第33話「花火のあと」


「何で、公園でゴールしたのに、結局俺達はまた河川敷に来てるんだ?」


 自転車を引いて歩きながら、亮がそんなことを言う。


「いや、だって花火をするってなったら公園は無理だろ。だったら、河川敷に行くしかないだろ!」

「うぅ、こんなことならゴールを河川敷にしておけば良かった」


 両手で器用に二台の自転車を引きながら歩いている健吾に対して、亮は泣き真似をしながらフラフラと自転車を揺らした。いや、泣き真似ではあるけど、もしかしたら内心では本当に泣いてるのかもしれない。


 確かに、もうすでに精魂尽き果ててると言っても過言でない状況で、歩いて河川敷まで来たのはなかなか辛い。


 ここまでずっと自転車を漕ぎ続けていたせいで、まるで足が歩くことを忘れてしまったように、何だか歩くのがぎこちない。


「まぁまぁ、そう言わずに。ずっと自転車漕ぎっぱなしだったから、こうやって歩くのもいいクールダウンじゃない?」


 健吾が引いている一台の自転車の逆側を持ちながら、同じく両手で器用に二台の自転車を引いている理久が笑いながら言った。理久は理久で、正直疲れが見えないくらいに清々しい表情を浮かべていた。


「そうよ、あまり文句ばっかり言ってると花火が楽しくなくなるわよ」


 振り返りつつ、先頭に立って歩いている原田が言った。その脇では、原田に肩を貸して支えられながら、桜も一緒になって歩いている。


「二人共、大丈夫?自転車二台運ぶなんて、大変じゃない?」


 桜も振り返りながら、健吾と理久に声を掛ける。


 健吾と理久が力を合わせて一緒に運んでいるのは、原田の自転車だった。


 昨日、残った花火はゴールしてからやろうと言っていたことを健吾が思い出し、花火をするために、公園から河川敷に移動することになった。しかし、既に皆は自転車に乗って行くのはむしろしんどくなっていて、それなら歩いて行こうとなった。


 だが、桜は原田が支えていかなくてはいけないので、その原田の自転車はどうしようかという話になった。公園から河川敷まではそこまで遠くないので、とりあえず自転車は置いて行けばどうかという話も出たが、健吾が「これ、上手くやったら二人で二台運べるんじゃね?」と思い付きで言った。そんなことできるか?と半信半疑の中、試しに理久と二人でやったら本当にできてしまったので、今器用に二人で運んでくれているというわけだ。


 ただ、自転車三台と男二人が横並びで歩いて行くので、車通りがない夜じゃないとこれは流石に出来ない。


「おう、何てことない任せとけ」

「そうよ、桜。こいつはこれくらいしか使い道ないんだから、大丈夫よ」

「原田さん、一応僕運んでいるのはあなたの自転車なんですが!」


 頼もしく決め顔で答えた健吾に対して、すかさず割り込んだ原田の発言は変わらず辛辣だ。


「うん、案外二人で持ってたらバランス取れるから大丈夫だよ」

「理久君、ありがとうね。やっぱり、理久君は頼りになるね」


 一方、もう片方を持っている理久に対しては、原田は優しく声を掛けた。


 「えこひいきだ!!」と天に向かって嘆いている健吾に対して、「吉川、うるさい。近所迷惑」と原田は冷たくあしらっている。


 そんな様子を、俺達はカラカラ笑いながら見つめていた。


 自転車を引きながら歩いていると、何だか不思議な感覚になる。


 もう既に旅は終わり、その達成感で満たされている。でも、あまりに疲れすぎているのと、この帰り道の中でも色んな事があったこともあって、頭はやけにぼんやりとしていた。


 そんなぼんやりとした頭で、皆の顔を見渡していく。


 誰しもの顔にも疲れは見て取れた。それでも、それ以上にゴールしたという達成感からか、皆の顔はどこか清々しいようなスッキリとした表情を浮かべていた。


 この皆の表情を見ていると、本当にみんな一緒にゴールできてよかったと心から思う。


 そして、あの時に俺が言っていなければ今この場に桜の姿はなかったんだろう、と改めて思った。

 

