな大胆な行為に及べるわけもなく、わたしはニスの効いた板張りの床を歩いて行く。
ソックスでつるりとした床を踏みしめて歩くのは変な感覚で自分が場違いなところに踏みこんでいるのだと強く意識してしまい、コートの真ん中を突っ切るのが躊躇われて壁沿いを背中を丸めて遠慮がちにちょこちょこと歩いた。
コート内にいた男子が端まで来たところで小脇に抱えていたバスケットボールを振りかぶってステージへと投げた。投げるというよりも放るとったほうが近い気を抜いた動作だったけれど、肩をまわした腕の動きはしなるような感じで、程よく筋肉がついた引き締まった造形よりもすらりとした腕の長さが強調されて見えた。
ステージのふちに座っていた男子が腕を伸ばして山なりに飛んできたボールを受け取る。彼はそのまま床に飛び降りてコートに入り、スリーポイントラインからほとんど予備動作もなくシュートを打った。
わたしは奥のコートのステージから遠いほうのコーナー付近にいたので、角度のある位置からシュートを放った彼を正面に臨むような形で目にした。
地黒なのか屋内の部活らしくない浅黒い肌でサイド刈り上げた少し長めのツーブロックなのはバスケ部よりもサッカー部にいそうな見た目だったけれど、その落ち着いた佇まいはサッカー部って雰囲気でもない。実際はサッカー部でも真面目に取り組んでいるのかもしれないけれど、クラス内の部員の立ち位置から勝手に浮ついたイメージを持っていて、そういうタイプはわたしの最も不得手とするところだけど、一目で彼がそうした軽さからは遠い存在だとわたしにはわかった。
歩いて来てそのまま流れるように自然にシュートに入った瞬間、体をわずかに沈ませた反動で小さくジャンプし押し出すように伸びた腕に力がこめられ、ボールが指先から離れるあの瞬間、彼の周囲から音が失われたかのように空気が張り詰めた。その一瞬に彼が纏った静謐さに、わたしはある種のストイックさを見たような気がした。
それが向嶋センパイだった。
思わず足を止めていた。バスケットなんて授業でちょっと触れたくらいでルールもろくすっぽ知らないし、フォームの正しさや上手いか下手かなんて判断できるわけもないけど、それでもわたしはシュートが決まるだろうと予感した。
ボールは予感に応えるように綺麗な弧を描きゴールへと吸い込まれて行った。
ネットから滴るようにまっすぐ落ちたボールが床を打つ。
わたしがボールを視線で追っている間にセンパイは歩きだしていたようで、こちらへと近づいて来ていた。見惚れていた事実が恥ずかしくなって逃げだしたくなったけど、床の上で弾んでいるボールの音を耳にしながら、あ、ボールを取りに来ただけかと気づきスクールバッグを右肩から下しゴールの下へと向かう。
ほとんど垂直に落下したボールだったけど、それでもその場には留まっていなくて勢いを落としながら弾んで、申し合わせたみたいにわたしのいるほうに転がって来る。
少しし腰を曲げて両手でボールを掴んで顔をあげると、足を止めたセンパイが手を振ってパスを催促するジェスチャーをしていた。わたしでも十分届きそうな距離だった。けれど、二人向き合う形になって不意打ちみたいに目があって、咄嗟に視線をはずしてしまったのがいけなかった。
床の上に張られたラインの白いテープを見つめながら投げたボールは、見当違いの方向に飛んで行って、バウンドしながらステージのほうへと転がっていった。
「すいません」
反射的に謝ったわたしに彼は大丈夫というように鷹揚と手を振って踵を返す。
ステージ前にいた色白のほうの男子が駆け寄ってボールを拾うのを、どうしていいかもわからず眺める。運動神経か悪いという自覚はあったけどまさかこれくらいのことさえ失敗してしまうは。後悔よりも何よりも自分の無様さを衆目に晒してしまったという羞恥で頬が熱くなった。
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