アカハラー不当な評価は断固抗議いたしますー【1】

あやめ大学2年秋頃のお話。全4話

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 来週末が提出期限のレポートを教授室の提出ボックスに投函すると、私はその科目の教授であるさわら教授に退出の挨拶をして退散しようとした。


「失礼しました」

「…あぁ、君…田端君だったかな?」

「はい?」


 その教授に呼び止められた私は足を止めて振り返った。振り返った先にはここの主である椹教授の姿。

 特徴のある丸メガネに、ずんぐりむっくりした50代半ばくらいの男性だ。早口で何を言っているか聞き取れない癖のある講義に、堅苦しい謎ルールを学生たちに厳守させる少しばかり偏った見識をもつお人である。


「君には彼氏はいるのかな?」


 された質問の意味が理解できずに返事が遅れた。何故急に彼氏の有無を聞くのか。


「えっ……います、けど?」


 意味がわからなかったが、誤魔化す必要もないと思って、彼氏がいると返事をした。

 すると目の前の教授はスゥッと目を細めた。その視線の冷たさに私はぎくりと身構えた。


「…だからスカートが短い上に化粧が濃いのか」

「えっ? …あー…すみません」


 大学では服装に制限はないはずなのに。それにスカートが短いと言っても、膝上10センチ程度だ。下着が見えるような過激なものではない。

 化粧に関してはだいぶ薄くなったつもりであるのだが、ナチュラルメイク志向の人には濃く見えちゃうのかな?


 相手が教授だったので事を穏便に済ませようと思って軽く謝った。

 それに椹教授は急に興味をなくしたように「あぁ、そう、もう行ってもいいよ」とあしらうような態度をとってきた。


 聞いておいて何だその態度、と文句を言いたくなったがそこは抑えて、私は大人しく「失礼しました」と一礼して退室していった。

 なんだったんだ? 講義やレポートになにか関係あるのか? 私別にサボったりしてないし、レポートの提出期限も守っているのに……


「あやめちゃん?」

「あっ蛍ちゃん」


 少し歩いた先で偶然蛍ちゃんと出会った。隣には常田教授の姿。気難しい教授で有名なのだが、蛍ちゃんのお父さんの元同窓生であり、優秀な蛍ちゃんを重宝しているように見える。

 幼い頃からの顔見知りだからかな? と蛍ちゃんは言っていたけど、多分常田教授は、蛍ちゃんを娘のように思ってるんだろうなって私は予想している。

 たまに「ちゃんとご飯食べているのか」「お腹を冷やすんじゃない」ってお父さんみたいな事言われているの見かけるもの。


「こっちに用でもあったの?」

「うん……椹教授のところにレポート提出にね」

「…? 何かあったの?」


 私の返事に違和感を覚えたのか、蛍ちゃんが何事か問いかけてきたが、私は笑顔を作って首を横に振った。蛍ちゃんに心配かけさせたくないから誤魔化したのだ。

 変な質問されたけど、なにか実害があったわけじゃないし、自分の考えすぎかなと思ったんだ。


 だけどその日感じた違和感は、日を追うごとに大きくなっていった。




「田端君、普段彼氏とは何をしているんだ?」

「え…?」


 それは実験当番の日のことであった。

 実験機材の片付けをしていると、例の椹教授がそんな質問を投げかけてきたのだ。

 なんでそんな事聞くんだろうと疑問には思ったが、聞かれて困ることではないし、教授なりのコミュニケーションなのかもしれないと思った私は当たり障りのない返事を返した。


「そうですね…夏には友達交えて海に行きました。この間は谷垣さんや後輩と一緒にみんなでライブに行きました」

 

 後は亮介先輩のおうちでお勉強デートだったり、街をブラブラするとかかな。あまりバイトできないので、お金がかかるような派手なことはしないかなぁ。


「あ、そうだ。バイトして貯めたお金で旅行に行く計画を立ててます! 彼氏が来年試験とかで忙しいので、今のうちに沢山いろんな事しておこうってことで!」


 学生旅行は先輩の大学卒業前後にも行きたいとは考えているが、どうなるかわかんないからね。警察学校に入校した後は会うのも連絡も難しくなる。思い出づくりで行こうと話をしてる。が、まだ行き先が決まってないんだ。

 去年スキーに行ったから、今度は別のところに行きたいなぁ。

 

 しかし、その返事は目の前の椹教授にとっては落第点だったらしい。彼から心底軽蔑しきったような目で見下された私は言葉を失った。


「学生の身分で生意気な……親が泣いてるぞ。学生なんだから勉強に専念しなさい。遊ぶ金のためにバイトしているのか……苦学生は遊ぶことなく働いて学業に集中しているんだぞ」


 おっと、椹教授の目には私が不真面目に見えたようだ。だが私はオンオフの切り替えはしっかりしているつもりだぞ?

