逆ハーレムを形成する恐ろしい柴犬。【林道寿々奈視点】
私には前世の記憶がある。この世界は乙女ゲーム。そして私はその他大勢。だけど私は攻略対象に恋をしてしまった。
ヒロインに彼を渡したくはなかった。
私はどうすれば不良系攻略対象の彼を攻略できるか知っていた。ゲームの選択通りにいけば彼はきっと私に振り向くはず。ヒロインではなく、私が彼を射止めるのだ。
そう、思っていたのになぜか彼を攻略できない。
その原因となってるのはおそらく……
「ホラッよしこい、コロ!」
攻略最難関のあの眞田先生がやに下がった顔でもふもふしている……柴犬である。
まだまだ子犬の月齢であるその柴犬は短い前足を伸ばしてお手とお代わりをしている。自信満々にふんすと鼻を鳴らすその愛嬌たっぷりのモフモフはあろうことか、別の攻略対象に飼われているのだという。
柴犬は眞田先生の膝に手を乗っけて何かを探るように匂いを嗅いでいた。
「橘には内緒だぞ?」
先生がそう言って白衣のポケットに隠し持っていたジャーキーを差し出すと、疑いなくもちゃもちゃと食べるその姿はどこからどう見てもただの犬である。
眞田先生はデレデレした顔で柴犬を愛でていた。攻略最難関の眞田先生を柴犬堕ちにさせるなんて、この柴犬はただ者じゃない。
この犬は和真くんにも意識されている。間違いなく、私よりも関心を持たれているのだ。どうして和真くんはこの犬に興味を持つのか、私には理解できなかった。
しばらくこの柴犬を観察していてわかったのは、攻略対象を無差別に魅了しているかと思えば柴犬には好き嫌いがあるということ。生徒会役員の攻略対象は軒並み嫌われている。
その代わり、彼らの婚約者であるライバル令嬢らには愛想を振りまいているのだ。ヒロインにも当然懐いている。
それに加えてモブのギャルにも愛想よく尻尾をふるのに、私のことは未だに警戒しており、撫でようと手を伸ばせば怖がって和真くんの足元に隠れるの! 和真くんに抱っこされて羨ましい! 私も抱っこされたい!
それはそうと……先日和真くんが札付きの不良に拉致されたって時も、あの柴犬が橘先輩たち風紀委員会の面々を誘導して、誘拐先に突入したって話だ。
危険を顧みず救助活動をした柴犬は賢くて勇敢だと評判をよんだ。それから和真くんはあの柴犬をよく可愛がるようになった。
あの犬は何も考えてなさそうなのんきな顔しつつ、和真くんの心の隙間に入り込んでガッチリハートキャッチしている。今ではヒロインよりも油断ならない相手なの!
「キャワワン!」
どこからか飛び込んできた吠え声に、柴犬の三角形の耳がピクリと動いた。
「きゃん!」
柴犬は嬉しそうに尻尾を揺らして正門の外に出ていく。そこには一人の女性と一匹の成犬柴犬がいた。
私は既視感を覚えた。
その女性が生徒会長の婚約者だってことは知ってるからわかるんだけど、既視感はそっちじゃなくて成犬柴犬の方だ。
成犬柴犬はシャツを着ていた。そのシャツの背面にはプリントが施されており、その写真はのんきに笑ってる件の柴犬が…!
……この間、学校の外で眞田先生を見かけたけど、あの柴犬の写真のTシャツ姿でコンビニにいたの。イケメンが柴犬Tシャツ姿よ? 色んな意味で衝撃だった。
あと、和真くんのおうちに行くと、柴犬プリントTシャツのおじさんが出てきたの。あの人和真くんのお父さんなんだって。思わずかわいいシャツですねとヨイショしたけど。
なんでみんな宗教みたいに柴犬Tシャツ着てるんだろう。怖い……
私が恐怖に震えているとは知らないライバル令嬢は柴犬の前で膝を折ると、にっこり笑顔でなにかの服を着せていた。
「あやめちゃん、今度マロンちゃんと一緒にお泊りしにいきましょうね」
柴犬は自分の写真がプリントされたシャツを着せられていた。そして成犬柴犬と並べてペアルック写真撮影をしている。あのシャツの出どころはあのライバル令嬢か……!
その熱量に私は引いた。
柴犬はわかっていますと言わんばかりのキメ顔決めポーズをとっている。
……やっぱりこれは何かの新興宗教なのだろうか。柴犬は教祖様……
「わぁ! あやめちゃんTシャツ! かわいい!」
そこにヒロインがやってきたらもうカオスだ。私の知ってる乙女ゲームはこんなんじゃない。あの柴犬のせいでわんわん物語になりつつある。
ヒロインに懐いている柴犬はちっちゃなしっぽを動かして喜んでいる。それを攻略対象とライバル令嬢が微笑ましく眺めていた。
こんなのまるで柴犬の逆ハーレムじゃない……! なんなのあの柴犬! 怖いんだけど!
犬好きのヒロイン、ライバル令嬢、攻略対象三人が集まって情報交換もとい立ち話を始めた。
柴犬は成犬柴犬となにやら意思疎通をしていたようだが、なにかに反応して校舎を見上げていた。
鼻をひくひく動かしながら、期待の眼差しで正門前におすわりする。柴犬が人の輪から離れた瞬間だ。
──私はこれを狙っていた。
カバンに忍ばせていたわんチュールを取り出すと、ペリッと開け口を開く。そしてゆっくりしゃがむと、にじり寄るように柴犬に近づく。
「こーいこいこい…」
柴犬は私を警戒した様子を見せたが、食欲には敵わないのだろう。わんチュールにジリジリと近づいてくる。
…あなたには私に懐いてもらって、和真くんとの愛の架け橋になってもらうからね……! 和真くんとの恋のためなら、柴犬だって利用してやるんだから…!
柴犬がへっぴり腰でわんチュールに舌を伸ばす。しめた…!
私は勝利を確信してニヤリと笑った。
「──こら、あやめっ!」
その怒鳴り声にビビったのは柴犬だけじゃなく、私もだ。びっくりしてわんチュールを地面に落としてしまった。
柴犬の脇腹に手を差し込んで軽々と持ち上げた人物は、自分の目の高さまで柴犬を持ち上げ、叱りつけていた。
「知らない人に食べ物を貰うんじゃない! 危ないものが入ってたらどうするんだ!」
まるで私が柴犬を害そうとしているみたいな言い方である。流石にひどくないか。
「キャウ、キャヒーン!」
柴犬はなにか言い訳をしているみたいだが、犬なので何言ってるかわからない。
「あ、あの」
「全くもう……帰るぞ」
「キャウキャウ!」
柴犬は飼い主の青年(攻略対象)に俵抱きされた。
私は恐る恐る声をかけたが、スルーされたようである。
彼には柴犬しか目に入らないらしい。近くにヒロインがいるのに、目もくれずに柴犬を抱きかかえてまっすぐ家に帰る攻略対象。柴犬は悲しそうな鳴き声で遠吠えをしている。
ねぇ、その柴犬、魅了の術でも使ってるの?
──全くもって恐ろしい柴犬である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。