伝えられなかった想い【木場早苗視点】
『やっぱり山村が一番だろ』
『クラスで一番美人だよな。だけど胸ちっさくね?』
中学二年の時、クラスの男子が教室で女子のランク付けをしているのを耳にしてしまった私は教室の外で動けなくなっていた。
やっぱり友人の沙織が一番人気なのだなと他人事のように考えていると、続いて飛び出してきた名前が自分だったことにギクッとする。
『木場は? あいつ胸でけーじゃん』
『木場ー? あいつニキビすげーからな〜いくら乳がでかくても萎えるわ』
『言えてる』
そんな下卑た目で見られていたことにもショックだったし、自分のコンプレックスだった思春期ニキビ…自分の場合、重症で皮膚科に通っているが一向に良くならない肌荒れのことを言われてしまい深く傷ついていた。
早くここから立ち去りたいけど鞄がないと家に帰れない。だけどそこで教室に入っていくことも出来ずに棒立ちになっていた。
『…そういうのやめろ。聞いてて気分が悪い』
だけどある男子の声に俯いていた私は顔を上げた。
『何だよ橘、お前もしかして木場のこと好きなのか〜?』
『……そういう返ししか出来ないのか。人を貶す発言を聞いてて楽しい訳がないだろう。しかもセクハラとも捉えかねない下品な話題で。人間性疑うぞ』
そのからかいの言葉に彼は呆れた声を出していた。
私をこき下ろす発言をする男子に口を出してきたのは同じクラスの橘君。真面目で落ち着いていて格好良い、クラスの女子にも人気のあるクラスメイト。
まさか彼が庇ってくれるとは思わなかった。
私は息を殺して中の様子を伺う。
『木場にだって選ぶ権利があるんだから上から目線で物を言うのはよしたほうがいい』
『はー? 何いい子ぶってんだよお前』
『カッコつけてんじゃねーよ』
カチンと来た男子が橘君に喧嘩を売っているようでハラハラしていたが、彼は冷静に対処していた。
その凛とした姿がとても格好よくて、私は彼に恋をした。
だけど私にとって橘君は雲の上の人。
接点なんて無いし、話しかける勇気もなくてひっそり片思いをすることしか出来なかった。
しかし私にもチャンスはあった。
「うそ…」
新学期の委員会決めで私はじゃんけんに負けてしまった。
だけど図書委員なら楽だからいいかと半ば諦めていると、男子側もじゃんけんに負けた人が図書委員に決まっていた。
「じゃー男子は橘が図書委員な」
「!」
じゃんけんに負けてしまったものの、私は橘君と同じ委員会に入ることになるとわかると嬉しくなった。
早速自分も教室の黒板に図書委員の所へ名前を書いてもらおうとしたんだけど、私の腕を誰かが掴んて止めた。
「!」
「早苗! お願いっ私、図書委員になりたいの! …代わって?」
「えっ…」
私の腕を掴んだのは山村沙織。このクラス一、いや学年一の美少女だった。
彼女はじゃんけんに勝って一抜けして喜んでいたというのに何故か自ら図書委員になりたいと言ってきた。
私は困惑した。降って湧いたチャンスを逃したくない私は断ろうと思ったんだけど、彼女は私の返事を聞く間もなく、「私もじゃんけんに負けちゃったの〜」と橘君に声を掛けに行ってしまった。
呆然としている間に委員決めは完了し、私は図書委員のはずが委員会に入らない事になっていた。
沙織と橘君が接近するのはあっという間だった。
「橘君に告白したらOKもらえたの」
「え……」
「うふふ、それでね…キスしたんだけど歯が当たっちゃってね…」
委員になって二ヶ月後には二人は交際を始め、クラス公認のお似合いの美男美女カップルとなっていた。
私は彼女のノロケを聞かされる羽目になり、その度に嫉妬で胸の中が焼け付くような激しい痛みを感じていた。
だけど彼女は友人。
しかもとびっきりの美少女。
だから、私は諦めた。
彼女には勝てないって。
もう橘君を諦めるしか無いじゃないの。
彼女の口から聞かされる私の知らない橘君の話。
それは三年になっても変わらなかった。
高校に進学しても話を聞かされるのは辛いから二人とは違う高校に行きたいなと思っていたのだけど…
橘君は私立受験中倒れて本命に落ちてしまった。沙織も同じ高校を受けていたけど沙織だけ合格した。
