#034 星の対価

「これは遡れる限りの範囲で抽出した、わが校の文化祭における屋台の売上金。その年度ごとの推移です」


 引き出しの中から取り出した一枚のコピー用紙。プリントアウトされた二本の折れ線グラフの内容がよく見えるよう、相手に向かって差し出す。

 グラフは共に右肩下がりの曲線を描いていた。


「もちろん、数字の偏移は少子化や都市の過疎化と言った様々な要因が重なっているからだと思われます。現に別チャートにある来場者数の変動もなだらかな減少を示している以上、両者の相関関係は明らかなのでしょう」

「そうね……。生徒の募集定員は数年間、変わっていないのだから学校行事への参加者が年を追うごとに減ってきているのは、主に外部要因が少なからず影響しているからだと判断するのが妥当だわ」


 こちらの説明に一応は納得の姿勢を見せてくれた。

 客観的な事実から現状と原因をつまびらかに考察する。

 議論ディベートとは、揺るぎのない現実を土台として、どこまでも高く積み重ねていく虚構の”バベルの塔バベルタワー”なのだ。


「ですが、来場者数の減少に比べ、より顕著な形で屋台の売上が下降していることはグラフを見ても明らかです。ここから考えられることは、やはり屋台の内容そのものが来場者に飽きられているのだと、ぼくは判断しました……」

「つまりは、そのための”変革”。いえ、より大胆な”改革”が必要と東堂くんは言いたいわけね? チョコバナナをクレープに変える程度では満足せず、より起爆剤としての効能が見込まれるであろう”牛串焼き”をラインナップに加えるべきであると」


 こちらの結論を先回りするような回答。

 まるで相手の手の内などすべて読み切っている、とでも言いたげな口調だ。

 …………事実、そうなのだろう。


「先輩のお考えを否定するつもりはありません。ただ、さらにもう一歩、踏み込んだほうがより具体的な成果が見込まれるのではないでしょうか?」


 出来れば穏便な形での決着を望みたい。

 下心が透けて見えそうな言い回しは、ぼくの正直な気持ちだ。

 これで終われば、それに越したことはないのだから……。


「そうね……。あなたの言うことはいつだってもっともらしい。だからこそ……」


 継いだ彼女の声はすべての希望を打ち消すような魔女の宣告だった。


「東堂くん、だからこそ変化は少しづつ時間をかけて醸成していくものだわ。一夜にして世の中の有り様がすべて逆転してしまった過去の革命や革新は、その過程において反対分子の撲滅を掲げる行きすぎた強制力の発露によって社会が荒み、いずれ反動勢力によって革命の成果を第三者に簒奪されてしまうものよ……。自分たちの世代が行うべき改革は必要最低限にとどめ、後のことはそれを引き継ぐひとたちに託すべきだとわたしは考えているの。自らの任期ですべてを変えてしまうようなやり方は、結果として次世代の人間に無用なプレッシャーとしてのしかかっていく。それを良しとしてしまえるほど、自分は残酷ではないわ……」


 静かに、でも泰然とした強い意思を感じさせる口調。

 それが石神千景という存在の揺るぎない主張だ。

 まだ見ぬ後継者に対しても十分な配慮を惜しまない。

 その考え方自体は優しい……。優しいがどこまでも相手を見下している。慈愛と同情はカードの裏表で、彼女はすべての切り札を思うがままに操っている。でなければ、こうまで自信満々に振る舞えるわけがないのだ。


「そうね。出来るならクレープが新たなメニューとして定着するまでの数年間……。それが無理だとしても、せめて来年の文化祭までは他の商材を変更するべきではないと思うわ。なにより、そうまでして現状を変えなければならない切迫した理由があくまでも一個人の事情というのでは、他の生徒たちに示しがつかないもの……」


