守られてばかりじゃ嫌だ。私だってあなたを守りたい。
橘夫妻が退店していき、何だったの…と呆然とする暇もなく、先輩の説教が再開された。
もう平謝りするしか無し。
だって先輩、お父さんとお話してたじゃないの! それを邪魔するなんて出来るわけ無いでしょ!
…先程油を注いだばかりなので、ここでの反論はまずいと私でも分かる。口を噤むしかできない。
「…取り込み中悪いけどさ…バケツプリンチャレンジそろそろしたほうがいいんじゃね?」
「あ! そうだね、今ここにいるお客さんにお詫びで振る舞うのも良いかもしれない!」
私が説教されている所へ、恐る恐る山ぴょんが声を掛けてきた。例のブツは山ぴょんが調理室からわざわざ持ってきてくれたらしい。
そうだ私は勤務中なのだ。
まだ怒っている先輩を「私仕事中なんで後でお話は聞きます!」と宥めておいて、昨晩仕込んでおいたバケツプリンを山ぴょんから受け取る。私は店内を見渡して声を張り上げた。
「ご来店中のお客様! 只今からバケツプリンチャレンジを行います。先程のお詫びとして皆様に御馳走いたします!」
さっきの不良のせいでお騒がせしちゃったからね。あ、英恵さんがいる時にバケツプリンの話をしておけばよかった。もう帰っちゃったかな。
絶対これ見たら喜んだはずなのに残念だ。だけどプリンがあるから戻ってきて! って先輩に連絡して貰うのも何だかな。
お客さんの注目を集めると、私は結構な重さになったバケツに入ったプリンを山ぴょんや沢渡君に手伝ってもらいながら、大皿にひっくり返した。
巨大プリンがバケツからぷるんと飛び出したときには思わずクラスメイト・来店客達みんなが興奮していた。黄金色のその物体は皿の上でプルンプルンと揺れてる。
何だこの夢のプリンは! このままスプーンですくって食べたいわ! これ子供の頃憧れたんだよね!
カラメルソースを掛けたときには私も思わず写真を撮った。我ながら美味しそうに出来たと思う。
ついでに自分の顔の大きさとの比較写真も撮影しておいた。
私はカットしたプリンとコーヒーを持って、ムスリとした先輩の席にそれらを置いた。先輩は腕を組んでおり、不機嫌そうだ。
「先輩。機嫌直してくださいよ。私もうそろそろ上がりなんでちょっとここで待っててください」
「…反省しろお前は」
「すいません…」
ため息を吐かれてしまった。先輩に楽しんでもらおうと思っていたのに……
はっ! そうだおもてなしだ!!
「先輩ちょっと待っててください! すぐに特別メニュー作ってきますね!」
「は?」
ご奉仕するために私はこの日を待ちわびていたのだ。一年前のお返しをするために!
この冥土喫茶にはシンプルなオムライスはない。オムハヤシがメインなので名前を書くサービスもない。
メニューにないオムライスをチャチャッと調理して、ミネストローネと一緒に、先輩の席に持っていく。
彼は頼んでもないオムライスがやって来たことに訝しげにしていたが、私はここぞとばかりに女子力を見せつける。
「ご主人様、あやめがご主人様のお名前を書いて差し上げます!」
「……は?」
「いきますよー」
ケチャップを使ってオムライスに平仮名で先輩の名前を書いていく。
うん、なかなか上手に書けたんじゃないかな!
先輩が読みやすいようにオムライスの向きを変えて移動させると、私は手でハート型を作る。
メイクのせいで笑いにくいのが惜しい。
「ご主人様のために、萌え注入をしちゃいます! せーの、もえ、もえ、きゅーん!」
渾身の萌えを注入したのだが先輩はポカーンとしていた。
萌えなかったか…
「やっぱりゾンビ姿じゃ萌えませんかね」
「…ちょっと驚いただけだ」
「去年先輩がしてくれたことをお返ししただけですよ?」
「最後のはやった覚えがないが」
先輩は真顔になって否定してきた。去年の黒歴史を思い出してしまったのだろうか。
「私、着替えてきますんでしばらくここでご飯食べながら待っててくださいね」
女装のトラウマに顔を歪め始めた先輩にそう告げると、私は更衣室に着替えに行った。
このメイクじゃ先輩と歩けないよ。後夜祭の時すぐに着替えられるようにしないといけないし、一旦メイク落として化粧をやり直そう。
先輩と校内デートが出来る最後のチャンスだからね!
