センター入試直前。プレッシャーに、自分に負けるな。
短い冬休みはあっという間に終わり、三学期が始まった。
受験間近ということで受験生らは皆一様にピリピリとしている。ゼミでもそうだったが、お互いをライバル視していて殺伐としていた。受験大学とか学部が違う事は置いておいて、全員がライバルと言った形だろうか。
私はそんな周りの雰囲気に影響を受けて不調も加わり、情緒不安定に陥っていたのであろう。
教室の殺伐とした雰囲気にまた呑まれそうになったが、机の横に掛けている通学カバンにつけた学業守をちらりと見て、深呼吸をして自分を落ち着かせる。
センター入試まであと1週間ほど。
自分の力を出すだけ。
ちゃんと休養をとって、落ち着いて。今までの成果を発揮するだけだ。
午後の授業はセンター対策でそれぞれ自習となっていた。私は引っかかっている箇所を復習するためにテキストの問題を解いていたのだが、隣の席から「グスッ」と鼻をすする音が聞こえたのでそっちに目を向けた。
「!? ど、どうしたの花恋ちゃん!?」
隣の席の机の上に開かれてあるテキストは彼女の涙のアトで紙が歪んでいる。…花恋ちゃんはボタボタと涙を溢し、苦しそうに嗚咽を漏らしていた。
朝からずっと元気が無いなとは感じていたが、体調が悪かったのだろうか。私は慌てて席を立ち上がると、教卓で監視ならぬ監督していた担任に向かって声を上げた。
「先生すみません! ちょっと保健室に行ってきます!」
このままにしておいても仕方がない。
私の大声で集中力が途切れたらしいクラスメイトに睨まれたが、そんな事気にしている余裕はない。その一切を見なかったふりをして、花恋ちゃんの肩を抱いて保健室に向かった。
「ご、ごめ、あやめちゃ…」
「大丈夫だから。どこか苦しい? お腹痛いの?」
「うっ…」
私の問いに花恋ちゃんは更に泣き出してしまった。苦しそうに泣きじゃくっていて会話は難しそうだ。
ここで泣いていても仕方がない。彼女の手を引いて誘導すると、保健室の扉を開けた。
扉の開かれる音に反応した眞田先生がデスクチェアごとくるりと振り返る。先生の机にはパソコン、そして書類が散らばっているところを見ると今まで事務仕事をしていたようだ。
「どうしたコロ。授業中じゃないのか?」
「眞田先生〜助けてください。花恋ちゃんの調子が悪いみたいです」
私の後ろにいた花恋ちゃんが泣いている姿を見て、眞田先生はキョトンとしていたが、慣れた様子で保健室のパイプ椅子に座らせた。
「体調が悪いのか?」
眞田先生の問いに花恋ちゃんは弱々しく首を横に振る。
その答えに眞田先生は合点がいったようで、くるりと踵を返す。そして備え付けのポットで何故かお茶を淹れ始めた。
私はその行動を訝しんだのだが、先生は急須の中で茶葉を蒸らしながら原因を教えてくれた。
「受験のプレッシャーだな。この時期は毎年そんな生徒が駆け込んでくるから」
「あ…そっか」
私もつい最近起きた事なのに思い付かなかった。…私だけかと思ってた。
眞田先生は熱いお茶を私と花恋ちゃんに出してくれた。
「人間何かしら壁にぶつかる時もあるさ」
「そうですね」
「コロは先月より大分顔色が良くなったな。スランプは抜け出せたのか?」
12月の不調の時期、私は保健室に寄り付いていなかったのに、眞田先生は私の様子がおかしかった事に気づいていたらしい。
「冬休みに爆発して…無理するのをやめたんです。先輩も助けてくれているので、あとは自分の力を信じて乗り切ろうと思います」
「コロ達の担任の先生は悪い人じゃないんだけど、生徒を大袈裟に脅すところがあるからな。…まぁでも落ち着いたなら良かった。体調に気をつけて頑張れよ」
担任は受験生を脅すことに定評があるらしい。保健室の先生にまで知られているってどういうことなのよ。
私は未だ泣き止まぬ花恋ちゃんの背中を撫でさすりながらハハハ…と乾いた笑い声を漏らしていた。
花恋ちゃんはひとしきり泣くと落ち着いたようである。だけどその表情は沈んだまま。
