2019/06/22 『煙草』
窓の外がぴかりと光った。時計の針は長いものも短いものもぴたりと真上を指している。
何もかもが、ぬるい湿気のベールを纏っているみたいだ。はだかの足を滑らせたシーツはいつもよりしっとりしていて、小動物の腹のように生暖かい。
真っ暗な部屋でベッドにひとり横たわりながら、隣に誰かいないかと、今度は片手をシーツに転がしてみる。勿論誰もいないことは分かっているのだが。
マットレスの上にぽっかりと空いた、ちょうどあとひとりぶんの余白。そのまま手で掻き乱して遊ぶ。
1人で寝るのが寂しくなったのはいつからだろう。ずっと1人で寝るのが当たり前だったのに、誰かの温もりや質量を求めてしまうようになったのは。
そうしたこともないのに、誰かがいた方がよく眠れる気がしてしまう。
身体を寄せあって、相手の匂いを吸い込んで、深く、何も心配せずに眠れたらどんなにいいだろう。
窓の向こうで無数の雨粒が跳ねる音がする。どこかの木の葉が雨粒を弾いてピンと空気を鋭く切るさまを思い浮かべる。
雨の日はいやだ。妙に人さみしくなる。いつもは親しい夜の暗ささえも私から離れていくような気がした。
輪郭がぼやけるようなこういう夜は、大概丸まって小さくなって眠りにつくのだ。
雨の音を聞きながら目を閉じているうちに眠っていたらしい。簡単で奇妙な夢を見ていた。
私は真白な空間に横たわっている。天井なのかそれともそのまま突き抜けているのかはわからないが、仰向けになって見える全ても白で、静かだった。
そのままぼんやりとしていたら、その白の中に1つ、点が浮かび上がった。
水滴を落としたかのようにその点はみるみる広がる。いや、近づいている。何かがこちらに落ちてきている。
ふと気づくとそれは、大きな大きな刃だった。
空気が粘ついたように重い、まるで身体を動かすことができない。
横たわったままの私の首に、冷たい刃がぴたりと寄り添った。
ダン、と大きな音に夢から引きずり出された。
瞼の裏がチカチカと赤く明滅している。
思わず首に触れると、汗が冷えたのか冷たくなっていた。は、と吸い込んだ空気は初夏の朝らしく凛と引き締まっている。
起き上がり周りを見回すが、真白な空間ではなく色に溢れた自室だった。あの大きく滑らかな刃もどこにもない。
起きたての頭は夢と現実の区別がつかない。状況を飲み込むまで少しかかった。
寝転んだらこの部屋は白くなるのだという、夢が脳に刻みこんだ謎の秩序が霧散していく。その感覚に、私は頭をゆるく振った。
時計を確認したら、目覚ましよりも随分早く起きてしまっていたようだった。
流石に二度寝する気分にもなれず、眠気もなくなっていたので、肩をぐるぐると回して深呼吸する。いつもの目覚めの儀式。
深く吸い込んだその空気に、煙草の匂いが混じり始めたことに気づく。
どうやら隣人が煙草を吸い始めたらしい。さっきの大きな音は窓を開けた音だったのか、と納得する。
開けっ放しの窓から、見えない煙草の煙がゆっくりと侵入してくる。
車の走行音や人の話し声、そんな街の駆動音も、気づけば窓から滑り込んできていた。
私以外のものが私の部屋を満たしていく。
まばたきして、1人だと思っていた部屋をもう一度見渡した。
私はいつもなら閉める窓を開けたまま、ベッドから抜け出した。
大体人が死ぬ短編小説集 明日 @Hariwooru
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