 学生の本分は勉強、それはわかっている。だが大学生という身分のうちだからこそできることがあるのだ。時間を捻出して、自分たちの稼いだお金で遊ぶくらいは許されるはずだと思うのだが。

 苦学生が頑張っているのは知っているけど、それとこれとなにか関係あるか? それは学生それぞれの事情と課題じゃないか。

 彼らは彼らの信念で大学に通っているのだから別物であろう。教授がどうこう言うことではないと思うんだ。


「試験後に行くので、決して学業を疎かにしません! 学業と遊びの切り替えは大切だと思ってます」


 あまり喋ったことないけどこの教授、そういう考えの持ち主だったのか。それなら旅行云々は余計な話だったかもな。

 学業に支障は出ないように楽しんでくると意気込みを述べたつもりだったのだが、次の瞬間、椹教授から信じられない言葉を吐き捨てられたのだ。


「どうせ彼氏といやらしい事するんだろう? 最近の女は本当慎みもない…」


 はぁっとわざとらしく大きなため息を吐くと、なにかゴニョゴニョ文句らしき言葉を吐き捨てながら実験室を出ていった椹教授。


 私は突きつけられた言葉に頭が真っ白になっていた。


 え、今の何?

 せ、セクハラというやつでは……


 変なつきまといやナンパで卑猥な発言をされた経験はある。私は彼氏がいる身なので、決して初心な人間ではない。

 だが、大学の教授という立場の人が発する発言とは思えず、私はしばしの間そこでフリーズしていたのである。



■□■



「田端君、今帰りかね」

「常田教授。はい。実験室の片付け当番だったので」

「そうか。夜から雨が降るから早い内に帰りなさい」


 片付けを終えて実験塔を出ようとしたら、常田教授とばったり遭遇した。

 この人ともあまり喋らないけど、蛍ちゃんを通じてしっかり顔を覚えられてしまった。

 常田教授に別れの挨拶を告げて、実験棟を出ると、外は厚い雲が空を覆い隠しており、すぐにでも雨が降ってきそうだ。空気の匂いも湿気混じりな気がする。


「あぁ田端君、ちょうど良かった」

「あ…」


 さっきぶりの椹教授である。

 セクハラ発言のことがあったので、私はぎくりと身構えた。私が警戒しているとは気づいていないのか、椹教授は見覚えのある紙の束を突きつけてきた。

 それは茶色くシミになっており、文字が滲んで見えなくなった箇所も見受けられる。

 これは、先週私が提出したレポートだ。


「誤ってコーヒーをこぼしてしまってね。悪いんだが再提出を頼みたいんだ」

「え…あ…はぁ……」


 提出期限は明日のお昼の15時。幸いデータはUSBメモリーに保存しているので、あとは印刷するだけだから構わないけど……


「それと、言っていなかったかな、今回のレポートは手書きでないと受け付けないと」

「……えっ!?」


 椹教授の言葉に耳を疑ってしまった。

 手書きって…今を何時代だと思っているんだ。そんなの聞いたことないぞ。

 ただでさえこの教授は決まった書式で書き上げないと減点される。学生たちに負担を強いる面倒くさいルールを押し付けておいて急に手書きだ? そんなの聞いていないし、何故そんな事を言い出すのか。


 私がバッと顔を上げると、ニヤニヤと意地悪な笑を浮かべた椹教授。

 それでようやく気がついた。私はこの教授に嫌がらせを受けているのだと。


 なんで? なんで急に目をつけられた? 私なにかしたか? 真面目に講義受けてるし、提出物は期限に余裕で提出してる。なにか目立った行動をとっているわけじゃないのに……


「──おかしな話ですな。手書きのレポートなど、手書きの履歴書ばりに意味のない存在ではないですか。大体、田端君のレポートをそんなふうにしたのは椹教授の落ち度でしょう。書式違いで再提出を言いつけるのも遅すぎる。彼女がそれを提出したのは確か先週の水曜だったでしょう?」

「つ、常田教授…」


 そこに口を挟んできたのは挨拶したばかりの常田教授であった。彼はダンボールいっぱいの本を抱えていた。図書館に返却に行くところだったのだろうか。

 彼は目を細めて椹教授をまじまじ観察するように注視していたが、フッと視線を外して私にこう問いかけた。


「田端君、今そのレポートのデータは手元にあるかね」

「あ、はい! このリュックにデータが」

「なら、今印刷して渡してしまいなさい。うちのパソコンとプリンターを使っていいから」


 来なさい、と言われたので、私は言われるがまま常田教授についていった。常田教授の教授室のパソコンとプリンターを使わせてもらって無事、再提出できた。

 印刷したレポートを再提出するまで常田教授が付き添ってくれたので、その後は何事もなく帰宅できた。……椹教授は何も言ってこなかったが、最後まで苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 なんだかすごくもやもやしたが、常田教授のおかげで謎の嫌がらせも未遂に終わって、私は安心していた。

 

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