第17話 質舗の主

 浴堂よくどうで教えてもらったとおり、そこからほど近い裏通りに質舗があった。桂舜たちと入れ違いにほくほく顔の誰かが店から出てきて、軽い足取りで夜市の方角へと消えていく。


――なるほど。

 星衛がおとないを入れると、帳場には人の好さそうな中年男が灯りのもとで帳面を繰っていた。預け入れか請け出しかを問われて桂舜は質札を出す。


――それにしても、ここには何が預けてあるのだろうか?


 主人は質札を持って奥に消えたかと思うとすぐに文箱を持って戻って来た。見事な螺鈿細工の逸品である。

「では、おあしを頂戴いたします」

と言われたところで、桂舜ははたと困った。なけなしの現金は浴堂で使ってしまい、もう持ち合わせはない。助けを求めて星衛を見やるが、相手も眉を寄せて首を横に振るばかりである。


「ええと、忘れてきてしまったのだ。ただ、急ぎだからこれを……」

 とっさに思いつき、髷から白玉の簪を抜きとって見せる。それを手に取り検分する男の眼が鋭くなった。

「後日必ず持ってまいるゆえ差し当たりこれで、というわけには行かぬか」

 てっきり断られると覚悟していたが、意外なことに男は顔をあげると頷いた。そして咳払いを一つすると、

「実は、この簪を持って来られた方には、既に一つ我が店でお預かりしているものがございます」

「え?どういうことだ?」

 桂舜と星衛は顔を見合わせる。むろん、この質舗に来たのは今夜が初めてなのであるが……。


 少々お待ちをと言い置いて、主人が奥に引っ込む。今度は先ほどよりずっと時間がかかり、桂舜は多少は苛立ちながら待っていたのだが、戻って来た主人が錦の袋から出したものを見て、あっと息をのんだ。

「それは……」


 白い半透明の肌に、絡み合う二頭の龍の彫刻。いつぞや、公子が崩れた橋のたもとで貧しい母子に与えたはずの佩玉だった。まれに見る良い材質と精緻な細工とで、二つとない品である。主は「ふふふ」と笑いを漏らした。

「何しろこの質舗の質草全てに匹敵しようかという逸品、厳重にしまっておりましたので持ちだすのに時間がかかり申し訳ありません。この玉に驚かれましたか?

 その言葉を聞くや星衛の剣が鞘走り、男の首筋にぴたりと当たった。

「これ以上何も言うな、でなくば……」

「やめよ、星衛」

 桂舜が制止したのは、このような状況になっても、相手が怯えも震えもせず平静を保っていた様子であるのと、自分の正体を見抜いた理由を知りたかったからである。


――こやつ、只者ではないな。


 星衛の刃から自由となった男は深々と敬礼したあと、簪と佩玉を小さな毛氈もうせんの上に置いた。


「およそ宝飾品の類には職人の名は刻まれぬもの。しかし、中にはその真似しがたい技巧、卓越した腕により、自ずから作者を明かしてしまうものもあります。公子さまがお持ちになりました簪、そして一度は人手に渡ったこの玉は同じ人物――すなわち、名人中の名人である柳三石りゅうさんせきの手になるもの。柳は先代と今の国君さまの御用しか受けなかった細工師として有名で、しかも国君も下賜品には滅多に用いずもっぱら手元で賞玩されていましたから、持ち主も作品の数もごく限られています」


「なるほど」

 桂舜は息をついたが、まだ疑問が残っていた。

「なぜ私がただの王族ではないと――おまけに名まで当てた?」

 男は愉快気な目つきになった。


「母子が質入れに来た時に、私はこれを授けた人物の風体を聞いておりましたし、かねて主上の二の公子さまは都城にお忍びに出るのがお好きで、しかも常に大柄な若い武官を連れ歩いておられるとか」

 桂舜の口が半開きになり、星衛は再び剣の柄に手をやった。

「なぜそんなに詳しいのだ……」

 また男の眼が鋭くなり、身体も一回り大きくなったかのように見えた。


「私はこの通り、裏通りで質舗などを営んでおりますが、姓はおう、名は禄寿ろくじゅと申します。この小さな帳場にも、日々いろいろな知らせが四方八方から舞い込んでくるのですよ」

「翁禄寿……そうか、素雲が啖呵を切ったときにそなたの名を出した、『翁の親分』。そうであろう?」

 酒家や街のそこかしこで「翁」の名は聞いていたので桂舜は納得していたようだが、いっぽうの星衛は憤然たる表情となり、剣を構え直した。


「翁といえば、破落戸ごろつきの親分、闇の顔役として都城でも有名ではないか……こんなところに潜んでいたか。それが、畏れ多くも公子の御名みなを軽々しく!」

 だが、武官は最後まで言うことができなかった。鋭い音を立てて、彼の後頭部を小石が直撃したからである。憤怒の形相で彼が振り返ると、六歳ほどの女児が石はじきの道具を構えて立ちはだかり、星衛の顔面に狙いをつけている。


「父ちゃんから離れろ! 図体のでかい猿め」

 甲高く、だが凛とした声だった。肌の色は白く唇は紅く、はっとするほどの美少女だったが、口の利き方は市場の女将同然で、その懸隔けんかくが愛らしいといえば愛らしい。

白雄はくゆう、おやめ。大切なお客様だ。ちょっと冗談を申されただけだから……その物騒なものをしまいなさい。失礼だろう」

「だって父ちゃん……猿が怖い顔をして」

「いいから、行きなさい」

 優し気な顔に見えて父親の口調には凄みがあり、娘も石はじきを降ろすと鼻を鳴らして奥へと引っ込んだ。


「男のような名前だが、なかなかに愛らしい花だ。娘か?」

 美少女を前にして、桂舜の眼尻がとろけんばかりに下がっている。星衛は仏頂面で剣を納め牽制の咳払いをするが、公子には通じていない。


「ええ、私には娘ばかりですので、最後に生まれたこの子につい男の名をつけてしまいました。泉下で亡妻ぼうさいも怒っているでしょうが。それはそうと、確かにお偉方にとっては私のような者は薄汚い、目の上のたん瘤のような存在です、我が身を『必要悪』と申し上げるほど図太くもございませんし。ただ、いま進行中のある事件に関しては、貴方様がたと私どもは歩調をともにすることができるかもしれませんよ」

「……どういうことだ」

「請け出された、その文箱の中身です」


 桂舜は文箱を見下ろした。

「まさか客の持ち物を探ったのか?」

「そのようなことは決して致しません、店の信用に関わりますゆえ。ただ、推量することはできますからな。お持ち帰りになりじっくり中身をご覧になられれば良いかと。それから、佩玉も簪も合わせてお返しします。この二つは我が店に置いては罰が当たるというもの……」

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