#035 女王陛下に捧ぐ

「生徒会活動に関する各種データには、当然ながら数多くの個人情報が記載されているわ」


 ぼくの答えを待たずに先輩が淡々と質問を開始する。

 聞くまでもない、といったところか……。

 これはもはや一種のセレモニーである。

 彼女が知りたいのは、きっとぼくの行動の真の意味だろう。

 だが、それをどう言えばうまく伝えられるのか、いまだ自信が持てなかった。


「だからこそ、記録の閲覧には所定の手続きに従い、責任者の了承を得なければならないという規定が数年前に生まれたの」


 情報には価値が有る。単なる生徒名簿であってもそこに氏名や住所、連絡先等が記載されていれば、もう立派な商材だ。正しく利用されるのならまだしも、大概が悪意の有る第三者によって、違法行為まがいの使われ方をしたり犯罪のターゲットとなってしまうケースが散見される。


「あなたがここ最近は頻繁に生徒会へ出入りしていると言っても、立場上は一般生徒と変わらないわ。それは生徒会顧問の先生も承知しているはず……。資料の閲覧には管理責任者の同意だけでは不十分よ。それに伴う資格が必要だわ。あの先生がそうした段取りを無視して、あなただけを特別扱いにするとは考えられない」


 自身の考えを滔々とうとうと語り続ける副会長。

 確信を帯びた声はまもなくひとつの結論にたどり着こうとしていた。

 あとはそれをぼくが認めるか否かだ……。


「答えなさい、東堂くん。あなたはどのような方法で文書保管庫の鍵を受け取ったの? そして…………どうやって、その立場を手に入れたの!」


 訊かれた内容の前半はすでに問題ではないのだ。

 彼女にとってはもはや自明の理。むしろ、そうするしかなかったという判断すらしている。

 それでも許せないのは、自らの預かり知らぬところで何か重要な案件が処理されてしまっているという真実。ただ、その一点だろう。


「……規約に従えば、生徒会メンバーの人員に関しては選挙によって選ばれた会長、並びに副会長以外の任命を生徒会長が自由に決められる専任事項となっています」


 静かにゆっくりと、まずは現行のルールを確認する。自分の言葉を先輩はまるで信じていた仲間に手ひどく裏切られたような表情で聞き入っていた。実際、そうなのだろう。


「ぼくは閑院門会長の元を直接、訪ねました。それから、生徒会メンバーに選んでもらえるよう個人的に要請をしたんです。ありがたいことに即決で許可していただき、生徒会書記として登用する旨を受けました。次にその時の委任状を携え、顧問の先生に資料庫の閲覧を認めていただけるようお願いをしました……。副会長、ぼくはすでにこの生徒会の一員です」


 長谷川さんが文化祭実行員会や、それを統括する生徒会を最初から無視し、最高意思決定者である生徒会長に直接、自らの要望を聞き入れるよう直談判したと知った瞬間、ぼくは素直に驚いた。

 だが、よく考えれば、そうした行為は極めて合理的で当然の選択であると認識した。

 権力構造の二重性が露骨に存在するわが校の統治体制を知っていれば、もっとも脆弱で攻めやすい部分に狙いを定めるのは勝つための最善手だ。

 彼は横暴ではあるが、間違ったことはしていない。悪いのは、その力もないのに権力者として君臨している閑院門会長と、現状を不条理と知りつつ、自らの立場を唯々諾々と受け入れている副会長なのだから。


「……あの人が東堂くんの名前を呼んだとき、もっと注意を払うべきだったわ。そうね、自分の部下でもないかぎり、会長が一般生徒の顔と名前を覚えているはずがないもの。あの時点で、すべてのお膳立ては完了していたというわけね……」


 唐突に姿を見せ、トラブルの種を持ち込んできた閑院門会長。その様子を思い出し、先輩は自らの不覚を自嘲する。


「無邪気にはしゃいでいたわたしの姿は、あなたから見てもさぞや滑稽に映ったのでしょうね」


 つぶやいた彼女の視線は下を向いている。

 無垢なる少女のような振る舞いは、常の自分と比較してどこか気分が浮かれていたと自問自答を繰り返しているのだろうか。

 だが、ぼくにとってもあの一件は青天の霹靂へきれきだった。

 すべての準備を整え、タイミングを見計らっていた自分にしてみれば、予期せぬ形で無用な横槍を突きつけられたようなものだ。何より、目論見と手法があまりにも類似している。

 

