私は小さい頃男の子になりたかった。だけど私は女の子でしかなかったんだ。

 夢を見た。昔の思い出を。


『本当に可哀想になぁ』

『せめて男女逆なら良かったのに』

『和真君はお母さんにそっくりで可愛いわねぇ…お姉ちゃんは……あらぁお父さん似かしら?』


 大人たちの心無い言葉は昔から私に降り掛かってきた。

 例え子供でも…子供だからこそ傷付くというのに大人たちは平気で私と弟を比べた。


『あやめ!? 一体なんてことを!』

『あやめ男の子になるの。だっておじさんたちが言ってたよ? カズとあやめ、逆なら良かったのにって』

『あやめ…』

『このお洋服も要らない。カズにあげる』


 私は反発心もあって一時期、男の子の格好をして本気で男の子になろうとしたことがある。

 母が好んで綺麗に伸ばしていた髪を図工用のハサミを使って自分で短く切って、好きだった可愛いワンピースも着なくなった。 

 あれは確か小学校低学年の頃だった。 



 大人たちの言葉は柔らかい子供の心に深く突き刺さっていた。“慣れた”なんて自分は思っていたけど、実は私の心の奥深くで傷として残っていたようだ。

 私に劣等感というものが生まれたのはもしかしたらその頃からなのかもしれない。



 …あの時は悪気があったわけじゃないけども和真にもかなり迷惑を掛けていた気がする。

 反発心の塊の私は、同じく小学生だった和真の洋服をサイズが違うというのに強引に着用の上、黒いランドセルを背負って登校して行ったので、和真は私の桃色のランドセルで登校する羽目になったし、それで母さんは担任の先生に呼び出しを受けた。


『だっておじさんが言ったんだもん。あやめは男だったら良かったなって。カズのほうが可愛いから可哀想だなって。だったらあやめは男の子になるしかないじゃないの!』


 反抗心むき出しの私は親戚のおじさんに言われたことをそっくりそのまま先生たちの前で言ったのだが、それを聞いた大人たちは困った顔をしていた。


 別に母さんを責めたわけじゃないんだけど、あの時母さんは泣きそうな顔をしていて、私は自分が不味いことを言ってしまったのだと理解した。


 だけどその事で母さんが桃色のランドセルにランドセルカバーを付けてくれた。当時人気だったアニメのモンスター柄布地のカバーに私はご満悦になり、そのランドセルをちゃんと使うようになった。