★☆★
「和真ー、室戸さーん」
着替えて元のギャル系に戻った私は先輩にお願いして弟のクラスにやって来ていた。
「あやめ先輩! ゾンビメイク落としちゃったんですかぁ?」
「だってデートするのにあれだと私が嫌なんだもん。それよりこれ。二人が帰った後バケツプリンチャレンジがあったんだ。食べてね」
「いいんですか!? やったぁ! 田端君! お姉さんがプリンくれたよ!!」
今年も食べ物屋をやっている弟は頭に鉢巻きをして、高温の油と戦っていた。和真は去年と同じく裏方担当らしい。
室戸さんの声に反応して和真はこっちを見たが、持ち場を離れられないのかこっちに会釈していた。多分先輩に挨拶したんだろうな。
「お礼にこれあげます!お二人で食べてくださいね!」
「ありがとう。じゃあ頑張ってね」
「はい! あ、後夜祭の仮装大会楽しみにしてますね!」
売り子さんをする室戸さんの元気な声に見送られ、私達は次の目的へと向かう。
さっき室戸さんに貰ったお菓子を食べた私は先輩を見上げた。
「…これ甘いから先輩多分無理ですよ」
「…これはなんだ?」
「チュロスですね。スペインの揚げ菓子です。ちょっと食べてみますか?」
私が差し出したチュロスを一口食べてみて…先輩は眉間にシワを寄せ、口元を抑えていた。
やっぱり先輩には甘すぎるみたいだ。これ糖蜜がかかってるもんね。
「やっぱり駄目ですか。…あっ英恵さん! よかった!」
橘父の姿がどこに消えたかわからないが、久松の劇のチラシを一人で眺めていた英恵さんに声をかけると、口をつけていないチュロスの袋を彼女に差し出す。
「これ私の弟のクラスで作ったチュロスなんですけど、よかったら召し上がってください」
「チュロス?」
「スペインのお菓子ですよ。弟のクラスメイトがくれたんですけど、亮介さんには甘すぎるみたいで。私は2つも食べられないから遠慮せずにどうぞ」
「…ありがとう」
甘いものをあげると英恵さんは頬を緩めた。
やっぱり甘党だな英恵さん。
「…母さん、父さんはどうしたんだ?」
「お父さんはあっちの部活動紹介で謎解きゲームに興味を持って参加しているのよ」
「…謎解きゲーム?」
「お父さんトリックを暴くのが好きだから」
なんと。
橘父は妻を待たせて、高校生の作ったゲームに夢中になっているらしい。
意外と少年の心を持ったお方のようだ。
「えっと…英恵さん、今うちの店でご来店のお客様へプリンを提供しているので、ここで待つのが辛かったらうちの喫茶店で待っていても大丈夫ですよ?」
「プリン?」
「バケツプリンチャレンジをしたんです。昨日私が仕込んでおいたプリンなんですけど、美味しく出来てましたよ」
私の言葉に英恵さんは落ち着かなそうにソワソワしだして「お、お父さんも子供じゃないから放って置いてもいいわよね」と自分に言い聞かせるように呟くと、それじゃと挨拶もそこそこに階段を降りていってしまった。
「………」
「ね? 言ったでしょ可愛いお母さんだって」
「…あんなに食い意地張ってるとは思わなかった」
自分の両親の意外な一部を見てしまった亮介先輩は少々遠い目をしていたが、私は橘親子が一歩歩み寄れた気がしている。
今まで知らなかったのが奇跡だと思うよ。
「そうだ先輩、3−Cでお好み今川焼きやってるんですって。それを買って、とっておきの場所に行きませんか?」
「とっておきの?」
「そうそう」
多分先輩も知ってる場所だと思うんだけどな。
向こうの校舎は文化祭中関係者以外立入禁止だから間違いなく人はいないと思うんだけど。
3−Cには去年の球技大会で共に戦った皆川さんと一年の時に仲良くしていた美希ちゃんがいる。彼女たちにお好み今川焼をやっているからと声を掛けられていた。だから元々買いに行く予定だったんだけど、昨日はなんだかんだで寄れなかったんだ。
クラスにお邪魔した時には彼女たちと少し会話して商品を購入すると、先輩の手を引いてあの場所にやって来た。
「北校舎の屋上のことを言っていたのか」
「ここ日当たり悪いから人が来ないんですよね。私も稀にしか来ないんですけど、今の時期ならそんなに寒くはないでしょ」
屋上には一応ベンチがある。そこに腰掛けると先輩もその隣に座った。
「室戸が言っていた後夜祭の仮装大会って何をするんだ?」
「ふふふ、写真撮って送りますね! それまで内緒です!」
ニコニコする私に先輩はなぜか疑い深そうな顔をしていた。後夜祭に危険なことは起きないぞ。去年もなかっただろう?
