待つとし聞かば[2]

 凍りついていると、たえちゃんはタンメンから顔を上げて薄く笑った。

「大丈夫だよ。お金は全額以上もらってるし、兼子さんにはバレてないし」

「そういう問題じゃ……」

 鼓動が速い。

 兼子さんと寄り添う沖くんの姿が目に浮かび、いたたまれない気持ちになる。

 そしてもちろん、たえちゃんの身体も心配だった。

「……身体はもう、痛くないの」

「まったく違和感ないとは言えないけど、でももう全然平気。休養したし」

 兼子さんのぽってりとした唇とは違う、たえちゃんの薄い唇を見つめる。

 その唇に沖くんは触れたのだろうか。どんな顔して。

「いつからそんなことになってたの」

「食べなよ、衣織」

 促されて、割り箸を握ったまま固まっていたことに気づいた。

 辛味の効いたスープをすすりながら、頭の中を整理する。

 もう済んだこととは言え、なんだかすごく、すごくすごくやりきれなかった。

「言っとくけど、沖くんだけが悪いわけじゃないからね。セックスってひとりでできるもんじゃないんだから」

 たえちゃんの言葉に、焦って周囲を見回す。

 隣りのテーブルで定食を食べている男の子が、ぱっと目を逸らすのが見えた。


 そんな衝撃を受けたあとに、なぜすんなり教授室の扉を叩いてしまったのか、自分でもうまく説明ができない。

 学期が変わるたびにメール添付で送られてくる教授の担当授業の時間割や、他大学への出張授業の予定が、まだ頭に入っていたことがおかしかった。

 月曜のこの時間は、教授は部屋にいるはずなのだ。

 学生団体の反対を受けながら昨年完成した豪奢ごうしゃなビルに入っている教授室フロアの隅に、岩槻教授の部屋はある。

 トン、トトトン。

 トン、トトトン。

 ふたりだけの取り決めのリズムでノックすると、扉が内側からがちゃりと開かれた。

 久しぶりに至近距離で直視する教授の顔よりも、その部屋の匂いにわたしは懐かしさを覚え、軽く目眩がした。

 教授の愛する、アメリカ煙草の匂い。


 教授は何も言わずにわたしの腕を室内に引っぱりこみ、すぐさま施錠した。

 いつかの誕生日にわたしが選んだ象灰色のネクタイに、秋冬の間好んで着用しているアイボリーのベスト。

 年齢のわりに豊かな髪には、最後の逢瀬のときより白髪が増えている。

 教授はものも言わずにいきなりわたしを壁に押しつけ、手首をつかみ、強引に唇を重ねてきた。

「ちょっ、……んん」

 むさぼるようなキスに抵抗しながらも、こうなることはわかっていたはずだ、と心のどこかで冷めた自分が言っていた。

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