 そして男女共用のユニセックスな洋服を着せてくれるようになり、一切スカートを履かなくなった。

 私は一時期女の子らしいものから遠ざかったのだ。




 今は文化系を自負している私だが、子供の頃は外で友達と駆け回ることが好きだった。

 男の子の友だちと遊ぶことが増えるのは自然なことであった。もちろん、遊びたいとやってくる女の子もいたので男女混合で遊んでいた。



『あっくん!』


 ふわふわのスカート姿のあの女の子が私を呼ぶ。

 お姫様みたいに可愛くて私は内心とっても羨ましかった。

 その頃私は男言葉を好んで使っていたのでその子は完全に私を男の子だと思っていたと思う。


 私はあやめちゃんと呼ばれたくなくて友達に【あっちゃん】って呼んでもらってたんだよね。

 きちんと自己紹介もしてなかったからあの子だけが私をあっくんと呼んでたんだ。


 …あの子…名前は忘れちゃったけど、お父さんの転勤で引っ越すことになったって言って居なくなっちゃったんだよね…


 きっと美人さんになってるだろうな。

 私が彼女の名前を覚えてないし、向こうもきっと忘れてるだろうけど。



 嫌な夢を見たと思ったけど、楽しかったことを思い出せた。

 私はしばらく天井を見上げたままボーッとしていたけども、ゆっくりとベッドから起き上がって学校に行く支度をしようと部屋を出たのである。




☆★☆



 国公立大受験の三年生も自由登校に切り替わり、学校は静かになった。

 三年のピリピリした空気から解放されたのも束の間で、私達在校生は今月下旬の学期末テストに今度は自分たちがピリピリすることとなった。


「アヤちゃぁぁん助けてぇ」

「無理! 他所当たって」

「ユカちゃ…」

「自力で頑張りな沢渡」

「そんなぁ」


 丁度国公立大学二次試験のある日の前に学期末テストが行われる。

 橘先輩も今頃追い込みに入っているのだろう。

 なのでその邪魔にならぬよう私は連絡を控えている。

 私も学期末テストの勉強で忙しくしているのもあるが、今度の春休みがバイトのラストチャンス。しっかりいい点数を取らなければバイトの許可は出ない。進路がまだ決まっていない私だが、春休みを目処にバイトは一旦封印するつもりだ。

 進学なら受験勉強で夏休みは潰れる。もしも就職するとしても、自動車免許を取るつもりだから結局潰れると思われるから。


 取り敢えず目先の目標は進級である。






「うぅ、頭が痛い…」


 ある日の土曜日、私は朝から図書館で勉強していたが、眼精疲労からくる頭痛なのか勉強を続けるのが難しくなったため夕方前に図書館から出てきた。

 駅近くの公園のベンチで頭を抱えて項垂れていると『ハッハッハッ』と荒い息が聞こえた。

 私は少々疲れた顔でその息の持ち主に視線を送るとそこに居たのは犬だった。


「…犬?」


 その犬はつぶらな瞳で私をじっと見上げており、その口にはテニスボールがあった。


「…え、なに投げろって?」

「ハッハッハッ」

「えぇ? …飼い主どこよ…」


 期待に満ちた目で私を見つめる犬。

 まだ? ねぇ投げないの? と問い掛けてくるようだ。

 私は困惑していたが、犬の口から恐る恐るテニスボールを取ると遠くへと投げた。


 犬は目を輝かせてボールを追っていった。

 その様子を元気だなぁと眺めていると、何処からか女の子が誰かを呼ぶ声が聞こえた。


「田中さーん!」

「おぁん!」

「もー田中さん探したんだからね〜」

「ハッハッハッ」

「………」


 あれ? ヒロインちゃん?

 ていうかあの犬のこと田中さんって呼んだ? 


「あっ! 田端さん」

「その犬、ヒ…本橋さんのペット?」

「うん! コーギーのオスで田中さんっていうの!」

「そうなの…」

「そう言えば田端さんこの辺に住んでるって言ってたね!」


 なんで犬に田中さんと名付けたのかは突っ込まなかった。突っ込んだら負けだと思ったのだ。

 ヒロインちゃんはラフな休日スタイルだったがさすがヒロイン、カジュアルでも可愛い。


「そうだけど…本橋さんの家はもっと先の駅じゃなかったっけ?」

「うん…そうなんだけどね…」


 私の問いにヒロインちゃんは何故か苦笑いをした。

 そして遠くを見つめるようにして公園を眺めている。その視線の先では子どもたちが遊び回っていた。まだまだ寒いと言うのに元気なものである。



「…私ね、小さい頃この辺に住んでいたの」

「…そうだったんだ」

「お父さんの転勤で引っ越しちゃったんだけど…私ね、昔引っ込み思案で運動も苦手だったから学校の子達にも仲間はずれにされてたんだ」

「え。そうなの?」


 意外である。

 こんなに可愛いんだから昔からアイドルだったんだろうなと思っていたがそうではなかったらしい。

 だけどヒロインちゃんはもうそれを気にしていないらしく懐かしそうに笑っていた。


「…違う校区の子でね、私を遊びに誘ってくれた男の子が居たの」

「う、うん?」


 話が変わったので私は首を傾げながら相槌をうつ。

 学校では友達には恵まれなかったけど校外では友達がいたのかな?


