狙ってる彼が私の手料理を食べてくれない件【林道寿々奈視点】


 彼の大好物を作ったら、それを冷ましている間にお風呂で汗を流す。ブローに1時間、洋服選びに1時間、メイクに1時間かけて身支度する。

 今日の私は完璧だ。るんるんとスキップしそうなくらい私は浮足立っていた。大好きな人の家に行くのってどきどきしてとても楽しい。

 なかなか振り向いてくれない彼のハートを射止めるため、私は胃袋を落とす作戦に移行した。私の恋心は誰にも止められない。たとえ真のライバルが彼のお姉さんだとしても。


 髪型が崩れていないかを手鏡で確認したら、いざ出陣。ドキドキしながら田端と書かれた表札のインターホンの呼び鈴を押す。

 あ、和真くんの名前が書かれてる……私も和真くんと結婚したらその下に寿々奈って表記されちゃうのかな……きゃあ恥ずかしい!

 ピンポーンと音が鳴った後いくらか時間が経ってから応答があった。


『はい』

「あ! あの私、林道寿々奈と申します! 和真くんはご在宅でしょうか!」


 声質からしてお父さんだろう。初っ端から好きな人のお父さん! 印象良くしなきゃ! 寿々奈、ファイト!


『和真? いま空手道場に行ってるんだよ。後少ししたら帰ってくるけど、中で待ってる?』

「! お願いします!」


 これはチャンスだ。お父さんに私の印象を刻みつけるまたとない機会! 和真くんのお父さんは私のお父さん! そう考えると俄然やる気が出てきた。

 ちょっと待ってね、と言われた後に開かれた玄関のドアから出てきたのは、柴犬……じゃなくて、平々凡々などこにでも居る中年のおじさんだった。そこはいいんだけど、私の視線は彼の着用しているTシャツに集中していた。


「そ、そのTシャツ…」


 見覚えのある元同級生とどこかで見たかもしれない柴犬のツーショット写真がプリントされたTシャツは……

 私が震える声でシャツのことを突っ込むと、おじさんはデレデレ笑い始めた。


「えへへ、可愛いでしょ? うちの娘とお友達のしばワンコ・マロンさんなんだ」


 …男親は娘を可愛がるものだ。そうだ、うちのパパだって同じだもの。わかるよ……

 話に聞く以上にこのお父さん、あやめちゃんのこと溺愛していらっしゃる…!


「これ着てるといつも一緒に居る気がして幸せな気分になれるんだ」

「…あは、可愛いですよね…」


 とりあえずここは彼の意見に同調しておくことにした。するとおじさんは機嫌がとても良くなった。

 リビングに通してくれたおじさんは冷蔵庫から500mlのお茶のペットボトルとグラスを私の前に出してくれた。


「和真の彼女かな?」

「そうなれたらいいなと思ってます」


 彼女! 彼女だって!

 そうです! って言えたらいいけど、そうとは言えない現状に落ち込みそうになるが、私はまだ希望を捨てていないのだ。

 私は印象づけのため、おじさんにいろんなアピールをした。私と和真くんの出会いのお話とか。今までどんなことがあったかとか……おじさんはうんうん、そうかそうかと優しく相槌を打ってくれた。

 あれ、これめちゃくちゃ印象良さげじゃない?


「ただいまー」

「ただいまお父さん、あらお客さん来てるの?」


 私がテーブルの下で勝利の拳を握りしめていると、他の誰かが帰宅してきた。私が後ろを振り返ると、そこには流行を取り入れたメイクをした元同級生のあやめちゃんと、愛しの和真くんの面影バッチリな美しいご婦人の姿。

 あやめちゃんは私の姿を見て目を丸くしていた。


「おかえり~もう、お父さん寂しかったんだよぉ」


 おじさんは奥さんと愛娘の帰宅にウキウキお出迎えしていた。そう言えばさっき、母孝行であやめちゃんはお母さんとお出かけしていると話していたな。おじさんも一緒に行きたかったけど、「女性の買い物だから」とあやめちゃんに断られたらしい。


 リビングに入ってきたあやめちゃんは手に持った荷物をダイニングテーブルに置くと私をしげしげ見つめて首を傾げていた。


「林道さんどうしたの? 何か用?」


 どうして家にいるのかと聞かれたので、私は持ってきた紙袋を差し出した。


「和真くんに食べてもらおうと思って! 和真くんもうすぐ帰ってくるって聞いたから待たせてもらってたの!!」

「あぁ、唐揚げね」


 林道さんも飽きないね、とあやめちゃんに呆れた目を向けられた。彼女の反応に私はムッとしたが、ここはご両親の前だ。ぐっとこらえた。


「私は何のお構いもできないけど、ゆっくりしていってね」


 あやめちゃんはそう私に言うと手慣れた様子で買ってきたものを袋から取り出して、どこから用意したのかエプロンを装着していた。


「あやめ、なにか手伝おうか?」

「いいよ母さんは座ってて。母の日なんだから今日くらい楽してよ」


 腕まくりしたあやめちゃんは台所の棚から大きいボウルを取り出し、計りやら麺棒やら色んなものをキッチンの台にのせていた。…これから何をするんだろう。私はじっとあやめちゃんを観察することにした。


 あやめちゃんは強力粉の重さを計ると、卵やら塩やらオリーブオイルやらを投入していた。それらをヘラで混ぜて時折少量の水を投入していた。手慣れたその仕草はまるでお料理動画を見ているような気持ちにさせてくれる。

