第17話 質舗の主
――なるほど。
星衛が
――それにしても、ここには何が預けてあるのだろうか?
主人は質札を持って奥に消えたかと思うとすぐに文箱を持って戻って来た。見事な螺鈿細工の逸品である。
「では、お
と言われたところで、桂舜ははたと困った。なけなしの現金は浴堂で使ってしまい、もう持ち合わせはない。助けを求めて星衛を見やるが、相手も眉を寄せて首を横に振るばかりである。
「ええと、忘れてきてしまったのだ。ただ、急ぎだからこれを……」
とっさに思いつき、髷から白玉の簪を抜きとって見せる。それを手に取り検分する男の眼が鋭くなった。
「後日必ず持ってまいるゆえ差し当たりこれで、というわけには行かぬか」
てっきり断られると覚悟していたが、意外なことに男は顔をあげると頷いた。そして咳払いを一つすると、
「実は、この簪を持って来られた方には、既に一つ我が店でお預かりしているものがございます」
「え?どういうことだ?」
桂舜と星衛は顔を見合わせる。むろん、この質舗に来たのは今夜が初めてなのであるが……。
少々お待ちをと言い置いて、主人が奥に引っ込む。今度は先ほどよりずっと時間がかかり、桂舜は多少は苛立ちながら待っていたのだが、戻って来た主人が錦の袋から出したものを見て、あっと息をのんだ。
「それは……」
白い半透明の肌に、絡み合う二頭の龍の彫刻。いつぞや、公子が崩れた橋のたもとで貧しい母子に与えたはずの佩玉だった。まれに見る良い材質と精緻な細工とで、二つとない品である。主は「ふふふ」と笑いを漏らした。
「何しろこの質舗の質草全てに匹敵しようかという逸品、厳重にしまっておりましたので持ちだすのに時間がかかり申し訳ありません。この玉に驚かれましたか?桂舜公子さま」
その言葉を聞くや星衛の剣が鞘走り、男の首筋にぴたりと当たった。
「これ以上何も言うな、でなくば……」
「やめよ、星衛」
桂舜が制止したのは、このような状況になっても、相手が怯えも震えもせず平静を保っていた様子であるのと、自分の正体を見抜いた理由を知りたかったからである。
――こやつ、只者ではないな。
星衛の刃から自由となった男は深々と敬礼したあと、簪と佩玉を小さな
「およそ宝飾品の類には職人の名は刻まれぬもの。しかし、中にはその真似しがたい技巧、卓越した腕により、自ずから作者を明かしてしまうものもあります。公子さまがお持ちになりました簪、そして一度は人手に渡ったこの玉は同じ人物――すなわち、名人中の名人である
「なるほど」
桂舜は息をついたが、まだ疑問が残っていた。
「なぜ私がただの王族ではないと――おまけに名まで当てた?」
男は愉快気な目つきになった。
「母子が質入れに来た時に、私はこれを授けた人物の風体を聞いておりましたし、かねて主上の二の公子さまは都城にお忍びに出るのがお好きで、しかも常に大柄な若い武官を連れ歩いておられるとか」
桂舜の口が半開きになり、星衛は再び剣の柄に手をやった。
「なぜそんなに詳しいのだ……」
また男の眼が鋭くなり、身体も一回り大きくなったかのように見えた。
「私はこの通り、裏通りで質舗などを営んでおりますが、姓は
「翁禄寿……そうか、素雲が啖呵を切ったときにそなたの名を出した、『翁の親分』。そうであろう?」
酒家や街のそこかしこで「翁」の名は聞いていたので桂舜は納得していたようだが、いっぽうの星衛は憤然たる表情となり、剣を構え直した。
「翁といえば、
だが、武官は最後まで言うことができなかった。鋭い音を立てて、彼の後頭部を小石が直撃したからである。憤怒の形相で彼が振り返ると、六歳ほどの女児が石はじきの道具を構えて立ちはだかり、星衛の顔面に狙いをつけている。
「父ちゃんから離れろ! 図体のでかい猿め」
甲高く、だが凛とした声だった。肌の色は白く唇は紅く、はっとするほどの美少女だったが、口の利き方は市場の女将同然で、その
「
「だって父ちゃん……猿が怖い顔をして」
「いいから、行きなさい」
優し気な顔に見えて父親の口調には凄みがあり、娘も石はじきを降ろすと鼻を鳴らして奥へと引っ込んだ。
「男のような名前だが、なかなかに愛らしい花だ。娘か?」
美少女を前にして、桂舜の眼尻がとろけんばかりに下がっている。星衛は仏頂面で剣を納め牽制の咳払いをするが、公子には通じていない。
「ええ、私には娘ばかりですので、最後に生まれたこの子につい男の名をつけてしまいました。泉下で
「……どういうことだ」
「請け出された、その文箱の中身です」
桂舜は文箱を見下ろした。
「まさか客の持ち物を探ったのか?」
「そのようなことは決して致しません、店の信用に関わりますゆえ。ただ、推量することはできますからな。お持ち帰りになりじっくり中身をご覧になられれば良いかと。それから、佩玉も簪も合わせてお返しします。この二つは我が店に置いては罰が当たるというもの……」
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