結婚する前の峠のドライブ

嫁が留学先から帰国して少し経った頃。(その頃はまだ嫁ではないが)自動車教習所に通い始めた。彼女は自動車免許を習得するのにえらく苦労したようだ。


「ひらめき」で動く傾向のある彼女は、路上試験で『少しだけ近道』と思って歩道を走ろうとした。当然卒検は不合格。その他色々あって、半年の期限ぎりぎりでの取得となった。



当時、わたしは「いすゞジェミニ」に乗っていた。イルムシャーというスポーツグレードだったから、サスペンションは硬くエンジン音は大きい。おまけにマフラーを変えてパワーアップさせていた。勿論マニュアル車。


好きな人にしか乗れない個性的な車だった。だが、上り坂でもぐんぐん加速し、連続するカーブをなんの苦も無く走れるその自動車に、彼女は惚れ込んだ。


あの神経症の彼女が……


『これも縁というものなのだろうか』



ある日、綺麗な景色を見るために、ジェミニに乗って峠を走った。


お付き合いをしていたその頃、スケジュールの調整が難しかったから、貴重なデートだった。


晴天の休日とあってか、峠の途中から大渋滞。

クラッチ重めのマニュアルのスポーツタイプ、上り坂の大渋滞はキツイ!


「疲れたでしょう、運転変わるよ!!」


『少しだけ運転を任せてみよう』峠の途中でわたしは助手席に座った。



「左足が疲れて抜けちゃいそう……!」

重めのクラッチに苦戦しながらも、彼女は峠の渋滞に果敢にチャレンジしていた。


『なかなか半クラッチが上手い』


しかし、途中で……

エンジン音だけ次第に大きくなるが、自動車はなかなか走り出さない。やがてゆっくりと前進し始めたが、普段とは明らかに違うエンジン音と自動車の動き。


「なんだ、 どうした?」

わたしは『クラッチが故障したのか』と思った。


「あっ、3速だった!!!」


「えっつ?3速で発進したの?」


「間違えちゃった」



急な上り坂を5段ギアがついた自転車で登る事を想像してほしい。

間違いなく1段のギアで登るだろう。3段で登り始めれば、どれだけ腿に負担がかかることか。おそらく、重すぎてペダルはこげない。


同じ負担がクラッチ版にかかっていた。


「ねえ、なんか焦げ臭いよ、山火事かな?」彼女は自動車の窓を開けて外を確認していた。

 

確かに相当な焦げ臭さが車内に充満していた。


「山火事ではないよ、クラッチ版が焼けた匂いだと思うよ……」


『ただでさえ坂道発進を繰り返してきたんだ。クラッチ版には相当な負担がかかっていたはず、そこへきて3速で発進したのだから、クラッチ版もたまらなかっただろう』


焦げ臭さはしばらく消えなかった。


彼女は自分のミスを気にしていたが、わたしは感心していた。


あの上り坂を3速で発進させた免許取りたての彼女の技術と、あの上り坂を3速で発進したわたしの愛車の性能に……。


彼女と、わたしの愛車は相思相愛だったのだ。

車好きのわたしには、それがとてもうれしかった。



今でも嫁は時々言う。

「ジェミニさー、レカロシートでさー、あのMOMO製の革のハンドル良かったよね~それに高速ではびしっと安定しててさー」


嫁とは自動車の趣味が合う。


『やっぱり……これも縁なのか』

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