私は花恋ちゃんの顔を覗き込むようにして彼女の顔色をうかがった。
「…花恋ちゃんも調子悪い? 勉強がうまく行ってないの?」
「うん…」
「そういう時もあるよね。しかもセンター直前だから焦るのもわかる。わかるよ」
彼女の話を聞いていると、彼女の悩みは先日の私と同じ様な悩みであった。
悩んでいたのは私だけじゃないんだ。受験生みんな余裕そうに見えて実は内心焦っているのかもしれない。
「でもね花恋ちゃん、花恋ちゃんは一人で頑張ってるんじゃない。私も辛いよ。…後悔したくはないから頑張ってるけど、やっぱり辛い。わかるよ」
「あやめちゃんも?」
「うん。期末の時成績落としちゃってさ。先輩に会わないで勉強したのに全然駄目で。睡眠時間減らしても全然身に入らなくて…挙句の果てに体調崩しちゃった」
花恋ちゃんは私の話を聞いて更に泣き出してしまった。
余程辛かったのだろう。わかるよ。
「…あやめちゃんが不調なら私なんて…間先輩に教えてもらっていたのに……間先輩イライラさせちゃうし…私こんなに出来ない子だったのかな…?」
「いや、そんなことはないよ。たまたま調子が悪いだけだよ……間先輩に教わってたんだね」
あれれ、ちゃっかり進展してるの? 後夜祭の時に無体働いていたから二人の間には距離が生まれたと思っていたのに…
それともポイント稼ぎなのか間先輩。
「うん…冬休みにファーストフード店で……間先輩は一生懸命に教えてくれていたの。…だけど余計にわからなくなっちゃって…」
「あるあるそういう事あるよ。でもそんなときはね、一旦落ち着いて
「もう無理だよぅ…」
しくしくと花恋ちゃんは再び泣き出してしまった。
完全に冬休み中の私と同じである。
落ちると中々這い上がれないんだよね…私と花恋ちゃんは違うから、元気になる方法が異なる。だからどうしたら……
私は涙を流す彼女の頭をそっと撫でて、優しく声を掛けた。
「…大丈夫。花恋ちゃんはひとりじゃない」
「あやめちゃん…」
「だけどこの状態で勉強しても頭に入らないと思うから、今日の放課後、カラオケに行こうか!」
「……え?」
私の提案に花恋ちゃんの涙は一瞬で止まった。
うんそれが良い。カラオケBOXで思いっきり叫べば少しはスッキリするでしょ。
1時間位勉強しなくても問題なし!
「このままじゃ不安で押し潰されるだけだからさ、皆に内緒で1時間くらい…ねっ!」
戸惑う花恋ちゃんを無理やり頷かせ、本当に私達は放課後にカラオケに行った。
勿論同級生にはバレないように内緒だ。
今の彼らは手負いの狼のようなもの。この時期に遊ぶなんて余裕だな! と八つ当たりの標的になりかねないからだ。
☆★☆
『説明がわかりにくいんだよー! 余計わからなくなるだろー! 頭のいい人には凡人の悩みなんてわからないんでしょー!!』
「そーだそーだ!」
『イライラさせて申し訳ないけど出来ないもんは出来ないんだー!!』
感情に任せて叫ぶ彼女の声によってキーンとマイクがハウリングを起こしていて耳が痛い。カラオケBOXでは花恋ちゃんがずっと歌って叫んで鬱憤を晴らしていた。
今まで私も花恋ちゃんに助けられてきたから、こんな時くらいは力になりたいと思っていたのでそれで全然構わない。
私はひたすらタンバリンを叩いて鳴らして盛り上げ役をしていた。
「ちょっとトイレ行ってくるね」
「うん」
花恋ちゃんがカラオケでここまでハッスルするとは思わなくて少しびっくりしているけど、それほどストレスが溜まっていたのだろう。
用を済ませてトイレから戻ってくると、花恋ちゃんが次の曲を入れて大声で歌う声が部屋の外まで聞こえてきた。ここ壁が薄いからあちこちから色んな人の歌声が聞こえてくる。
でも花恋ちゃんが発散できているようで良かった。
ドンッ
「あ。すいません」
「こちらこそ……あ゛?」
「………どうも、お久しぶりです」
曲がり角で人とぶつかってしまったので相手に謝罪をしたのだが、顔を上げた先には彼のお方がいらっしゃった。
え、この人カラオケとかすんの? ていうか何歌うの?
