第4話 明楽公主
「お兄さまぁ、お兄さまぁー」
鼻にかかったような、甘ったるい声が自分の背を追いかけて来る。
彼女の後からは、数人の宦官や女官が金魚の糞のようにつながり、やはり小走りでつき従う。
「
はあはあと呼吸を荒くし、頬を上気させて見上げてくる妹に対し、
「いったい何の用だ。私はこれから剣術の稽古があるのだから……」
妹はみなまで言わせず、手にした
「まあ、桂舜お兄さま! お忘れになってしまったの? 今日はお兄さまに私の書のお稽古を見ていただくお約束でしょう?」
「あ、すっかり忘れていた」
そうでしょう? しょうがないお兄さま。だから、わざわざ迎えに来て差し上げたのよ――そう言って得意げに鼻をうごめかす
桂舜のすぐ下の異母妹にあたる明楽公主は
そしてもう一つ、兄妹のうち明楽が最も
「それは悪いことをしたな。でもそんなに後宮を走り回ったり、この間のように馬に乗ったりなどしていたら、お嫁の貰い手がなくなってしまうぞ」
からかいを帯びた兄の言葉に、妹はつんとする。
「あら、お兄さまったらひどい。私はね、お嫁になんて行きません。ずっと王宮で暮らして、お兄さまの側にいます」
「そんなこと、許されるはずないだろう?」
桂舜は声を上げて笑い、妹のふくらんだ頬を指の先でつついた。
本人が果たして知っているのかどうか、この妹に
「柱にしがみついてもお嫁にはいきませんから。ああ、もうくだらない話はいいわ、早く行きましょう、お兄さま」
*****
木剣と木剣ががっちり打ち合わされ、地面に伸びた二人の影が絡まったかと思うと、ぱっと飛び離れた。
「……今日はどうなさいましたか?公子さま」
影の片方が口を聞いた。
「
「師父」と呼ばれた中年男もまた構えを解いた。
「わかりましたとも。集中しているようでそうではない、何かにお気を取られているのでは?」
「さすが涼国随一の剣の遣い手とあれば、動きひとつで弟子の心のうちなどたやすく見抜いてしまうものだな」
兄の件での屈託が、剣の切っ先にも現れていたらしい。
「ええ。ですがこの頃は鍛錬にご熱心なせいか、随分と腕を上げられた。引き続き、たゆまず努力なされよ」
「そうか! 我が腕は上がっているのか」
喜色満面の弟子にふふふ、と笑う剣術師範だったが、ふと真顔になって首をかしげた。
「『涼国随一の剣の遣い手』とはありがたきお言葉なれども、将来にはその呼称も、別の男のものになるやもしれません」
「ほう……それは誰だ? そなたにそう思わせる者がいるなんて」
興味津々の眼つきとなった桂舜を、王準は温かな表情で答えた。
「その者は、いずれ公子さまにお目にかかる栄誉も得ることになるでしょう」
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