 こちらの要望を否定しながらもさり気なく妥協案を提示してみせる。

 ”一年待て”というわけだ。

 そうなれば、先輩自身も生徒会を離れて、校内行事の取りまとめは下の世代が行うことになる。自分以外が相手なら、おそらくどうとでもなるという暗黙の了承だ。

 なるほど……。まあ何となく予想はしていた。

 すべての思考を見透かされているような相手の言動。いや、きっと彼女はぼくが密かに用意していた資料に目を通していたのだ。

 証拠はないが確証はある。用紙を未整理の書類の束に紛れ込ませる時、すぐに判別できるよう四辺の一角を折り曲げて耳を作っておいた。そして、目聡く異変に気づいた人間がいることを想定し、わざと角度をつけて他の書類の間に挟んだ。だが、いましがた引き出しを漁った時には、ほぼすべての紙が平行に整っていた。それなのに、耳を立てたコピー紙だけは収めたときと同様、目立つ形で他の書類から飛び出していたのだ……。


――資料を抜き出し、こっそりと廃棄などしなかった理由は?


 きっと中身を確認して、この程度の内容なら簡単に論破できると考えたのだろう。

 イリーガルな手法に抵抗感が少ない彼女のことだ。黙ったまま情報だけを入手して、こちらを油断させる目的もあったのだと思う。もちろん、それを咎める理由も考えもない。

 なぜなら、その必要がないからだ……。


「東堂くん。申し訳ないけど、これが現生徒会副会長としてのわたしの判断よ……。一人の人間のために学園の行事である文化祭の私物化は許されない。それが生徒全員に対する公平な姿勢を示すことに繋がるわ」


 わかっていた。彼女は『茨の女王』だ……。美しい花を咲かせているが、その美しさを損なわないように刺々しい雰囲気をまとって周囲と距離を置いている。


”自分は特別に近づいた”


 などとは夢にも思っていない。

 遠く離れた場所から、ぼくらの様子を眺めている物見遊山の連中は声を潜めてあれやこれやと囁いている。だが、当人にしてみれば見当違いも甚だしい。石神千景という女の子は絶対に他者の前で自分の弱さを見せることはないのだ。

 それがどのような問題であったとしても……。


「……僭越ながら意見させてもらいます。先輩の個人的な見解について、ぼくにはイエスともノーとも答えられません。ただ……やはり、文化祭の内容について変えるべき部分は時を待たずに変えていくことが重要なのだと自分は考えます」

「…………………それは一体、どういう理由で?」


 目の前の女の子が装う雰囲気が変わった。

 つい、いましがたまでは自信に満ち溢れていた言動と態度で、こちらを圧倒してやろうという考えが見て取れた。だが、思いがけない相手の反応にとまどいを生じさせている。

 無論、彼女の表情も紡がれた声色も表向きには一切、変わらない。知り合う前の自分だったら、ドライフラワーのように凍てついた少女の美貌にそれ以上の抵抗を試みようなどとは夢にも思わなかっただろう。


――だが、いまは。

――いまは違う。


 息遣いのひとつひとつ。聞こえてくる声のかすかなトーンの変化。

 それらが雄弁に少女の心の内側を曝け出していた。それが手に取るように分かるほど、自分と先輩の関係性はわずかな時間で近づいていたのだ。


――だからぼくは……。だからこそ自分は、これから彼女を傷つける。


 友達との大切な約束を果たすために。

 この部屋に入る前よりも先にそう決めていた。


「……理由はここにあります」


 相手に背を向け、もう一度、壁際のキャビネットに向かう。

 次に手を伸ばしたのは上段のガラス戸。

 そこには学園内の年間行事が種類別、年度別に整理された青いファイリングに白の背表紙を貼り付けた帳簿類が何段にも及んで並んでいた。

 戸棚の最下段。まだ、何も記されていない予備のファイルがいくつか置かれている場所。

 そのうちにひとつに手を伸ばす。ノンタイトルのファイルバインダー。そんなものに意識を向けるものなど滅多にはいない。

 もしも直感で異変を感じ取り、本能的に危険を察知してしまう獣じみた人間がいるとしても……。何か意識をよそに移すような罠を施しておけばいい。

 いかにも用意周到に隠されたと思わせる書類のひとつでも……。


「この記録簿はいまより半世紀近く前に記帳された旧生徒会の活動報告書です」


 手にしたファイリングの内側から黒表紙に挟まれた一冊の帳簿を取り出す。

 表紙には『第二九回清白祭活動記録・第三五期生徒会』と題名が記されていた。

 