それで私の本命でもあった公立の進学校に橘君も進むことになったのだけど…
……二人はそれから距離が生まれ始めた。
私は沙織側の話しか聞いていなかったから、忙しそうにしている橘君には悪いけど彼氏失格だなと思ったりもした。実際に彼に口出ししたこともある。
『沙織に寂しい思いをさせておいて一方的に別れを告げるってどういうことなの?』
って。
その時の橘君の表情は今でも忘れられない。
傷ついた表情で…それとどこか沙織に対して嫌悪感が見え隠れしていたから。
大分後で知ったのが沙織の浮気が破局の原因だってこと。その時は流石に橘君に申し訳ないことを言ってしまったなと反省した。
橘君と正式に別れたのは高校二年のときだけど、そのあとすぐに沙織には彼氏ができて…
そんなにすぐに切り替えられるほど簡単な恋心だったの? と沙織に苛立ちを覚えた。
私も思うところがあって沙織と連絡を取らなくなったが、共通の友人伝いに沙織の近況を聞かされていたので特に問題もなかった。
あっちもあっちで大変なのだろう。
沙織の高校は公立のここよりも偏差値が高く、授業数も多くて、私立ならではの規律もあって大変だと耳にしたことがある。
だけど清純な見た目にそぐわぬ、したたかな所がある沙織ならなんとかやってるだろうと全然心配しなかった。
橘君は以前にも増して学業に剣道に風紀委員会に没頭するようになった。まるで何かを振り払うかのように。
だから声を掛ける事もできずに、やっぱり私は遠くから彼を見つめるだけだった。
彼女を作る気配もない橘君だったが、状況が変わったのは三年になってから。
彼の側に派手な姿をした二年女子がいるのをよく見かけるようになったのだ。
始めは風紀指導なのだろうと思っていたけど、それにしては妙に親しい。
それに、彼が表情豊かになっていくのが遠くからでもわかった。
話に聞けばあの女子生徒の弟が暴力事件に巻き込まれて、その時風紀が動いたのでそれで話すようになったんじゃないかって。
そうだよね。
まさかあんな派手な子、橘くんが相手するわけがないよね。だって沙織みたいな元カノがいたんだから。
相手するわけがない。
私はそう高をくくって問題視していなかった。
沙織から久々に連絡があったのは年明けて1月。
橘君と復縁したいから協力してくれってお願いだった。
受験間近のこの時期に復縁要請? とは思ったけども、沙織の話を聞いていたら私は腹が立ってきた。
あの二年女子…田端あやめと橘君は相当親しい仲であると沙織から聞かされたのだ。
『田端あやめと橘君が図書館で親しげにやり取りをしていて、せっかくお弁当を作ってきたのにあの子の作ってきたものばかり食べていた』
『ゼミの帰りに参考書をダシにして復縁の話を持ちかけようとしたら田端あやめが橘君のお兄さんといる所に出くわして、その後お兄さんも交えて本屋に行ったので復縁できなかった』
『センター入試の最終日に復縁話をしようと思って、話があると告げるとカフェに連れてかれたらそこにまた田端あやめとお兄さんがいて、橘君の意識が田端あやめに向いてしまった』
『学校にまで出向いたら、橘君が田端あやめと一緒に帰るところだった。なんとか話をする機会を作ってもらったが、きっぱりフラれてしまった』
交際には至っていないが時間の問題だろうとも聞かされた。
涙声で訴える沙織。私と友人は憤った。
どうしてあんな化粧でごまかしているような何の魅力もない女を橘君は選ぶのか。
私は沙織だから諦めた。
私では橘君に釣り合わないからこの恋を諦めたのに。
あの子でいいなら私だって。
それなのになんで…
「田端を悪く言うのは許さん。お前達に彼女の何がわかる? 田端は噂のような女じゃない。朗らかで心優しい女性だと俺は知っている」
「…好き勝手に彼女を貶して何が楽しいんだ。受験のストレス発散にしては過剰すぎると思うんだが…お前らのことを見損なったぞ」
橘君にあんな軽蔑した目で見られたのは初めてだった
悪い噂を流してしまえば、橘君が幻滅して田端あやめを嫌うんじゃないかと思ったけど、そうはいかなかった。
どうしてそんな子を庇うの?
