私まで英恵さん化しているのは否めない。だって頭使いすぎたら糖分欲しくなるんだもん。


【落ち着いて頑張れ】


 私は先輩からのメールを確認すると、頬を叩いて自分に喝を入れた。

 遠足などのイベントごとでは早めに眠る私だが、昨晩は緊張でなかなか寝付けずにいた。だからちょっと睡眠不足気味だが、気合で乗り切るしかない。

 

「……よしっ」


 いよいよセンター入試当日を迎えた。これから2日間に渡って試験を受けることとなる。

 亮介先輩は自分の後期試験を前にも関わらず、最後まで私を元気づけてくれた。…感謝してもしきれない。

 …後は自分の力を信じて頑張るだけ。


 私は忘れ物がないかを確認し終えると、念の為早めに家を出た。今のところ交通情報には特に異常はないようだが、アクシデントはいつ起きるかわからないから念のためにね。


 電車と徒歩で移動の後、センター試験会場に到着すると、会場は受験生達の緊張感に溢れていた。私はそれに感化されそうだったが、鞄に付けた学業守を見て深呼吸して一旦心を落ち着けた。

 マークシート用の鉛筆はOK、消しゴムOK、腕時計もOK、スマホの電源も切ったし、受験票も机の上に置いてある。準備は万端だ。   

 …この日まで頑張ってきたんだ。きっと私は大丈夫!


 前方で試験監督による試験の諸注意が始まったのでそちらに耳を傾けた。…まだ試験問題を見ていないというのに、私の手にはもう既に汗が滲んでいた。

 問題用紙が全員に行き渡ったのが確認されると、試験開始の合図がされた。


 受験生全員が解答に取り掛かる音が一斉に響き渡った。




☆★☆



 2日間のセンター入試自体は何のトラブルもなく無事に終了した。

 私が燃え尽きたこと以外は。


ザッ、ザッ…

 私は死んだ目をして、目の前にある黒い液体の中に白い砂状の物体をスプーンですくって投入していた。

 ここはショッピングモールのコーヒーショップ。試験が終わってヘロヘロの私は少し休憩してから、帰宅することにしたのだ。

 脳が疲れたので無性に糖分を求めている。

 だから砂糖を入れていた。…何杯入れたか覚えてない。


「…砂糖を入れすぎじゃないのか?」

「……これはこれはお久しぶりです…お先に抜け駆け…受験を終えたお兄さん…大学院合格おめでとうございます…」


 妬みかと言われたら否定できない。受験が終わっている彼が羨ましい…。

 私はセンター入試でクリアできるか出来ないかの瀬戸際だ。クリアしたらしたで二次試験が待っている。油断できない立場なのだ。

 …クリアできなかったら…ということは考えないようにしてるが、もしそうなれば後期の試験を受験するしかないよね。


 橘兄は去年もこの時期にここで会った気がする。気のせいかな?

 …なんでここにいるのだろうか。


「ノートパソコンなんて持って…意識高い系でも始めたんですか? その割にリンゴマークのパソコンじゃないんですね」

「…何だその意識高い系とは。俺は卒論をまとめる為に来たんだ」


 あぁそうか橘兄も卒業を控えているんだ。

 話を聞くには今月末が卒論提出期限らしい。今日はそのチェックをするために気分転換も兼ねてここに来たんだって。


 日曜だからか、カフェの席は埋まっていた。橘兄は空いている席を探していたところで、コーヒーに砂糖を投入し続ける私を見つけたらしい。

 ここの席に座っていいかと聞かれたのでどうぞと促すと橘兄はそこに荷物をおいたまま、カウンターに注文しに行った。


 …疲れたなぁ。緊張で熟睡した試しがないし…

 甘いコーヒーが脳に沁みてる気がする。あーあまい…


「ほら」

「…どうしたんですか。私誕生日じゃないですけど」


 目をつぶってコーヒーの甘さに浸っていると、橘兄が私の前に何かを置いた。目を開いたその先にはガトーショコラが置かれていた。


「労いの気持ちだ。センター試験最終日なんだろう今日は」

 