「当時の生徒会長の名前は閑院門秀郷かんいんもんひでさと氏。現会長の祖父に当たる人物で、現在は市長職に就いておられます……」

「……………………知っているわ」


 力のない声で相槌を返してくる。

 彼女は動揺を決して表には出さないよう懸命に努めていた。

 その原因は、おそらく『記録者』の欄に記載されている”石神十季子いしがみときこ”という名前のせいだろう。


「この”石神”というのは、もしかして……?」

「十季子というのは、わたしの母方の祖母の名前よ……」


 やはりか。

 ぼくは手がかりを求めて、学校の古い記録が残されている文書保管庫に入室した。

 年代を遡る毎に数を減らしていく記録類。その中にあって、この年度だけはまるで門外不出の聖遺物レガシーレコードとして慎重に保存されていたのだ。

 理由は、当時の生徒会長がこの街にとって最も重要な一族の名士であったからだろう。 聞き慣れない名字は現在に至るまで長く学園と生徒たちを支配している。

 そこに付き従う影のような存在と共に……。


「ここには何故、生徒会が自ら主導して屋台の出店を始めたのか、その理由が克明に記されていました。まだ様々な事柄やまつりごとが大らかであった時代。自分たちの祭りを守ろうとして懸命に考え、行動した成果がこれです……」

「……………………………………」

「副会長。ぼくは伝統を守ることも、時間をかけてゆっくりと変化を人々に馴染ませていく考えも頭から否定はしません。ただ、先人たちの足跡を鑑みれば、決して時代に踏みとどまってはいけないと理解しました。少なくとも、それが自分たちの偉大なる先輩の”教え”である以上……」


 熱のこもった口調で企画の意義を強調する。

 だが、ぼくの言葉を聞き終えた先輩は、無理に感情を押し殺したような声で静かに声を上げた。


「……と言うことを、わたしがここで首を縦に振らなかったら、今度は会長に直訴するつもりなのね?」


 こちらの思惑を寸分狂いなく読み切り、先輩は答えを導き出す。

 

――まったく、その通りだ。


 ここでどれほど強く相手の情感に訴えかけたとしても”ドライアイスの姫君”に届くわけがない。だが、あくまでも彼女の役職は『副会長』だ。その上位者である『会長』の意向と決定には抗えない。そして、先程の文言をぼくが閑院門会長の前で披露すれば、答えは自ずと決まっている。彼は決して、一族の長老が敷いたレールを自ら踏み外すような振る舞いを良しとしないだろう。それが自らにとっての【鉄の掟】であるし、最も賢明な生き方なのだから……。


