第11話 蝶と牡丹
「まあ、桂舜お兄さま。女官の衣裳をお貸しした後ですぐに御礼にいらっしゃるかと思い、ずうっとお待ちしていたのに」
むくれた顔の異母妹を前に、桂舜は手を首筋にやって苦笑いをした。
「いや、すまんすまん。何だ、そのいろいろと忙しくて……」
公主は兄の言葉もろくに聞いておらぬようで、ひたすらつんつんしている。
「言い訳はようございます、私、存じていますのよ。いかつい男前の武官とばかり戯れて、四六時中一緒にお過ごしのばかりか、微行にも欠かさず連れて行かれているとか」
「なっ……」
兄は明楽の言っている意味がわからず、眉根の
「何を訳のわからぬことを……。それに、星衛は父上に微行の随伴を命じられて仕方なく一緒にいるのだ。第一、そのような根も葉もないことを誰が申しているのだ」
「あら、この
「だから、それは悪意のある見方か、単なる誤解なのだ。なぜわからぬ」
「宮殿の壁にも
これが、自分の殿の女官ならば叱り飛ばしてやるのに……桂舜はすまし顔で公主に
「それで、私への御礼はどうなさるの?」
「ああ、それは……」
懐から出したのは、銀の
「都城の外れに良い銀細工師がいると酒家で耳にしてな」
彼が先日、星衛を連れてあえて城外近くまで足を延ばしたのは、こういう理由もあってのことだった。
まず前もって酒家で客たちから情報を収集し、礼物の製作を依頼する職人を見繕った。探し当てた腕の良いその老職人はいかにも頑固者の風体で、はじめなかなか依頼を受けようとはしなかったが、桂舜が身分もおいて拝み倒したので、ようやく
また、彼は無理を聞いてくれた礼として、品物を受け取った後も何度か通い、そこの老母に宦官たちから聞いた講釈話を演じて喜ばせてやったりしたものである。
「私は無骨ものゆえ、このような場合に礼をどうすべきか思いつかなくて。そなたは既にこのようなものを沢山持っているとは思うが……」
「いいえ、嬉しいわお兄さま。素晴らしい品ですこと。私、一生大切にします」
明楽はさっきの不機嫌もどこへやら、ほんのりと頬を染め、二つの掌で釵を包み込んだ。そこへ、脇から女官が言いにくそうに口を挟む。何となく、鴛鴦殿を訪れると、王妃以下みな自分にどこか微妙な態度になる、そんなことを異母兄は肌で感じ取っていた。
「公子様方、そろそろこちらに主上がおいでになりますから……」
桂舜は、父親との接触は最小限にとどめておきたかったから、それを聞くや妹にいとまを告げ、鉢合わせを避けてさっさと席を立った。
*****
さてその一月後、桂舜は王命を受け特使として
復命のため建寧殿に赴くと、中から入れ違いに数人の官僚が出てくるのが見えた。彼らは公子の姿を認めて恭しく頭を下げたが、うちの一人は見覚えがあった。確か
「遠路はるばるの役目、大義であった」
「恐れ入ります、主上」
王は頷いて労りの意を示し、桂舜はほっとして御前をさがろうとした。
「ああ、そうだ」
父は背を向けかけた息子を引き戻した。
「そなたがかの地に赴いている間のことだが、明楽の降嫁が決まったぞ」
「明楽の? 急ではありませんか?」
驚きに眼を見開く息子に対し、王は首を横に振った。
「前から話が出ていること、そなたも知っていただろう?」
「ええ。ですが、ここへきて急な……」
「そなたはあれの気持ちに気づいていたのか?……まあいい」
「え?」
父親の言葉が気になり思わず聞き返したが、返答は得られなかった。
「では、明楽の降嫁先はいずこに?」
「
「欧陽哲?」
先ほど自分と入れ違いに御前を下がった、恰幅の良い男を思い出した。そして酒家で遭遇し懲らしめた、いけ好かぬ派手な衣装の若者も。
「欧陽は我が涼の開国以来の名門かつ権門で、しっかりした家だ。降嫁先としても不足はあるまい」
「主上、欧陽は確かに権勢のある家ですが、しかし……」
だが、その続きを主上は言わせなかった。父親の眼が底光りを始めたら、それは「撤退せよ」との意なのだ。いくら不肖の息子といえどもそれに気づかぬほどの馬鹿ではなかったから、桂舜は不服をぐっと抑え込み、おとなしく建寧殿を辞した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます