クリスマス

12月に入ると、いたるところでケーキの予約が始まる。


わたしは子供の頃、砂糖が入っているお菓子をめったに食べたことがなかった。

牛、豚、鳥類の肉も、魚介類も食べたことが殆どなかった。

牛乳さえ飲むことができなかった。

信じがたいことだと思われるだろう。


母の食事に対する健康志向のこだわりは、とても強かったと思う。

食べ物に厳しかった。というか今考えるとちょっと異常だ。

その健康志向は有名で、親戚や知人の知る所であった。

それを知っている人から、隠れて時々お菓子を貰った。

それはそれは天にも昇る気持ちだった。


わたしはいつも「食べたい」欲求にかられていた。

まだ食べたことの無いチョコレートパンとやらに囲まれて寝るのを夢に見ていたほどだ。

『肉って、どんな味がするのだろう? ラーメンって? 本物の餃子って? 麻婆豆腐って?(いつも大豆を使った肉もどきだった。)菓子パンって? ドーナッツって?ケーキって? 生クリームって? お菓子って? 』


わたしは特にケーキに憧れていた。


クリスマスケーキを食べる事は、夢の又夢だった。


父親の仕事の関係で、小学校から「特定の私立校」以外の選択肢が無かった。

ということで、あこがれの学校給食も食べる事が出来なかった。

給食だけでも食べることができたなら、肉の味を知れただろう。

毎日、母が作った弁当だった。

毎日作ってくれたことは感謝なことだが。


家を出て都会で暮らし、食べたい物を食べたが、いけないことをしているのではないかという「刷り込まれた罪悪感」のようなものが残った。

全ての食材を何の抵抗もなく食べられるようになるまで時間がかかった。


クリスマスシーズン。

子供の頃叶わなかったクリスマスケーキが、未だに頭に浮かぶ。

なかなか忘れられないものだ。


嫁がスーパーのクリスマスケーキのチラシを持ってきた。

「予約したら?」


その言葉が嬉しかった。


でも、問題があった。

嫁はクリスマスにトラウマがあるのだ。

だからクリスマスケーキは食べられないのだ。


嫁の両親はキリスト教徒だった。クリスマスになると、あちらこちらの教会で、近隣の方を招いたクリスマスコンサートが企画される。ピアノが弾ける嫁は、近隣の教会からクリスマスコンサートのピアニストを頼まれた。教会だけではない、教会員が院長を務める病院のクリスマスコンサート。外国人の友人が企画するクリスマスコンサート。それらの依頼が嫁本人にくるのではなく、嫁の母親にくる。母親は教会の依頼を決して断らない。皆それを知っているので嫁の母親に依頼が来るのだ。嫁が「断って」と頼んでも、そこは断固として断らなかった。


嫁は毎年12月に入ると、コンサートの練習のために大忙し。そして25日が近づくと連日のコンサート。

肩が凝りやすい嫁は、そうとう我慢をしてピアノを弾いたようだ。

全てのコンサートが終わると熱を出した。


今の田舎に越してからは、ピアニストから解放された。


ちなみにわたしたちは、二人とも特定の宗教を信じてはいない。


音楽が好きな嫁は、クリスマスソングは大好きだ。

でも、クリスマス自体はもう懲り懲りなのだ。

特に「クリスマスだから」という名の元に行われる事が。


「クリスマスケーキを食べる」はそれに値してしまう。



チラシをみながら「ケーキ注文したら一緒に食べてくれるの?」

とりあえず聞いてみるが嫁の返事はない。


『一人で食べるのは寂しい。むしろ一人で勝手に食べて満足できる自分だったらいいのに……』

そう願ったところで変わらない。


しばらくして、嫁は「じゃーさ、24日はどこかで食事しようよ、クリスマスとか関係なく普通にさ!」と提案した。


それは無理だった。

仕事だ。当日は遅くまで仕事が入っていた。


でも、嫁もわたしも本当は外食が理想だった。

クリスマスを意識しない外食。

それがお互いにとって win-win だ。


『取り合えずスケジュール変更をクライアントに話してみよう』


結果、何の問題もなくスケジュールを空ける事ができた。


レストランを予約。

夫婦が営む普通の洋食レストランは、クリスマスだからといって特別な企画はしていなかった。

『いつものメニューをお楽しみください』

そんな雰囲気が、かえってありがたかった。


イブの夜。

クリスマスとは関係のない普通の、だけど特別な夕食。

仕事帰りに待ち合わせしたため、わたしと嫁の自動車が駐車場に並んだ。

同じ色の同じ車だ。


おいしかった。

楽しかった。

嬉しかった。


嫁が小さな声で言った。

「メリークリスマス」


「えっ?もう一回言ってよ」


「もう絶対言わない」


嫁も楽しそうだった。



帰りに近くのスーパーでケーキを買った。

家に着くなり、嫁が「甘いもん欲しくなった」と言ってケーキを一人で食べ始めた。


『そっ、そうだ。クリスマスと関係無くしてしまえば、嫁は食べたいときにケーキを食べるんだ』


わたしもその場でケーキを食べた。

「甘い物って、なんか突然食べたくなることあるよね」なんて言いながら。


『ケーキ一緒に食べれた』


心の中で言った。

『メリークリスマス。ありがとう、わたしのお嫁さん』

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