 前の方を歩いている桜の後ろ姿を見つめる。


 桜は、一応立てないほどの痛みは引いているようだったが、流石に一人で歩くのはまだ難しいみたいだ。原田に支えられながら歩いていると、僅かに左足は引き摺っている。


 それでも、桜は今この場で皆と一緒に笑い合えている。


 そして、今俺は心の中で「桜」と呼べている。


「おーし、とりあえず河川敷に着いたな」


 緩やかな坂道を上りきると、健吾が真っ先に声を上げた。


 流石に階段を下りていかなければいけない河川敷に自転車を持っていくことはできないので、適当に邪魔にならない道の端に自転車を止めた。


「よーし、じゃあ先に行ってちょっと準備してくるわ。行くぞ、理久!」

「えっ?あぁ、うん、分かったよ」


 昨日のデジャブかのように、健吾が理久を引き連れて我先にと河川敷へと下りて行った。理久も、既にそのパターンは当たり前かのように自然に健吾について行った。


「じゃあ、階段だし私たちはゆっくり行くよ。だから、昇と井川先にどうぞ」


 前にいた原田が、少し脇に退いて俺達に道を開けてくれた。


「おう、じゃあお言葉に甘えて先に行かせてもらいます」


 亮は、おじさん臭く片手で拝むようなポーズを取りながら原田と芹沢の横を通り過ぎて階段を下りて行った。


「じゃあ、先行くな」


 俺も、亮に続いて原田と桜の横を通り過ぎた。


「昇」


 その時、何故だか原田に声を掛けられた。


「うん、何だ?」


 何事かと足を止めて原田の方を見た。


 すると、原田は満面の笑みで俺に言った。


「昇、良かったね。桜と仲直りできて」


 それは、あまりにストレートな言葉だった。


「えっ?あっ、まぁ、その…」


 まさか、原田からそんなことを言われると思っていなかったので、咄嗟に言葉が出てこず、しどろもどろになってしまう。


 ただ、そうして戸惑っている俺に対して、原田は「あはははは!」と笑い声を上げた。


「なーに、照れてんのよ!良いから、早く先に行きなよ!」

「…って、お前が突然そんなこと言うからだろ!」


 照れてると言われたことで逆に顔が熱くなるのを感じて、思わず大きな声が出た。しかし、そんな俺の反応が更に面白かったのか、原田はケラケラと笑い続けていた。


 これ以上原田に絡んでいくとからかわれる一方なので、すまし顔で階段を下りていく。


「どうした?何か、原田大爆笑してるみたいだけど?」


 先に下まで下りていた亮が、こちらを見上げながら聴いてきた。


「いや、別に大したことじゃないから、気にすんな」


 桜と仲直りしたことを茶化された、なんてことは当然言えるわけもないので、はぐらかして亮と連れ立って河川敷を歩いて行った。


 少し遠くの方で、健吾のはしゃいだ声が聞こえてくるので、それを頼りにそちらの方に向かって行く。


「健吾のやつ、何であんな元気なんだよ」


 そう言いながら、亮は笑っていた。


「だな。俺達は、もうフラフラだっていうのに」


 俺も、亮に同意だ。というか、結局ゴールしてみたら、俺たち二人以外は案外まだ元気が残っているように見える。これが、部活を真剣にやってた組(健吾はシンプルな体力お化け)との差か、と思い知らされる。


