お守りよりも大事なのは自分自身の力。わかっているけど悔しいんだ。

 二次試験までの自宅学習期間、私は先輩にみっちり勉強を見てもらった。模擬試験を何度も重ね、私の苦手分野を重点的に復習した。

 それに加えて、以前のような徹夜をしないでしっかり休息を取り、体調を崩さないように気を遣っている。現在インフルエンザの他にノロウイルスも流行しているらしいのでなるべく人の多いところへの外出は控えている。普通の風邪とは訳が違うからね。


 万全の体制を整えて、いよいよ志望の国立大学二次試験初日を迎えた。

 一日目は国語と数学科目の受験だった。

 初日ということもあり緊張はしていたが、センター入試も経験していたのでセンターの時ほどではなかった。

 初日の試験をなんとかクリアして、残すは翌日の英語と理科科目の試験を乗り越えるだけ。

 明日を乗り切ればちょっと一息つける。合格発表までは安心できないけど、少しくらい肩の荷が降りる気がする。

 あともうちょっとだ。頑張ろう。



 このまま何事もなく二次試験が終わってほしいと願っていた。









【今日の試験の後、大学まで迎えに行く。奢ってやるから食べたいものを考えておけ。あれだけ頑張ったんだ。お前なら大丈夫だから肩の力抜いて行けよ】

「えへっ」


 二次試験二日目の朝。

 試験会場に向かう電車の中で私はスマホを眺めてニヤニヤしていた。それどころか声に出して笑っていた。隣に立っていたサラリーマンのおじさんに不審な目で見られてしまったので慌てて咳払いをした。

 だけどどうしてもニヤケ顔が抑えきれずに、サラリーマンのおじさんに不気味なものを見るような目で見られてしまった。

 怖がらせてすまん。だけど抑えきれないんだ…


 よっしゃー! 増々やる気が出てきた! 

 今の私ならどんな難問でもどんと来いだ!!

 ちょっと苦手な英語が今日初っ端にあるけどめっちゃ頑張る! 私めちゃめちゃ頑張る!


 先輩からの応援メールに私のやる気はみなぎっていた。



『次は〜K大学前、K大学前、降り口は左側です…』


 電車のアナウンスが受験大学の最寄り駅の名を読み上げる。私は乗り過ごさないよう、電車の降り口に立ってドアが開くのを待っていた。


 目の前しか見ていなかった。

 だから、私の背後にあいつが立っているなんて気づかなかったんだ。


 プシューと音を立てて扉が開くと一斉に人が乗降していく。人の波に流されないように私は駅のホームへ降り立ったのだが、そのタイミングでグンッと後ろから強い力で引っ張られた。

 鞄じゃない。私の腕でもない。別の何かを強く引っ張られて、私はバランスを崩したのだ。


 構えていなかった私の身体は後ろに傾いた。そのままバランスを崩して、駅のホームに尻餅をつく。

 …その時ブチリ、という嫌な音が何処からか聞こえたが、その音の正体を探る余裕がなかった。

 自分の身に何が起きたかわからず、お尻の痛みに唸っていると、通りすがりの人…同じ受験生らしき高校生に「大丈夫ですか!?」と声を掛けられた。手を差し伸べられたので、お礼を言って相手の手を借りて立ち上がるが…

 …今、一体何が起きたんだ?


 プシュー…ゴトン、と私の背後で電車の扉が閉じた音が聞こえた。

 私がそっちに目を向けると、ドアの窓越しにあいつはいた。あの意地悪な目で私を睨みつけ、私に見せびらかすように見覚えのあるお守りを顔の横に掲げていた。

 あいつの口がパクパク動いてなにか言っているようだが……私の目には『おちてしまえ』と言っているように見えた。そして、あいつは愉快そうにニヤリ、と嫌な笑みを浮かべていたのだ。


 電車はそのまま何事もなかったかのように発車してしまう。それと同時にその姿も遠ざかってしまった。


「……蛯原…」

「酷いことするね。あの人も受験生でしょ?」

「学業守が欲しいなら自分で買えばいいのに…」


 一部始終を目撃していた受験生達が私を優しく慰めてくれる。

 私は彼らから「あんなの気にせず試験頑張ろう」と激励を貰ったのだが、気にせずにはいられなかった。


 大切な学業守なんだ。

 先輩と和真が買ってくれた大切なお守りなのに、大嫌いな蛯原に奪われてしまった上に私は転けてしまった。

 …なんて縁起が悪い……


 大事な日に限っていきなりのアクシデントに見舞われ、私はパニックを起こしていた。私は泣きそうになりながら先輩へと電話をかける。もう既に視界が歪んでしまって、私は半泣き状態だった。

 …数回のコールの後、先輩が電話に出た。

 

