センパイ

 わたしが初めて向嶋センパイを見たのはたぶん新入生オリエンテーションの部活紹介の時だったのだけど、それは今にして思えば先輩もあの場にいたのだろうと見当がつくだけで、男子バスケットボール部が部員獲得のために新入生に向けてどんなピーアールしていてのかはまったく記憶に残っていない。最初から中学と同じように美術部に入るつもりをしていたので他の部活には興味がなかったし、なにより運動神経が悪くて体育の授業でさえ四苦八苦しているわたしがまともにスポーツなんかできるわけなく、運動部が各部の持ち時間で新たな部員を獲得するために色々とやっている間、体育館に並べられたパイプ椅子に座って早く終わらないかななんて考えながらぼんやりと壇上を眺めていた。


 うちの中学では部員と顧問ですべてやりくりしてマネージャーなんかはいなかったので高校ではマネージャーをやってみたいと言っていたナオちゃんと違って、わたしはマネージャーをやるつもりもハナからなかった。部を陰からサポートして運営を円滑にするってのは家計を切り盛りするお母さんみたいなところがあるし、ドラマやマンガなんかだと部員と恋愛に発展するのが定番だったりするから憧れる気持ちはわからなくもないけれど、自分がそうなるのは想像できない。


 運動が得意で自信を漲らせているようなタイプのいわゆる体育会系の男子が苦手だ。そういう種類の子は男子に限らず女の子でも、自信に裏打ちされているからか性格も快活でノリがよく仲間も多くてどうしてもわたしみたいな人間は近寄り難さを覚えてしまう。


 小学校の低学年とかの小さかった時分は、なぜだか男子はかけっこが速い子がクラスの中心人物となっていたけど、女の子の人間関係はそれほど単純ではなかった。もう少し複雑。それでも、好かれやすかったり周囲にもてはやされるタイプの子ってのはいて、かわいくって流行りに敏感な子はやっぱりクラスの中心になりやすかった。あの頃はまだそうしたヒエラルキーがありながらも派閥意識はまだそれほど強くなかった。仲のいい子でまとまりながらも他のグループと普通に話したりできていた。


 けれど、そういう環境のなかでかわいい子がかわいさに磨きをかけ流行を発信しクラスの中心人物として立ち振る舞い、上位の者として自尊心を育んでいき風格みたいなものが醸し出されるようになっていったのに対して、もともと内気だったようなわたしみたいなタイプは内向性に拍車をかけて行った。高学年にもなる時分と上層と下層が明確に分かれていた。

 いじめの標的にされるんじゃないかって恐れもあって、目立たないように地味にというのが身に染みついてしまった。けして虐げられていたわけではないしそれに不満があったわけでもなく、わたしはわたしで仲がいい子はいたし自分たちのグループで楽しくやっていたのだけれど、クラス内ヒエラルキーの下位にいると自然とそれ相応の押しの弱い性格になって下層としての意識が刷りこまれてしまう。


 だから、どうしてもクラスの中心にいるような明るい性格には苦手意識があった。同じ性別でさえ距離を感じてしまうのだから、異性ともなればなおさらそう。この年齢にもなって足の速さが物を言うわけはないのだけど、以前クラスの中心にいた男子はだいたい今でもそういう位置にいて活動的で堂々としていた。陽気に話を盛り上げて笑いあっている姿はまぶしくて、そのまぶしさがわたしに近寄り難さを覚えさせる。スクールカーストのなかで性格が決定づけられてしまい、それがよりカーストを強固なものにするというのは男でも女でも変わらないのかもしれない。


 運動には無縁でクラスの中心から距離を置き陰で目立たないよう目立ないようとひっそりと過ごしていわたしだったけど、クラス分け早々出来上がったグループで誰がかっこいいだなんだと盛り上がっている話は聞こえて来た。部活にも上下意識みたいなのはあって、こういう話題の花形はサッカー部と野球部だったけど向嶋センパイは中学時代からバスケ部の中心人物として存在感を放っていたらしくて同じ中学出身の子がやたと向嶋センパイがー向嶋センパイがーと言っているのが教室のすみっこでナオちゃんとお弁当を食べているわたしの耳にも聞こえて来て嫌でも名前を覚えてしまった。


 仲の良かったナオちゃんが宣言通りに男バスのマネージャーになって部内の事情なんかも漏れ聞こえてきて、一年の頃からレギュラーだったとか猫を多頭飼いしていてスマホのロック画面も猫だとか一人っ子だとかそんなセンパイに関する情報を知ったりもしたけどわたしにとって向嶋センパイは遠い存在のままだった。


 一緒に帰るために体育館に寄ってナオちゃんを待つような場合でも、運動部独特のあの空気が屋内にこもっているような気がして中に入れなかった。上履きのまま出入りできるように校舎からみざらの橋が渡してある入り口のところで待っているとばらばらと出てくる屋内部の子たちの中にクラスメイトや同じ中学出身の子の顔を見かけたりしたけど、話に聞いているだけでセンパイの顔さえ知らないわたしにはその集団にセンパイがいたのかさえわからなかった。


 噂を頼りになんとなくこんなイメージだろうってセンパイ像が出来上がってはいたものの、苦手意識が先行しているからか、どれほど部内での活躍を聞いても憧れみたいな感情は沸いてこなかったし自分から積極的に関わろうとも思わなかった。


 あれだけセンパイがーセンパイがーと騒いでいたのに件の女の子は男バスのマネージャーにはならなかったらしい。どこ入部にしたのかはわからないけど教室にいるときは相変わらずアイドルの話をするかのようにセンパイについて語っていたけど、ゴールデンウィークを過ぎたくらいによそのクラスの男子に告白されてつき合いはじめたみたいだとナオちゃんが教えてくれた。

 カップルになってセンパイ談義が途絶えるかと言えば全然そうならず一緒に帰ったりしている一方でガールズトークではセンパイがーと変わらずにしゃべっていた。ちょっとわたしにはその神経がわからない。


 どういう流れだったか、化学の実験で同じ班になった望月郁子香さんとその話題になった事がある。彼女は「女子はそういうもの」と冷めた口調でつぶやいた。その物言いが、他のみんなはそうかもしれないけど自分は違うのだと暗に主張しているように聞こえてわたしは彼女に好感を抱いた。


 けれどそれだけだ。そこから仲良くなったりはしない。


 彼女は小柄で愛玩動物みたいなかわいさがあるルックスだったけれど目を引くような美人というのではないし、口数が多いほうでもなくってどちらかと言えばわたしたちのグループにいそうなタイプだった。けど、なんというか構いたくなるような雰囲気がある。たとえば親戚で集まって鍋なんかすると小さい子は自分で鍋に箸をのばさなくてもおじさん連中があれ食べないこれ食べないと煮えた具をよそってくれるけどあんな感じ。放っておけないオーラがある。

 甘えた感じを出したり愛嬌を振り撒いていると女の子からはぶりっ子だとか天然だとかと言って嫌われたりもするけど、望月郁子香さんはそんなふうではない。むしろ反応が薄いというかつれなっくてそれがますます構いたくなるのか、マスコット的になんて言い方もあれだけど、ともかく可愛がられている。


 明朗でも快活でもなくおとなしめな彼女だったけどれもそうして陽気なグループに馴染んでいるからわたしからその輪のなかに割り入って話かけるなんてとてもではないができず、一緒になる機会があれば話すけれどそれ以上でもそれ以下でもなくただのクラスメイトで特別親しくはならなかった。

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