 労いとな。


「…ありがとうございます。いただきます…」


 頂いたものはありがたくいただく主義なので橘兄にお礼を伝えると、私はケーキを食べた。


「あぁチョコレートが沁みる」

「それでどうだったんだ? 試験は」

「…現実に引き戻さないでくださいよお兄さん」

「どうせ明日自己採点するんだろう? 手応えはどうなんだ」

「………五分五分です。80%はクリアしたいんですけど…不安ですね」


 現実逃避していたかったのに、ケーキを与えた橘兄が強引に現実へと引き戻した。

 そうだよ明日学校で自己採点するさ。でも今は忘れていたかった。

 めっちゃ憂鬱。担任がまた過剰なプレッシャー掛けてくるんじゃないかと今から戦々恐々しているのさ。


 死んだ目でもそもそとケーキを食べていると、橘兄が何かを思い出したように話し始めた。


「そういえば…うちの父と会ったそうだな」

「え? あ、はい。文化祭とお正月の時にお会いしましたね」

「驚いただろう。まさか君を見に行くために高校の文化祭に行くとは思わなかった。しかもあの父が君の高校のことを褒めていたぞ」

「…高校のこと?」

「決められた予算内であれだけのクオリティの文化祭を創り上げる高校生に感心していた」

「あー…」


 橘父はミステリー研究部が作ったトリックを解くのに熱中していたと聞く。余程面白かったのだろうな。

 それに他の出し物も毎年のことながら、どのクラスも部活も力が入っている。それぞれ個性を出した出し物だから、見応えがあったことであろう。


「…まさかご両親が文化祭に来られるとは思わなくて、ゾンビメイドで初対面をした時は……完全に終わったと思いました」

「父はああ見えて心配性だからな。亮介の付き合っている相手がどんな人間か気になったようだ。…不器用な人なんだよ」

 

 橘兄の言葉から、私が勝手に予想していたことが確信に変わった。もしかして…とずっと考えていたのだが、あながち間違ってはいなかったようだ。


「…私ずっと思っていたんですけど、亮介先輩が高校受験失敗してお父さんたちに叱責された後、橘家全体でギクシャクしたのって……完全にコミュニケーション不足のせいですよね」

「……」

「で、お兄さん自身も周りからの更なる期待がプレッシャーになっていて、弟さんに対して当たりがきつくなった」


 私の指摘に橘兄が気まずそうにしていた。

 別に責めてるんじゃないよ。私は部外者だし、ただ第三者の目から見た橘親子の関係性を予想しただけだから。

 でもその反応なら私の読みは当たっているのだろう。


「…なら、歩み寄りは可能ってことですよね。良かった」

「歩み寄り?」

「はい」


 厳しい人、正義感の強い人と聞いていたお父さんだが、その言葉通りの人だった。だけど息子と向き合おうとする姿勢は見て取れたし、口数が少ない大人しいお母さんだって、息子のことを心配する一般的なお母さんと同じだった。


 二人共仕事が忙しい人だから、子供とのコミュニケーションが取れずにいた。その状態で子供たちの将来のために厳しく接していた。それが子供のためだと信じて。

 …だけどそれが子供たちに過剰にプレッシャーを与える事になっていたのではないだろうか。その辺はご両親も反省しないといけないことなのかもしれない。


 当初は仲が悪い家族なのかなと思っていたけど、そんなことはない。ご両親は先輩を見捨ててなんておらず、口を出すのも、私に会いに来たのも親として心配していただけなんじゃなかろうか。

 

 …百聞は一見にしかずって正にこの事だな。


「橘家は一緒に過ごす時間をもっと増やしたほうがいいですよって話です」

「そんなもう子供じゃあるまいし」

「皆で水族館とか行ってきたらいいじゃないですか」

「親と弟と?」


 橘兄は鼻で笑うと、勘弁してくれと首を横に振っていた。

 後のことは橘家の人々の問題だからこれ以上私が口出しすることじゃない。


 すぐにじゃなくてもいい。

 でもそのうち、5年後とかでもいいから分かり合える時が来たらいいな。きっと橘家は今よりももっと良い家族になれるはずだ。


 私はそれを見守ろうと思う。


「…それじゃごちそうさまでした。卒論制作頑張ってください」

「あぁ。…君は帰ったらすぐに寝たほうがいいな」

「…夢に数式が出てきて熟睡できなかったんですよ」


 私は橘兄にお礼を言って帰ろうとしたのだが、彼から早く寝ろと言われてしまった。目元の化粧を濃いめにしたけどクマができていることがバレていたらしい。

 言われなくても今日は早めに休むよ。



 私はそのまますぐに帰宅すると、お風呂に入ってから即寝た。熟睡して起きたらもう朝で、昨晩は夕飯を食べずに寝ていたらしい。起きた瞬間お腹がぐううと元気に鳴っていた。


 寝すぎて頭が痛いが、今日は学校で自己採点がある。…それを考えると少々胃が重たい。だが行かねばならない。


「…起きよ」


 私は学校に行く準備をするべく、のっそりと布団から起き上がったのだった。





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