「というか、改めて俺たちよくゴールできたよなー」


 頭の後ろで手を組みながら、亮がしみじみと言った。


「多分、明日とかは筋肉痛であちこちバキバキなんだろうけど、結局こうやって無事ゴールできてるんだもんな」

「それこそ、高校生の体力様様だな」


 そう言って、俺も笑った。


「まぁ、とは言っても俺たちは一人で漕いでたわけだけど」


 急に亮の口調にからかいの色が混じった。


「昇は、最後は芹沢を乗せてここまで来たわけだから、もっと大変だったろうな」


 見ると、亮はニヤニヤ笑いながら俺の方を見ていた。


 そんな亮の様子に、俺も笑いながら答えた。


「まぁな。二人乗りって久しぶりにやったけど、やっぱり一人で乗るのとは全然違うのな。一応大変だった」

「なるほど、『一応』ね」


 亮はまだニヤニヤ笑いを止めないが、その顔はなんだか本当に嬉しそうに見えた。


「おう。それ以上に、また芹沢と話せるようになったから良かった」


 俺は、真っ直ぐに亮を見て言った。


 すると亮は、意表を突かれたようにキョトンとした表情を浮かべた。


「それも、亮や他の皆のお陰だよ。本当にありがとう」


 それは、心からの感謝の気持ちだった。


 あんなハプニングがあったとしても、それまでに亮や理久,そして原田や健吾も色んな場面で俺たちのことを気遣ってくれて、色んな言葉を掛けてくれた。それがなかったら、絶対俺はあの場面で桜に声を掛けなかったし、一緒にゴールをしようなんて思わなかった。