「鬼ごっこの時はいつも私の手を引いてくれてね、一緒に逃げたの。かくれんぼのときも一緒に隠れたんだ。捕まりそうになったら盾になってくれてね…あんな風に楽しくお友達と遊んだのは初めてだったから楽しくって学校が終わったらいつもこの公園に来ていたの」


 そうなんだ。

 私はずっとこの辺に住んでるから、この公園も遊び場の一つだったんだけどもしかしたら幼いヒロインちゃんとすれ違ったことがあるのかな?


「私が転けて泣いてしまった時はおんぶして家まで送ってくれたのよ。子供の頃は体格差は変わらないのに自分は男だから女の子に優しくするのは当然だって言って送ってくれた」

「うん…」

「初恋だったんだ…だからここに来ればもしかしたらあの子に会えるかなって思って…」

「…そうなんだ…」


 そうか…

 初恋かぁ…甘酸っぱいなぁ。甘酢っぺぇ…

 私って初恋とかしたことあるかな…数年前お祭りの時に私の下駄を直してくれた鼻緒の君とか?

 なんてね。年が離れすぎてるわ。


 その初恋の相手とやらもヒロインちゃんに告白されたらイチコロだろうに…

 


「…でもその人も成長しててわかんないんじゃないの? 顔も変わるし」

「…そうなんだよねぇ。私も諦めが悪いね。…どうしてもあっくんと比べてしまって前に進めないんだ」


 ヒロインちゃんは初恋を引きずっているらしい。

 だからなのかな。乙女ゲームとは違う流れになってしまっているのは。


「でももうそろそろ忘れなきゃね」


 さみしげに笑うヒロインちゃんの横顔を見て私は思わず口を挟んだ。


「…忘れるってよりはいい思い出として記憶に残しておいても良いんじゃないかな?」

「…そうかな?」

「焦らなくてもその内その子よりも好きになれる人が見つかると思うよ?」


 私は先輩に恋したことを忘れたくはない。別れが来てしまったらしばらくは辛いだろうけど、それを乗り越えた時にいい恋をできたと思い出にできたらって今は思っているから。

 私のその言葉にヒロインちゃんはやっぱり淋しげに、だけど少しホッとした表情で笑っていた。


 …再会できたらその初恋は昇華できるのかな?

 ヒロインちゃんが攻略対象とイベントをしつつも攻略してる様子がないのはその“初恋の相手”の存在があるからなのかな。


 …初恋って美しい思い出になりそうだから余計美化してそうだしね。


 いつかヒロインちゃんが前を向いて素敵な恋ができるようになればいいな。





 その後、ヒロインちゃんと別れて家へと帰宅した私だったが、母がクローゼットの中を掃除しているのを見かけて声をかけた。


「…母さん、こんなに荷物広げて何してるの」

「あらあやめ、おかえり。…一枚見てたら懐かしくなっちゃってね。ほらあやめが男の子になる!! って言ってた時期があったでしょう?」

「あー…あったね…」

「その時の写真が出てきたのよ。ほら」


 そう言って渡された古い写真に映る幼い私と友達を見て私は目を見開いた。



 男の子のように短髪にした地味顔な幼い私の隣に可愛らしいワンピースを着た女の子の姿。


『あっくん!』


 あの子の笑顔が私の脳裏に蘇った。


 

「……かれん、ちゃん?」


 私は前世の記憶が蘇っていない幼い頃に何かをしてしまっていたらしい。

 そのせいで乙女ゲームの流れがおかしくなってしまったのだろうか。私が幼いヒロインちゃんと関わってしまったばかりに。



 多分、ヒロインちゃんの言う“あっくん”は私だ。

 そしてこの写真に映る幼い女の子は…ヒロインちゃん。

 

 短い期間だったけど一緒に遊んだお姫様のように可愛い女の子は本橋花恋。

 

 ヒロインちゃんだ。


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