不思議なデート[5]
「えっと」
頭上に鳥のさえずりを聴きながら、わたしは口を開く。
「まあ……もちろん好きだから付き合ってきたわけですけど、最近はぐずぐずになっちゃいました」
へへ、と自嘲気味に笑ってみるけれど、キリさんは笑わない。
「入学した直後くらいにテレビで教授のこと知って、3年生になったら絶対このひとのゼミに入りたいと思って、何度も教授室に足を運んでたんですよね。……そしたらいつのまにかずぶずぶですよ」
自分が専攻しようと思っていた近現代の文学史についての番組を録画してみたら、解説をしていたのが自分の大学の
誰にでもわかる平易な言葉と豊かな表現で説明する岩槻教授に、わたしは心酔した。こんなすごいひとが自分の大学にいたのかと驚いた。
その何とも言えない渋くて滑らかな声は、しばらくわたしの内耳に住みついてしまった。
リサーチすると、岩槻ゼミの競争倍率の高さを知った。それで、まずは名前と顔を覚えてもらうため、思いきって教授室の扉を叩いたのだった。
今にしてみたら、よくあんな大胆なことができたものだと思う。
「おかしいですよね、30歳も年上なのに。向こうにしてみれば若い子なら誰でも良かったのかもしれないし、こういうことも初めてじゃなかったのかも」
へへへ、とまた笑ってみたら、鼻の奥がツンとして、泣き笑いのようになってしまった。
池の水面に映るビルの影が、揺らめいて見える。
「衣織ちゃん」
キリさんの穏やかな声が、やさしく鼓膜に届いた。
「『待つとし聞かば』の
「……」
「そういうことなんじゃないのかな」
「そうでしょうか」
「俺はそう思ったよ」
何通りにも解釈できる結末だった。その自伝的とも読める深遠さが様々な憶測を呼び、文壇で話題になったのだ。
わたしは違うと思いました。そう言おうと口を開きかけたとき、キリさんが立ち上がった。
「でもだからって、衣織ちゃんの若さや貴重な青春を搾取していいとは思わない」
浜離宮の美しい景観に向かって呼びかけるように言うキリさんが、急に「男」に見えた。
「22歳の女の子にそんな顔をさせるのが大学教授のすべきことだとは思えない」
「キリさん」
急に胸がいっぱいになって、わたしは彼の名前を呼んだ。
「ありがとう」
彼がわたしを見下ろす。その瞳に光が宿る。
秋風が吹き抜けてゆく。
ああ、これはなんて不思議なデートなんだろう。
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