 だから、今のこの状況があるのは、他でもない皆のお陰だ。


 そして、この旅に誘ってくれた、亮のお陰だ。


「…何だよ、急に」


 亮は、照れたのか目を逸らしながら言った。


 でも、そうして前を向いた顔には、隠しきれない嬉しさと微笑みがあった。


 だから、俺も前を向きながら笑った。


 今、これ以上の言葉は亮に掛けなくても良い。


 だって、俺たちは昔からの幼馴染みで、一番仲の良い友人だ。


 そんなやつに、これ以上感謝の言葉を掛けるのは、俺の方がこそばゆくなるし、亮もこれ以上は勘弁だろう。


 これ以上言葉を重ねなくても、充分に伝わっている。


 そう思えるくらい、俺たちはお互いのことを知ってる幼馴染みなんだから。


---


 からかわれて、慌てて階段を下りていく昇の背中を、由唯と一緒に見つめていた。


「あー、おかしい。見た?昇の慌てよう」


 目尻に浮かんだ涙を拭いながら、由唯は言った。


 と言っても、さっきの由唯の発言とそれに対しての昇の反応は、私にとっても恥ずかしいものなんだけど。


「そうだね。凄い慌ててた」


 でも、それを由唯にはバレないように笑って答えた。バレたら、今度はからかいの矛先が私になっちゃいそうだ。


「よし、じゃあ私たちも下りようか。桜、大丈夫そう?」


 そう言いながら、由唯は紳士よろしく先に階段を一段下りて、私に手を差し出した。その仕草は、まるで王子様のようにスマートで格好良い。


「ありがとう、王子様」


 だから、私も戯けるように言った。


「いえ、姫。当然の事ですから」


 由唯もノリノリで、ほんの少しの会釈をした。その仕草に、また笑ってしまった。由唯は、格好良いのも似合っている。


 ふと、そんな由唯の姿をじっと見つめた。


 由唯は、この二日間本当に私に対して色々やってくれた。


 行きも帰りも、一緒に楽しく話をしてくれて、しんどくなりそうな時はすぐに気付いて声を掛けてくれた。


 昨日の夜、落ち込んだ私の話を聴いて、私の分まで一緒に怒ってくれた。


 私の願いを叶えようと、色んな気を回してくれた。


 由唯がいなかったら、きっと今私はこんな風に笑えてなかったと思う。


「由唯……本当に、ありがとう」


 気が付いたら、自然に涙が零れていた。


 それは、今の自分自身の感情を表しているように、静かにゆっくりと頬を流れていった。


「由唯がいなかったら、私…私…」


 伝えたい想いは沢山あるのに、あり過ぎて言葉が出てこない。喋ろうとすればするほどに、代わりに流れてくるのは止めどない涙だ。


 そんな私を、由唯はゆっくりと抱き締めてくれた。


「何言ってんの?親友だもん。当然でしょ?」


 本当に、そんなことは当たり前だというように、由唯はあっさりと言った。その声は、私を包み込むように優しかった。


「私は、桜が頑張ってきたのをずっと見てきた。私たちがしたのはただのお節介で、本当に頑張ったのは他でもない桜だよ」


 そして、由唯はゆっくりと身体を離すとじっと私の目を見て言った。


「だから、そんなに泣かないで。もう、『海に向かって』も本当に終わるんだから、最後はパーッと楽しまないと!それこそ、昨日の分もさ!」


 そう言って、由唯はもう一度私に手を差し出してきた。


 私は、涙を拭いながらその由唯の手を取った。


「…うん!そうだね!」


 そして、思い切り笑って答えた。


---


 花火の閃光が、真っ暗な原っぱを照らし出していた。


「うおー!やっぱこれだなー!」

「綺麗ー!」

「おう、やっぱり完走した後の花火は格別だな!」


 皆、それぞれ花火を手に持って、思い思いに楽しんでいる。


 健吾は、手持ち花火を両手に持って振り回してはしゃいでいて、そんな健吾の後ろからゆっくりと火がついた花火を持って不敵な笑みを浮かべた原田が近付いている。


 理久は、花火で空中に字を書いて楽しんでいて、それをすかさず亮が剣豪よろしく縦に横に花火で一刀両断していく。


 尻に火を点けられそうになった健吾は、カチカチ山の狸のように「止めろ、燃えるー!」と両手を大きく広げながらバタバタ走り回り、文字を次々に切り裂かれた理久は、「亮ー!」と叫びながら花火で亮に斬りかかっていく。


 皆が馬鹿やってはしゃいで、心の底から本当に楽しそうだった。


 「海に向かって」を完走できたその達成感と、本当はもう動けないくらいの疲労感と、そして終わってしまったんだというほんの少しの寂しさと。


 それら全てをまとめて発散させるかのように、皆ではしゃいで大いに盛り上がった。


 花火が燃え尽きたら、また次の花火を点けて明かりを灯す。


 昨日皆でできなかった分、花火はまだまだ沢山あった。


 これは、まだまだ終わるまでには時間が掛かりそうだ。


 俺も、適当な花火を手に取って火を点けた。目の前で眩い光が弾けて、その輝きに目が眩む。


「昇、火もらってもいい?」


 座り込んでいた桜が、手に取った花火を俺の方に向けてきた。


「おう、良いぞー」


 俺も、桜に近寄って、差し出された桜の花火に火を点ける。桜の花火も点くと、二色の光が交錯する。


「うわー!」


 桜の歓声がすぐ近くで聴こえた。


 その歓声を聴きながら、俺も笑顔になる。


「綺麗だな!」

「うん、綺麗!」


 そうして、お互いに顔を見合わせて笑い合った。 


 それはまるで、遠い昔に皆で花火をした時のように。


 二人隣同士で、笑い合いながら夜に耀く花火を見つめていた。


---






 海に向かって、


 俺はまた、桜のことが好きになった。


 気付くのはあまりに遅かったし、こんな風にならなければ気付けなかった自分自身にほとほと呆れてくる。


 桜自身が俺のことをどう思っているかは分からない。


 随分傷付けた。随分泣かせてしまった。


 きっと、本当の罪滅ぼしはここからだ。


 でも、今の俺達は「ここから」がある。


 「海に向かって」が終わっても、また俺は桜と会うことができる。


 いつか、この気持ちを伝えられる日が来るのかもしれない。だけど、それはいつになるか分からない。


 それこそ、この旅で桜と話をするということだけであんなにも一喜一憂していたくらいだ。この気持ちを伝えることができるのかなんて、今の俺では全く想像ができない。


 でも、良いんだ。


 旅が終わっても、俺達の関係はこれからまた始まっていくんだから。


「昇、早くおいでよー!」


 桜が呼んでいる。心からの、満面の笑顔で俺に手を振ってくれている。


「あぁ、今行くよー!」


 俺も、そうやって笑いながら桜のすぐ側に駆け出していく。


 そう、俺達はこれから向かっていくことができるんだ。



――昨日とは違う、新しい明日に向かって。


                                            Fin.

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海に向かって ひふみん @kazu5296

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