――もし、あなたの前に自身の目的を阻害する可能性を持つ者が現れた場合、採るべき方法はただひとつ。すべからく障害となりうる存在を速やかに排除する。ただ、これのみであろう。でなければ、相手によって今度はあなた自身が政治の表舞台から引きずり降ろされてしまうからだ。


 政治思想における絶対的な真理を簡潔に説いた中世の賢人。

 その人の言葉は、ぼくがやるべきことを明確に示してくれた。

 すなわち、いかなる策を用いても相手の意思を挫くというものだ。

 しかし、焦りから生じた攻撃的な思考をあっさりと先輩に悟られ、他に思惑があることを見事に看破されてしまう。


「……………………なぜなの?」


 短い沈黙のあと、不意に彼女が声を投げかけてきた。

 わずか四文字に多くの感情が込められている。

 とまどい、裏切り、憎悪、苦悩、嫉妬……。そのすべてがぼくに向けられていた。


”大切な友達の夢を叶えるため”


 そう答えれば、彼女は納得してくれるだろうか?

 ありえない。深く考えるまでもなく、結論は明らかだった。


――他人のために自らを犠牲として目的を達成する。


 幼少のみぎりから大人たちによって理不尽な運命を背負わされた少女。

 だれかのために生きていくことを強要され続けてきた先輩に、ぼくの言葉はきっと虚しく響くだけだろう。それでは駄目だ。

 必要なのは、ここから先へとつながる未来への覚悟。他のだれでもなく、彼女のためにぼくが出来ることを明確な声と言葉で伝えることだ。


「副会長……それでもぼくは誓いますよ。あなたにとって最大の理解者であり、最良の助言者であることをこれからもずっと続けていくと……あなたのそばで」


 その台詞は七つの海を支配する大帝国にかつて君臨した喪服の女王。

 至尊なる存在に対し、高貴な生まれでありながら生涯を一政治家として国家に奉じた、とある貴族が語ったとされる誓約の言葉だ。

 彼女にとって必要な人材となる。いまのぼくに可能な選択はそれしかなかった。


――捧げられるものは忠誠と献身。時が果てるその日まで、赤心を持って女王陛下に仕える。


 ぼくの献辞を黙って聞いていた先輩が椅子から立ち上がり、不意に背中を向けた。

 窓辺に身を寄せ、しばし校庭の様子をうかがう。


「……ならば、結構よ」


 かすかに聞こえたつぶやきと同時に彼女はふたたびこちらへ向き直った。表情にはそれまでのような翳りも憂いもなく、ただ美しいだけの尊顔を浮かべるのみ。


「覚悟しておくことね。せいぜい、存分にこき使ってあげるわ……」

「……わかっています」


 冷たく言い放つ先輩の口調になぜか安堵した。

 やはり、彼女は”女王様気取り”で下々を睥睨している姿がよく似合う。

 『茨の女王』という呼び名は、畏れと恐れの両方がないまぜとなった人々の共通認識であるのだ。


「文化祭の出店に関しては、あなたに一任するわ。万事、滞りなく進めておきなさい」


 いつもの調子で平然と無茶ぶりを言い放つ。

 まあいいだろう。やりたいようにやって良い、ということならば話は簡単だ。

 女王の片腕となって、せいぜい宴を大いに盛り上げる役目を努めよう。その際にはクラスのみんなや友達の力も必要となる。まずは松阪くんに会って、企画の進捗具合を確かめなければならない。


「ノンビリしている暇はないわ。文化祭が終われば、他校との交流行事に期末考査。冬休み中も生徒たちの素行に目を光らせ、年が明ければすぐにでも新たな受験生の受け入れ準備を始めなければならない……。そして、春が来るわ。自分たちの任期が終わるその時まで、わたしの力になりなさい、東堂くん」


 目まぐるしく移ろいゆく歳月を思いながら、彼女は小さく笑った。

 それは、これからふたりで過ごす毎日を想起しての微笑みだったのだろうか。

 ふと考える。

 ぼくと先輩の間に恋愛感情を伴った男女のような関係性が生じたとしたら?


 …………………埒もないな。


 彼女は『茨の女王』だ。だれにも弱みなど見せず、すべての人々を眼下に押し並べ、超然と高みに君臨する。

 ぼくはその面前に深くこうべを垂れ、かしずくのがお似合いだ。

 残念ながらこの恋は、なかなかうまくいかない。




 終わり

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ブロウクン・ビューティー ――暴言女王と陰キャラ男子―― ゆきまる @yukimaru1789

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