わんわん物語の主人公になったけど、ヒロインって何したらいいの?【とうぇるぶ・完】
容赦なく振り下ろされる足が私の体を苛む。
──痛い、痛い。涙が出そう。
だけど耐えろ。
これは今までこの子が受けてきた痛み、苦しみ。それを味わってこそ私は真の犬の理解者になれる。
この子を救えるのは私だけなのだ…!
「どいつもこいつも…! 俺に指図すんじゃねぇぇ!」
虐待男の怒声が響き渡る。
怖くて私まで萎縮してしまいそうだが、わんちゃんを守る手は解かない。
誰であろうと犬をいじめる人間は私の敵。
私は、わんわん物語のヒロインなのだ。
犬の一番の味方なのだ!
「──何をしているっ!」
「ぎゃあっ!」
突然、虐待男の蹴りが止んだ。
私がノロノロ顔を上げると、そこには見覚えのある制服を着た男子が暴力男の腕をひねり上げていたのだ。
「…せん、ぱ?」
「田端…! だから言わんこっちゃない!」
ボコボコになっている私の惨状を見た橘先輩は自分のことのように苦しげな表情を浮かべた。先輩の口元から吐き出される息が空中で白い気体となって霧散していた。
…もしかして、走って来てくれたのか?
「すみません! 警察に通報してください!」
先輩は通行人に通報を任せ、暴力男を拘束したまま離さなかった。
暴力男は顔を真っ赤にして何かを叫んでいたが、もう言い逃れはできないぞ。最近、法律が改正したんだ。今までのようには行かないぞ。
私ね、保護活動を長年しているから、ちょいちょい顔がきくんだよ。子どもだと思って侮ってもらっちゃ困るな。手段がなくて無謀に動いていたわけじゃないんだよ。
「田端、もうちょっと待ってろよ。警察が来たらすぐに病院へ連れて行ってやる」
先輩が心配して声を掛けてくるが、私はノロノロを起き上がって下にいるわんちゃんを見下ろした。
「いいえ、私は大丈夫なので、この子を私が贔屓にしている動物病院へ。そこの院長先生には前もってお話してるので…タクシーを…」
背負ってきたリュックサックから折りたたみ式のキャリーバックをとりだし、その下にタオルを敷き詰めると、怯えて失禁しているわんちゃんをそっと抱きかかえた。
虐待男に蹴られた肩がずきりと痛んだが、なんとか耐えるとわんちゃんが苦しまないようにソッと鞄に入れた。
うるうるした瞳は怯えていたので、私はそっと優しくささやくような声で話しかける。
「もう大丈夫だよ。私のおうちには楽しい仲間たちがたくさんいるから、そこでゆっくり身体を治していこうね」
もう大丈夫、誰にも君を傷つけさせない。私が命を懸けて君を守る。
指先で口元を撫でると、わんちゃんはぺろりと舌を出して舐めてくれた。こんな目にあってもまだ人間に心を開こうとしている。虐待男への怒りと、自分たち人間のエゴなど色んな複雑な負の感情に襲われていたが、わんちゃんの清らかな心に涙が出てきそうになった。
時間差で警察が到着し、取り調べみたいなことで時間を取られそうだったので、家に電話して両親を呼び出した。
私のひどい状況に両親は青ざめていた。帰ったら説教の予感である。父さんがこのまま私の付添いをしてくれることになり、母さんが代わりにわんちゃんを病院へと連れて行ってくれた。
虐待男は動物虐待だけでなく、私への暴行の現行犯で逮捕されて警察へと連れて行かれた。
そして私はといえばそのまま病院送りとなった。
全身を強く蹴られていたので、あちこち腫れていたが、幸いにも骨は折れてなかったらしい。もちろん証拠を揃えて虐待男には告訴する予定である。カメラで撮影していてよかった。
その一連のことはニュースになっていた。
私が視聴者への報告のために犬保護の瞬間を動画にしてホームページに載せていたのを誰かがSNSにあげてそれがバズったとかで……愛犬家たちを怒らせる事件となり世間を賑わせたのである。
■□■
飼い主から引き剥がしたわんちゃんは情緒不安定で怯えていた。身体の治療と心のケアに長い時間を要することになるであろう。