「最悪の場合、そのような手段も厭わない覚悟はしています……」

「……そう。そこまで本気なのね」


――ぼくは卑怯だ。


 自分には長谷川先輩の身勝手な強引さに非を鳴らす資格など微塵もない。

 なぜなら、もっと以前からぼく自身が同じようなやり方で事を進めていたからだ。

 ……さらに必要ならばこれからも。

 だが、権力者の意思を自らに有利な方向へと誘導していくことなど、人類がおよそ歴史を刻み始めてから、ずっと繰り返してきた。


――権力の利己的な行使こそ、『政治』の本質である。


 だからこそ手練手管によって政敵ライバルを掣肘し、自らの願望を具現化する。

 そのために必要なことはすべて彼女から教わった。

 相手を罠に陥れる効果的なやり方も、どうすれば主権者の意向を自身に有利な方向へと導いていくのかも……。

 そこまでしなければ、先輩にはどうあがいても勝てるとは思えなかったからだ。

 すべてを引き換えにして、最大限の譲歩を勝ち取る。

 ぼくが立てた戦略に勝者はいない。ゲームの参加者は全員が各々のカードを一枚づつ、隣のプレイヤーに差し出していくだけだ。

 松阪くんは当初より大幅に下方修正した文化祭の企画案を。

 先輩は学園の真の支配者という尊厳の一部を。


――そして、ぼくは自らの自由を。


 何かを犠牲にしなければ何も得られない。

 ノーリスクのまま勝利の果実を手に入れられるのは、銀の匙を咥えてこの世に生まれ落ちた者たちだけだ。


「あなたにそこまでの覚悟と決意があったとは知らなかったわ……」


 ようやくと現状の追認以外、採るべく方針がないと悟った先輩が顔をうつむかせて弱々しい声を上げた。肩を落としたその姿はいつもとは違い、もともと華奢であった細身の体が余計に小さく見える。

 やってしまったことに、いまさら後悔はない。ただ、かげりを帯びた相手の表情を見ていると、果てしない自責の念が胸を締め付けてくる。ただ、それだけだ……。


「東堂くん……。きみがその資料を見つけた時。どうして、わたしが過去の記録に触れていなかったのか、少し不思議に思わなかった?」


 不意の問いかけに驚いたが、質問に対する答えは迷うことなくイエスだ。

 生徒会顧問の先生から文書保管庫の鍵を借り受けた際、


『いまの生徒会であの場所に足を踏み入れるのは、君が初めてだよ』


 そう伝えられた瞬間、言いようのない違和感を覚えた。

 閑院門会長やその他の役員はともかく、あのデータ収集の権化とも思える副会長が過去の情報に対して一切、ノータッチであったからだ。もっとも、そのおかげでいまこうして有利な立場を形成できているのは間違いないわけだが。


「そこに書かれていることなら、わたしはすべて知っているわ……」


 は?

 ひょっとすると何かの強がりかもといぶかしがったが、そうではない。

 彼女は続けて忌まわしげな態度と声で自らの思い出を語り始める。


「お祖母様がまだ元気だった頃……。ようやく物心が付き始めていたわたしは、その時代の話を幾度も聞かされ続けていたわ。幼いときは祖母が語ってくれる英雄譚をまるでおとぎ話のように感じていたの。でも長じるに連れて、そうではないと気づいた。これは逃れることのできない”宿命さだめ”であると……。小学校を卒業する前には、譫言うわごとのように繰り言を唱え続ける祖母の声は、まるで呪詛のように聞こえていたの。わたしにとって、あの人の青春の輝かしい思い出は【魔女の呪い】と少しも変わりはしないのよ」


 『眠れる森の美女』という物語がある。

 魔女の呪いを受けた王女は長い眠りついたあと、彼女のいる城は茨に囲まれ、誰一人とし近づくことは出来なくなってしまったという筋書きだ。

 両者の家の間柄にどのような事情があるのか、ぼくにはうまく推し量ることができない。

 だが、先輩のつぶやきを聞いてハッキリとわかったことがひとつある。

 彼女は”知らなかった”のではない。

 知りたくもなかったのだ……。

 だからこそ、ぼくがダミーとして隠しておいた生徒会準備室内部で照会可能な情報を見つけ出した瞬間、油断してしまったのだろう。

 そうだ。本来の自分にはここまで過去の事例に当たることは絶対に不可能である。

 その理由は……。


「東堂くん」


 幼い頃のトラウマを吐露した後、何を確信したように表情を引き締めた先輩がこちらに向かい、呼びかけてくる。


「これは生徒会副会長としての【命令】よ。もし、あなたに服従する義務が有ると考えるなら、これからするわたしの質問に答えなさい……」


 よく研ぎ澄まされた短刀ナイフの刃は妖しくも美しく輝く。

 同じように、限界まで研ぎ澄まされた思考もまた美しい。

 だからこそ彼女はだれよりも凛々しく、何よりも美しいのだ。

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