チャッピー

「あの子犬誰か飼わないかな? 野良犬の親子がこの辺うろついていたんだけど、親犬が車にひかれて死んでいたよ。子犬もこのままだと車にひかれるのは時間の問題だと思うな……」

そう言って同じ社宅に住む同僚が指さしているのは、小雨が降る中、歩道をトボトボと寂しげに歩く薄汚い白い子犬。

その子犬の話しは、社宅の面面にすぐに知られた。


頼まれるとなかなか断れない性格を見抜かれていたのか、社宅の同僚たちが飼い主の候補に推したのはわたし。


どうしても子犬を見捨てられず、許可を取って社宅の敷地内のスペースで飼う事にした。


わたしは白い子犬にチャッピーと名付けた。初めて飼う犬に少しわくわくしていた。


飼い始めて2日後の朝、チャッピーがぐったりしていたので動物病院に連れて行くと、獣医に言われた。「感染症にかかって既に発熱してるから、このままにしておけば数日の命だよ」

そこで1本1万円もする注射を2回打つと、その甲斐あってチャッピーは元気になっていった。


すくすくと育ったチャッピーは白い中型犬になった。


砂浜を喜んで走るチャッピーを想像しながら海に連れて行くと、波を怖がって海と反対側の雑木林の斜面を登り降りてこない。仕方なくチャッピーと少し遠くから海を眺めたわたしは、自分も子供の頃海が怖くて、海水浴に行っても一人で遠くから海を眺めていたことを思い出した。『飼い主に似るって本当だな』


犬はどの位の高さからなら飛び降りられるか、それぞれ感覚があるはずだ。でもチャッピーは『そこから降りるのは無理だよ』と思うところから飛び降りる、というか自ら落ちる。当然着地はできず、顎を思い切り地面にぶつける。チャッピーの顎を受けた地面はへこんでいた。

『……変わった犬だな』想像していた素敵な愛犬ライフが少しずつ崩れていった。



わたしの部署では、わたしだけが資格保有者だった。そのせいあって休日出勤が当たり前だった。激務に追われ、かなり疲労していた。後から聞いた話しだが、わたしの前任者は過酷さのあまりたった2ヶ月で退社したそうだ。今考えれば完全にブラックだった。そんな状態だったから徐々に散歩も連れていけなくなったし、しつけも出来なかった。それでも運動がてら毎日のように散歩に連れて行ってくれる、部署の違う心優しい友人が1人いたからとても助かった。


チャッピーの力の強さを考えて、体重以上の強度のワイヤーに繋いでいたが、ある日、チャッピーはそれをちぎった。わたしは同僚からチャッピーがいなくなったことを聞き、上司の許可をもらい探しに出た。すると近くの民家の飼い犬の足に噛みついているではないか。「なんでこんなことするんだよ……」と、チャッピーを睨み、泣きながら足から血を流す飼い犬をかばう小学生を見て、本当に申し訳なく思った。

この民家には同じ会社の人が住んでいた。怒っていたが、「同じ会社の人間だからあまり事を大きくしないから」と、かなり仕方なく許してくれた。


又、夜中に吠えて同僚から文句を言われ『もうチャッピーなんていなくなってしまえばいいのに』と感情的になったこともあった。


飼うのに苦労する犬だったが、わたしにはとても大切な家族だった。わたしを愛して慕ってくれていた。そのチャッピーの愛情は、自分が今まで他に経験した事のない愛情だったように思う。仕事が終わり、夜遅く撫でてあげる。仕事の合間に遊んであげる。……チャッピーのために少しの時間しか取れなかったが、それでもチャッピーは喜んでくれた。チャッピーを撫でると何故か安心した。犬の飼い主に対する愛情は本当に凄いと思う。



結婚する事になり、嫁を初めて見た時、飼い主になる人だとすぐに理解したチャッピー。わたしに対するそれと同じ態度で嫁に接していた。兄が遊びに来たときは吠えて威嚇し、兄は一歩も近付けなかったというのに……。





わたしは激務でとうとう倒れてしまった。結婚して、たった1ヶ月後に。


職場を離れる事になり、チャッピーを引き取ってくれる同僚を探したが、見つからなかった。今後どうするか悩んでいた時、嫁の母親が声をかけてくれた。「家に連れて来なさい。うちは一匹増えてもあまり変わらないから」


チャッピーは嫁の実家で放し飼いされている、まるで野良犬のような犬たちの仲間になった。引き取ってくれた嫁の両親には感謝で一杯だ。本当に。でもわたしと一緒に住まなくなってから、チャッピーは痩せた。飼い主が変わるストレスは大きかったのだと思う。『チャッピーは、感情が豊かでデリケートな犬だったんだ』


それからしばらくして、チャッピーは死んだ。


口をパクパクさせながらジャンプして、飛んでいる虫を食べようとしたそうだ。そこへ低空で飛ぶ大きな虫がやってきて、チャッピーはそれを食べた。それがスズメバチ。口の中を刺されたに違いない。「キャン」と一鳴きして倒れたそうだ。





チャッピー……。

結婚するまでわたしの唯一の心通う家族であり、わたしを愛してくれた存在。

最後はスズメバチを食べて死んでしまった変わった犬。


今はただチャッピーに申し訳なく思う。

『ちゃんと面倒をみてあげたかった……』

後悔が残る。



チャッピーの思い出話しをしたら嫁が言った。

「あなたはチャッピーに似ているよ!!犬は飼い主に似るって言うじゃん」

「えっ、ど、どこが?」

変わった犬だったから、どこが似ているのか気になって仕方ない。


「チャッピーみたいに本当は元気な人なんじゃない?いろいろ今まで不運があって、体も精神も壊したけど……あなたの人生はきっとこれからだよ、もう中年だけどね。アハハハハハ」


「あ、ありがとう……」


わたしの側にいてくれたチャッピーと、今側にいてくれる嫁に感謝だ。


犬は飼い主に似る……『そうだ、スズメバチには注意しなくちゃ』

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