先輩は私の金色に染めた髪を何気なく触って、はぁ、とため息を吐いた。
「髪も派手に染めて…。また鎧が必要になったのか?」
「これは仮装のためです。受験前には色を戻しますけど勿体ないのでしばらくはこのままにします」
私の返事にそうか、と先輩は苦笑いをしていた。私に風紀云々言っても仕方がないと諦めたのか、大学生になってその辺どうでも良くなったのか。
…先輩は黒髪のほうが好きなのだろうか?
「そう言えば先輩のお父さん、すごい先輩に似てますね」
「え?」
「お父さんのほうが怖いけど」
あの時は笑えなかったが、今となれば説教方法や言っていることが先輩と同じ橘父に親近感が湧いてきた。
「…父さんは、お前にどんな話をしてきた?」
そう尋ねてきた先輩の表情は不安そのもの。
だけど先輩が危惧しているようなことは実際にはなかった。
もしかしたらお宅訪問した時に言われるかもしれないけど。…まだ私も先輩のお父さんがどんな人なのか掴めていないからなんとも言えない。
「まず髪の色を指摘されました」
「…は」
「染髪による将来的な頭皮のダメージについて語られ、その次に黒髪の美しさを語られましたね。染めてばかりの日本女性に嘆いてもいました」
「……それは、誰の話をしているんだ?」
「先輩のお父さんですよ」
「……他にもあるだろう? その」
先輩は言いにくそうに口ごもったが、彼が何を言いたいのかは察することが出来た。
「別れろとかそういう話はなかったです。今日のところは私の顔を見に来ただけなのかもしれませんね。…認められないと思われたら次に会った時にでも別れろと言われるかもしれませんし」
私がそう返事すると、先輩は暗い表情をしていた。
やっぱりそれを恐れているようだ。
「…せんぱーい、言われたらその時考えましょ? 今せっかく文化祭デートしてるんだから今くらい私のこと見てくださいよー」
「…お前は不安じゃないのか?」
負のループに入ってしまったらしい。
先輩は真面目だから考え込むと、とことん自分を追い詰めるところがある。先輩の悪い癖だ。
不安じゃないと言ったら嘘になるけど、まだ何も言われてないから不安になっても仕方がないし。言われたら考えるよ。
もー、折角デートしてるのに先輩ったらお父さんのことばかり考えて。先輩の事をファザコンって呼んじゃうぞ。
私は暗い顔をする先輩の頬を両手で挟むと、チュッと軽いキスをした。
「だーめ。ほら目の前には私しかいないでしょ? お父さんのことばっかり考えてないで私のこと見てください」
「…あやめ」
「ねぇ先輩、私だけを見て?」
私のお願いに先輩はちょっとだけ泣きそうな顔をしていた。
…私には彼の不安は取り除けないのかもしれない。だけど側にいることはできる。彼の傍に寄り添うことは出来るのだ。
先輩の首に抱きついて「大丈夫大丈夫」とおまじないのように呟いていたら。私の背中に先輩の腕が回ってきた。
力が強くて少し苦しかったけど、私はそれを受け入れた。
それは先輩の不安を表しているのだろうから、私はそれを受け止めたい。いつも私は先輩に守られてばかりだけど、私だって先輩を守ってあげたいのだ。
私達はそのまましばらく、会話することもなく抱き合っていたのだった。
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