いや亮介先輩もカラオケとかイメージ付かないけど…本当に何歌うの? 気になるんだけど。
「なんでてめぇが…」
「カラオケしに来ました」
「受験生の分際で…」
「ストレスが溜まるんですもん。ここでスッキリして勉強したほうが実になると思うんですよ」
「チッ」
舌打ちされてしまった。
後夜祭で妨害したこと怒ってるのかな。相変わらず私を敵対視してくるなこの人。
「あ、そうだ間先輩、花恋ちゃんに勉強教えてあげてるそうじゃないですか」
「…花恋に聞いてたのか」
花恋ちゃんの話をすると反応があった。
この人も難儀だな。だけど花恋ちゃんと付き合いたいなら身辺整理しないと駄目だと思うよ。陽子様にも迷惑がかかるんだから。
まぁその陽子様も眞田先生といい感じであるみたいだけどね。他人が口出しすることじゃないか。
「勉強を教えてあげるなんて優しいじゃないですか!」
「それは意外だって言いたいのか?」
「えっ!? いえいえそんな…」
褒めたつもりだったけど何故かマイナスに取られてしまった。なんで。
ここは退散したほうが良いかなと思って「それじゃ私はここで」と立ち去ろうとしたその時。
「あーっ間君! こんな所にいたー」
「ちょ、くっつくなって」
「良いじゃなーい……あら、あなた…」
「……光安さん」
間先輩に絡みついたのは、初夏あたりに私の彼氏を略奪すると宣戦布告してきたサークル荒らしの女王・光安嬢だった。
おいおい。あんた次は間先輩をターゲットにしてんのかい。いや、間先輩お金持ちのボンボンだけどさ、あんた…あの陽子様に勝てるとでも思ってるのか? しかも間先輩の想い人は超絶美少女なんだぜ。悪いことは言わないから止めておいたほうが…
「お、おい! この事花恋に言うなよ!」
「……お盛んですねぇ。それじゃ」
「おい! 待てってば!」
関わり合いになりたくない。私は間先輩の制止を無視して部屋に戻っていった。
部屋の扉に腕を伸ばそうとすると、ドアが内側から開かれた。中から花恋ちゃんがマイクを持ったままピョコッと顔を出してきた。
「あやめちゃん、10分前だって!」
「…あ、うん…花恋ちゃんはどう? 十分発散できた?」
「うん! ……あれ? 間先輩…」
私を追いかけてきたらしい間先輩の姿に気づいた花恋ちゃんが首を傾げた。
「ちがう! 違うんだ! 合コンだなんて知らずに連れてこられたんだ!」
間先輩は必死の形相で花恋ちゃんに弁解しているが、女を腕にぶら下げている時点で説得力がないよ。
光安嬢はすごいな。この状況下でも間先輩の腕にガッチリ絡みついている。その粘り強さをもっと他の事に活用できないのか。
「……冬休みはありがとうございました。私、残りの期間自分一人で頑張ってみようと思うので、もう大丈夫です!」
「えっ」
「間先輩、私が理解しないからイライラしたでしょう? せっかく教えてくれたのに本当にごめんなさい!」
「あ、いや…」
「それじゃ! あやめちゃん帰ろ!」
花恋ちゃんは間先輩の腕にくっついている光安嬢について何も言及しなかった。見えてないということはないだろうが、関心がなかったのだろうか。
どこか放心した様子の間先輩に別れを告げると、花恋ちゃんは晴れ晴れとした表情でカラオケ店を後にしていた。
ここに来る前よりも顔色も表情も明るい。いつもの花恋ちゃんに戻ったようにも見える。
「うん、私なんだか頑張れそう。あやめちゃんありがとう!」
「よかった。でもちゃんと休養はとるんだよ?」
「わかってる! あやめちゃんもね」
「一緒に頑張ろうね」
「…うん!」
花のような笑みを浮かべる花恋ちゃんにつられて私も笑顔になった。
「大学生になってもさ、こうしてたまに遊びに行けたらいいね」
「そうだね! 大学生になっても遊ぼうね」
私達はそう約束をして別れた。大学生になっても、花恋ちゃんとこうして遊べたらいいな。
1月は1年の内でも寒い時期だ。
雪が降りしきる中、白い息を吐きながら帰宅すると再び受験生モードになって勉強を再開した。
もう花恋ちゃんは大丈夫だ。
…私も、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、黙々と問題を解くことに専念した。
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