『もしもし、どうした?』

「…先輩、どうしよう……蛯原にお守り盗まれちゃった…」

『…え? ……今、駅にいるのか?』

「いま大学前の駅……後ろから引っ張られて、鞄のお守り2つとも盗られちゃったの…わたし、コケちゃって……ごめんなさい」


 自分が情けなくて泣けてきてしまう。涙が一筋流れる。一度溢れたら次から次に溢れ出して涙が私の頬を濡らした。


 蛯原は何故あんなことをするんだ。どうして私の大切なものを奪うのか。元々嫌いだったけど更に蛯原が嫌いになった。

 なんで落ちろなんて言われなきゃならないの。あいつにそんな事言われる筋合いなんてないのに。


『……あやめ。怪我はあるのか?』

「…お尻痛いけど怪我はしてないです…」

『…いいかあやめ。俺と田端がお前に与えた学業守は身代わりになってくれたんだ。もっと大きな怪我をする所を庇ってくれたと思わないか?』

「……でも」


 グズグズする私を先輩は必死にフォローしてくれた。

 先輩が言っていることはわかる。

 だけどそれだけじゃないんだ。大切なものがあんな奴の手に渡ったことが許せないのだ。悔しくて仕方がないのだ。


『もしかしたら今日の試験でなにか起きそうだったのを防いでくれたのかもしれないだろう?』

「…そうですかね……」

『そうに決まってる。今のお前がすることは一つだけだ。わかるだろう?』

「うっ……はい……」

『お前が戦うべきは試験だ。……あんな女、相手にする価値もない』


 先輩に喝を入れられた私はハッとした。…今私が戦う相手は試験だ。蛯原ではない。

 分かりきっていたことなのに私は馬鹿か。蛯原の嫌がらせに心乱されるなんて何をしているんだ。


 私は涙をを手で拭うと、スゥーッと大きく息を吸って吐いた。

 

「…頑張ってきます」

『よし、行って来い』


 そうだ、私が気にするのは蛯原なんかじゃない。しっかりしろ。

 今日の試験が正念場なんだ。あんな奴のせいで今までの努力がすべて水の泡になるところだった。

 先輩の激励を受けた私は気を取り直して受験会場に向かうと、二日目の試験に挑んだのである。





☆★☆



 二次試験全ての日程が終わった私は燃え尽きていた。全力を出しすぎて精根尽き果ててしまったよ。

 試験会場を出てフラフラ歩いていると、声を掛けられた。


「お疲れさん」

「ううう、せんぱぁぁい」


 受験会場前まで迎えに来てくれた先輩に私は人目を憚らずに抱きついた。

 緊張の糸が解けてもう無理…しんどい。

 先輩の顔を見て力が抜けてしまった。


「よく頑張ったな。なにか食べに行こう」

「…ごめんなさい。お守り盗られちゃって」

「まだそれ気にしてたのか。言っただろ? 身代わりになったんだって」

「だってあいつに汚された気がするんだもん。大事なお守りなのに…くやしい…」


 思い出すだけで涙が出てきそうだ。

 先輩はそんな私の背中を宥めるように撫でてくれる。

 …先輩好き。

 

「あそこの神社の学業守でいいならまた買ってやるから」

「…ほんと?」

「なんなら今から買いに行くか?」


 先輩のその提案に私は首を横に振った。

 それは今度でいい。今の私には切実な問題があるのだから。


「…私、先輩のお部屋に行きたいです」

「……あやめ?」

「イチャイチャしたいです。私、ずっと我慢してたんですから。ご褒美はイチャイチャがいいです!」


 ハグとかキスするだけでいいからイチャイチャしてくれ!

 私がそう言うと先輩は一瞬沈黙したが、すぐに私の手を引いて歩き始めた。先輩の部屋は大学に近い場所にあるのであっという間に到着する。

 先輩の部屋に入った瞬間私は「わーい! ハグハグー!」と先輩の胸に飛びついたのだが、そのままベッドまで担がれた。


 …あれっ? ハグは…? 

 私は一時思考停止したが、ベッドに降ろされた私の上に覆い被さってきた先輩に確認を取る。


「…あの、先輩? これは…」

「イチャイチャしたいんだろう?」

「そうなんですけど、私はハグとかキスを…」

「わかったわかった」


 先輩に口を塞がれてしまって、私は言葉を紡げなくなってしまった。今まで不足していた分を補うかのような激しいキスに酸欠を起こしそうになる。 

 ……相当我慢させていたのだなと悟ると、私は彼の首に抱き着いて応える。応えると言っても先輩のリードに抵抗しないで受け入れることしか出来なかったんだけどね。


 …先輩、何度も言っているけどポンポンは撫でないで下さい。


 私は受験後でヘロヘロだと言うのに散々鳴かされた。先輩はもうちょっと加減をするべきだと思うの。

 

 

 私がしたかったのはハグとかキスのイチャイチャだったんだけどね。

 いやこれが駄目なわけじゃないけど。 


 ……その後甘やかしてくれたから、その時思いっきりハグしてもらった。先輩の腕の中大好き。

 

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