彼のその目に睨まれるのに耐えきれなくて私は現場から逃げ去ったが、それでも腹の虫は収まらなかった。
私と橘君とは同じクラスなので気まずかったが、話す機会もなく私は憂鬱な気分で日々を過ごしていた。
受験生なのになんて体たらく。受験勉強に集中できずに私のストレスは余計に溜まっていた。
そんな時にあの田端あやめが呑気な顔で目の前を通り過ぎるのを見かけてイライラが増した。
だから声を掛けた。
橘君にバレンタインチョコを渡すと聞いてカッとなってあの子の持っていた紙袋に入っているだろうチョコレートを思いっきり踏み潰してやった。
ショックを受けた田端あやめの顔を見たときは胸がすっきりとした。ざまあみろって思った。
私は橘君に渡してもきっと受け取ってもらえない。……だって軽蔑されたのだもの。
橘君はモテるから、朝からいろんな女の子にチョコレートを渡されてた。だけどこの女が橘君に渡すのだけは許せなかった。
「好きだからって何しても良いわけじゃないんですよ? 私に嫌がらせするんじゃなくて…好きなら好きって好意を伝えたら良いじゃないですか。嫌がらせするような人を橘先輩が好きになってくれると思いますか?」
そんなの知ってる。
…でももう遅い。もう嫌われてしまったのだから。
あんたに何がわかるのよ…!
どうしてあんたみたいな子が橘君のそばにいるの!?
偉そうな口を聞かないで!!
私はどうにも感情が抑えられずに田端あやめを引っぱ叩こうと思ったけど邪魔が入ったのでそれは出来なかった。
☆★☆
私は廊下の窓から昇降口から正門に向かう人々を眺めていた。帰宅していく生徒の中に背の高い男子生徒と茶髪の女子生徒が並んで帰っていく姿が目に映る。
私の頬に生暖かい液体が流れていくのを感じた。
『…いい加減にしろ。沙織に何を言われたか知らんが、田端を
田端あやめがチクったのか、二年のあの男子がチクったのかは知らない。
この間よりも冷たく鋭い視線で橘君が私を見下ろした。明らかな憤りを隠さずに橘君は私を睨みつけていた。
きっと橘君の中で私への好感度はマイナスに行ったことであろう。
どうしてこうなったのだろう。
最後まで渡せなかったバレンタインチョコが入った鞄がずしりと重く感じる。
志望大学も違う、最後のチャンスだったのに私は何をしているんだろう。
今更になって私は中学時代クラスの男子がしていた最低なことに似たことをしていたんだと気づいた。
私は、ただ単に田端あやめが羨ましかった。
彼の隣にいるあの子が羨ましく、妬ましかった。
その日の晩、沙織からもう一度ぶつかってみたが改めて振られたと連絡が来た。
それを聞いた私は今更、本当に今更に後悔したのだった。
後悔しても後には戻れない。
失ってしまった信用はなかなか回復できないし、嫌われてしまったらなかなか好きになってもらえない。
それは沙織も私も同様。
…ずっと好きだったの橘君。
真面目で努力家で優しいところのあるあなたが好きだった。
あの時沙織に抜けがけされた時「私が図書委員だ」って声を上げればよかったのか。
変な噂を流してあの子の信用を失墜させようとしなければよかったのか。
その前に告白をしたら私にもチャンスはあった?
私は渡せなかったチョコレートの箱を持ち上げると乱暴に包装用紙を破いた。
やけ食いのようにして食べたチョコレートは少ししょっぱかった。
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