幸せになるまで見守りケアをする覚悟だし、この子の生い立ちが悲惨なので譲渡は様子見。最悪うちで引き取って一生面倒を見ることも視野に入れている。
今まで大変だった分この子には幸せになってほしい。早くも支援者さんからこの子のための贈り物が殺到している状況である。
「大分良くなったな」
お見舞いに来てくれた橘先輩は回復に向かっているわんちゃんの身体をそっと優しく撫でていた。わんちゃんはその人が助けてくれた人だと覚えているのか、尻尾を小さく振って喜んでいる。
「そうなんですよ。良かったです、回復が早くて。だけど毛並みはまだまだなんですよね。怪我が良くなるまではお風呂も無理そうですし…」
衰弱して状態が良くない上に、見えない怪我がいくつもあるので、まだシャンプーはできない。完全看護状態のわんちゃんにはご飯食べて、ごろごろ休むを励行してもらっている。
「お前は突然行動するから、予測できないところがあるな」
先輩はため息交じりに吐き出した。
「家に行ってみれば、ひとりで出かけたと言われて慌てて現場に向かったら……あんな状況だったし」
そう、あの日曜の日、先輩はゼミの帰りに我が家に顔を出したそうなのだ。そこで私の不在を聞きつけ、ふっと嫌な予感がしたとか。ファーストフード店で小耳に挟んでいた地区を虱潰しに探し回ってくれていたのだという。
それにしても運が良かった。先輩が来なくてはあのまま暴行が続いていただろうから。
「その節には大変お世話に…」
私はぺこりと頭を下げかけて、止めた。ふと疑問に思ったのだ。
「でもなんでうちにきたんですか? 何か用でも…?」
日曜にうちに来るくらいだ。なにか急な用事でもあったんじゃないか?
そう思って尋ねると、橘先輩は苦笑いを浮かべていた。
「心配だったんだ。お前は放ったらかしにすると、すぐに危険に首突っ込むだろ」
はて…そうだったかな? 危険に……首を突っ込んだっけな?
私が斜め上を見上げてとぼけていると、わしゃり、と頭を撫でられた。
「俺がついてないと心配でかなわん」
そう言って笑う橘先輩の瞳は優しくて、仕方のない奴を見ているような……特別な表情に見えた。
それを見て私はピンときた。
「もしかして先輩……」
私は嬉しかった。先輩も同じ気持ちになったなんて。
頬に熱が集まるのがよくわかった。嬉しくて嬉しくて。そんな私を見た先輩は口を閉ざして頬を軽く赤らめると、緊張したような顔をしていた。
「先輩もわんちゃん保護活動に目覚めたんですね! 私嬉しいです!」
私が両手を叩いて喜ぶと、何故か先輩はガクリと脱力していた。
「…まぁいいか、今はそれで」
「?」
なにが?
先輩は緊張から解けたように少し脱力していた。なんというか複雑そうな変な顔していた。
…変な顔してもイケメンだな、先輩は。いいなぁ顔のいい人はどんな顔しても整ってるんだから。
「そういえば先輩、受験勉強は大丈夫なんですか?」
「あんまり根を詰めても仕方ないから息抜きだ」
「なら私と散歩に行きましょう! 適度な運動はいいですよ!」
先輩がいたらきっとわんちゃんたちも喜ぶはずである。私がお誘いすると、先輩は笑ってうなずいていた。
……なーんか、先輩見てると既視感を覚えるんだけど…まぁいいか。
保護犬活動仲間ゲットだぜ!
先輩とわんちゃんたちと一緒に外に出ると、雨上がりの青空が広がっていた。その空には虹が架かっている。
私はそれを見上げて目を細めた。
赤毛で丸顔の柴犬。私の大切な可愛い相棒。虹と出会ったのもこんな日だった。あの子と出会った日もお空にきれいな虹が架かっていた。
虹、今あなたはどこにいますか?
私は保護犬活動に精を出しています。
いつかあなたと再会できる日を楽しみに毎日必死で生きています。
犬のために生きることが私の生き甲斐であり、使命。どんな向かい風にも私は負けない!
虹と出会える日を待ちながら、私はわんわん物語のヒロインを極める!
【完】
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