願わない心[3]

「……そうなんだ」

 アイスマサラチャイをすすりながら、わたしは兼子さんの口元を見つめる。

 兼子さんが、わたしより早くキリさんに出会っていたなんて。

「すっごいきれいな顔なの。男性だと思って会いに行ったから、あれっ? ってなったんだけど、男性は男性なの。でも、首から上は完全に女」

「……すごいね」

 動揺を悟られないようにうなずきながら、ナンをちぎった。

 既にこの話を聞いているらしい沖くんは、黙々と手と口を動かし続けている。

「2年前の卒業生だって。卒論はね、鷗外だって」

「へええ」

「ああいうのなんて言うんだろうね。中性? ユニセックス? トランスなんちゃらかな」

 なんとなく、言えない。

 そのひととこの間デートして、次の土曜にも会いますだなんて。

「あ、すみませえん、ナンお代わり」

 沖くんが叫んだ。

 テーブルを回っていたインド人の店員がにっこり笑って厨房に引っこみ、やがて、ぱんっ! ぱんっ! というナンの生地を叩き伸ばす音が聞こえてきた。


 兼子さんがトイレに立ったとき、わたしは少しほっとした。

 キリさんの話題からいったん離れたかったのだ。

後松うしろまつさんてさあ」

 マンゴーラッシーを飲んでいた沖くんが、突然たえちゃんの名前を口にした。

「え」

「今週、学校休んでる?」

「え、うん、月曜から休んでる」

「あー、やっぱり。なんでかって聞いてる?」

「ああ、体調悪いんだって。ちょっと寝こんでるみたいなこと言ってたけど……」

「ふーん」

 ずずずず。

 マンゴーラッシーはすっかり吸い上げられてしまい、グラスの中は氷だけになっているのに、沖くんはストローをくわえたまま遠い目をしている。

 不在の理由を気にかけるほど、沖くんはたえちゃんと仲が良かっただろうか

 どうして、と訊こうとしたとき、兼子さんが戻ってきてすとんと席に座り、

「あー、あたしもラッシーにすればよかったなあ」

とつぶやいた。


 こっちが誘ったのだからと兼子さんが多めに支払おうとしてくれて、いやいや割り勘で、と押し問答していたら、結局沖くんがまとめて全部払ってくれた。

 さらりとスマートな振る舞いを見せられて、沖くんがモテるらしいという噂は本当なのだろうと思う。

 駅での別れ際、

「あ、そうだ」

と沖くんが言った。

「ちょっと先だけどさ、クリスマスにさ、みんなで岩槻先生んち集まらないかって話が出てて」

「まだ、うちらふたりで話してる段階だけどね」

 兼子さんが笑う。

 教授の家に――。

「まだちゃんと受賞おめでとう会やってないし、卒論もそこで一度見てもらえばいいしさ」

「OB訪問したときのひとも言ってた。教授んち大きくて、奥さんも優しくてウェルカムなんだって」

「そうだね、いいかもしれないね」

 精いっぱい興味を引かれた顔を作って、同意する。

 JRの駅へ向かうふたりを見送って、地下鉄の駅へ向かいながら振り返ると、雑踏の中で兼子さんが沖くんの腕に腕を絡めるのが見えた。

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