 ボウルの中でひとつの塊になったそれを粉を振った台の上でこねこねする作業を繰り返すと、一旦それをラップに包んで冷蔵庫にしまっていた。生地を冷やしている間にあやめちゃんは別の作業に取り掛かった。いろんな材料を切ったり洗ったりしている……


 あやめちゃんの一挙一動が気になってしまい、ふと我に返った。おじさんがせっかく応対してくれていたのに今まで無視する形になってしまった。パッと顔を引き戻すと、ニッコニコ笑顔でお料理する娘を見守るおじさんの姿。

 …心配ご無用だったらしい。おじさんは多分私とお話するよりあやめちゃんを眺めている方が幸せだろう、そう思った。


「ごめんね、いつもなら和真も帰ってきてる時間だろうに…」


 おばさんから気を遣うように掛けられた言葉に私はブンブン首を振る。


「いいえ! とんでもありません! あっわたくし、林道寿々奈と申します!」


 おじさんに自己紹介するときよりも緊張してしまって少々堅苦しい自己紹介になったが、おばさんはあまり気にしていないみたいだ。

 今度はおばさんが気を遣って私のお話し相手をしてくれた。当たり障りのない質問をされたので、それに愛想良く答える。この人は和真くんのお母様。私の未来のお姑さん…今から媚を売っておいても損はない!


 台所からじゅわーじゅわーとオリーブオイルとガーリックの芳しい香りが漂ってきてなんだかお腹すいてきた。あやめちゃんは何を作っているんだろうか……


「ただいまー」


 その声に私はピクッと肩を揺らす。帰ってきた!!

 私は彼のお出ましを今か今かと待ちわびていた。唐揚げを食べてほしい。喜んでほしいその一心で!

 リビングに入ってきた和真くんは台所を一瞥すると、私の横をすっと通り過ぎて台所のカウンターに向かった。


「姉ちゃん何作ってんの? 唐揚げ?」 

「パスタソースだよ。今日は母の日だから母さんのために夕飯作るって言ったでしょ。あんたの好物は作りません」

「なーんだ」


 和真くんはあからさまにがっかりしていた。…帰ってきて真っ先にあやめちゃんのもとに行っただと……

 あ、あの、和真くん、私ここに居るの。私の存在見えてる?


「唐揚げが食べたいならそのテーブルの上のタッパに入ってるよ。林道さんがわざわざ作ってくれたんだって。お礼言っておきなね」


 あやめちゃんは手元から目をそらさず和真くんに唐揚げの存在を教えていた。それでようやく私の存在に気がついたらしい。和真くんはリビングのソファにご両親と一緒に座っている私の姿を目にして、怪訝な顔をしていた。


「なんでこの人がいるの?」


 ぐっ、確かに約束なしの訪問だったから、怪訝な顔されても仕方ないんだけど、反応がドライだ…


「カズの友達だろ?」

「は? 違うし。高校の時の先輩」


 そんな、否定しなくても。

 高校の先輩って…友達以下じゃないか。もっとこう、特別な存在にしてほしいというかなんというか。

 和真くんはタッパを持ちあげて中身を確認すると、「わざわざありがと」と一応はお礼を言ってくれた。想像していたよりは淡々とした言い方だったけどね…!


 そんなこんなやり取りしている間に、あやめちゃんはパスタソースを作り終え、サラダに取り掛かり、カットしたバケットにガーリックソースを塗りたくってトーストしていた。冷蔵庫で寝かせていた生地を取り出すと麺棒で引き伸ばしてカットしていく……。麺から作るパスタとは本格的である。


「林道さんも食べる? 多めに作ったから」

「えっいいの!?」

「大したものじゃないけどね」


 並べられたイタリアンフルコース。大したものじゃないって…それは嫌味なのだろうか。そこに一緒に並べられた私の唐揚げはレンジで温めてお皿に盛り付けられた。

 田端一家に混ざって夕飯をごちそうになる。まるで夢のようであった。となりで腹ペコ和真くんが食事に夢中になって会話らしい会話を全くしてくれなくても、私が作った唐揚げに全く手を付けずにあやめちゃんのイタリアンにばかり手を付けても……


「か、和真くん、唐揚げだよ? 食べたがっていたでしょ?」


 一つも食べてくれないので、流石に焦れた私が唐揚げをすすめると、和真くんはつれなかった。


「温かいうちにこっち食いたい」


 私の作った唐揚げよりもお姉ちゃん手作りイタリアンを堪能したいのだという。

 その素っ気ない言い方に私は悔しくなってほっぺをふくらませると目の前のあやめちゃんを睨みつけた。


「…? なに、口に合わなかった?」

「そんな事ない!!」


 悔しいけど、あやめちゃんの作ったトマトとガーリックのパスタめちゃくちゃ美味しい!

 フォークを動かす手が止まらなかった。何だこれ、お店出せる美味さじゃない!!


「あーちゃんは本当に料理上手だねぇ」


 私がの胸中が悔しさと美味しさでぐちゃぐちゃになっているとは知らないおじさんが呑気に娘自慢をはじめた。

 私はやっぱりあやめちゃんに勝てないのか。イタリアンを完食した後で和真くんは唐揚げを食べてくれたけど、「…姉ちゃんの味と違う」の一言で私はノックダウンした。

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