#033 それでも時は巡りゆく

――清白学園高校生徒会副会長、石神千景の政治的信念を一言で述べれば、『平等なる統治』であろう。


 それは言葉で示すと妙に嘘くさいが、現実には杓子定規で融通が効かない独裁体制の確立である。

 事実、彼女が治めるこの学園では特定個人はもとより比較的、優遇される傾向が強いメジャーな体育会系部活動についても予算執行には副会長のメスが入る。

 理事会と職員会議によって決められた各部の一年間の活動費。分配については何ら関わることは出来ないが、予算消化に際しては事務局に提出された各種精算書類を逐一、チェックしているというのがもっぱらの噂だ。

 この手の得てしてドンブリ勘定となりがちな項目にも厳しく目を光らせることで不正の温床を未然に防ぐ。一例を挙げれば、【備品の更新】や【器具の新規購入】に際してこっそりと個人用の道具を部費で購入し、本来なら部員が全額、負担する用具類について学校側が一部を補助するというやり方だ。


――才能ある人間が家庭環境によって不遇な扱いを受けないための例外的優遇措置である。


 そのような主張を各所から耳にした石神副会長は、それを告げた人物に向かい、冷たくこう述べたという。


他人ひとのお金をあてにして、なお満足な成績を残せないのなら、選手も応援する方も一流とは言えません。そのような存在に経費をかけるよりは、もっとマシな使い道を考えるべきです」


 正論というのは、吐けば吐くほど煙たがれるタバコの煙のようなものだ。

 なお悪いことに彼女はこの時点で成果主義に基づいて判断を下しているという点だろう。

 結果が良ければ多少の融通も目をつぶるが、現状で”無駄金”となっているからこそ考えを改めよと問いている。


――公益性に重きをおいた合理的選択。


 ともすれば”冷酷”と呼ばれかねない非常な決断を躊躇なく下せることで、彼女は一部の入学前に特別な約束を学校側と取り交わしていた生徒と部活顧問たちから、石神ならぬ”石頭”と囁かれていた。

 もっとも、それ以外の能力的にはさしたる取り柄もなく、ただ真面目に高校生活を送っている数多くの一般生徒からは彼女のこうした姿勢は概ね好感を持って迎えられている。

 当人の美貌と才能とは別に、あくまでも在校生すべての代表として日々、振る舞うその姿は自然に【民衆派】というイメージを形作る。こうして副会長、石神千景は圧倒的多数の生徒たちから支持と称賛を受け、ごく僅かな人達からは怨嗟の声を浴びていた。


――問題はこのようなスタンスの人物を相手に、一個人の要望に基づく企画内容の変更をどうすれば許可してもらえるのか?


 つまるところ、全ては彼女の胸先三寸なのである。


◇◇◇


「あなたが企んでいることは何?」


 二人だけの生徒会準備室。事務机の前の椅子に腰掛け、凄みを見せる先輩。

 ぼくは一歩前に進んで、ポケットから取り出した企画申請書を静かに差し出す。


「こちらを検討してください……」


 自分の声に反応し、差し向けられた用紙を受け取った副会長。

 しばし、黙考して企画の中身を精査している。


「……牛串焼き肉の実演調理及び販売」

「そうです。今度の文化祭に向けた屋台でのメニューを一部改定し、新たな商品を展開したいと考えました」


 ぼくは松坂くんから託された新たな企画に自ら朱を入れ、その解決策を彼とともに模索した。と言っても、問題点を指摘したあとの具体的な方策は彼に一任するしかなかった。こちらには現実的な対処を講じるだけの知識も経験もないのだから……。

 そして、松阪くんは自分が求める改善内容に高いレベルで応じてくれた。

 無論、それらは決して彼一人の功績ではなく、家族や従業員からの助言が大いに含まれていることは想像に難くない。

 だが、それでも……。それでも、彼はやってみせたのだ。

 先輩がいま見つめている申請書はそうした努力の賜物である。


「使用する牛肉はあらかじめ調理ソミュール液で下処理をしたあと、密封可能な大型容器にて保冷剤とともに収納。鉄板調理開始まで冷蔵保存する……」

「調理液には味付けと同時に腐敗防止の効果を持つ各種スパイスや塩分が含まれています。これにより、衛生面では生鮮食料ではなく加工品という扱いが可能です。もちろん、それでも事前に消防署などの指導を受けた上で商品の提供を行いたいと考えています」

「営業時間が開場から正午までになっているのはどうして?」


 目ざとく見咎めた先輩が時間を限定した必要性を尋ねてくる。


「この商品に関しては提供可能な人物が一名しかいません。企画立案者である当クラスの松阪くんがすべての工程を管理、運営します。無論、補助的な業務については時間割で担当者をつけますが、調理自体は彼が一人で行います。そうなると、あまり長時間の労働は公平性の観点から望ましくないと判断しました」

「でも、販売予定数一五〇本、重量約一〇キログラムという量を時間内に裁くことが可能なのかしら?」

「商品については提供者である松阪くんのお父様が、”昼までに完売できなかったら店の看板を降ろす”とまで言ってくれました……」

「つまりはプロのお墨付きというわけね」


 などと答えてみたが、実際には売れるかどうかなんてやってみなければわからない。

 まあでも、心配は無用だ。

 たとえ売れ残りが発生したとしても辺りには四六時中、腹を空かした高校生たちがウロウロしているわけである。格安で肉をちらつかせれば、いくらでも平らげてくれるだろう。

 その辺は彼らの傍若無人な食欲に期待している。


「昼からは内容をフランクフルトに変えて、引き続き営業を行います。こちらはパッケージされた商品をその場で開封していくので安全性に問題はないでしょう。調理は担当顧問の先生が監督の下、代わりの生徒が引き継ぐことで滞りなく進められるはずです」

「……………………」


 不意に相手が押し黙った。

 普段がどちらかと言えばやかまし……饒舌なタイプなので突然の沈黙はこちらの心臓にはなはだ悪い。


「何から何までソツがなくて、可愛げがないわね」


 褒めているのか貶しているのかよくわからない感想を漏らす。

 無茶苦茶な言い分だが、口調から察するになんだか拗ねているような感じだった。


「それでは、計画自体に問題はないと……」


 うかがうような視線で答えを待つ。数瞬。


「計画はね」

「他にまだ何か……」


 やはり、そう簡単に許してはもらえない。


「この商品をわざわざ扱う理由は何?」


 単刀直入に彼女は企画の意義を尋ねてきた。


「まあ有り体に語れば、祭りに華を添えたいといったところでしょうか。実際に”牛串焼き”というのは結構なインパクトがあると思います」


 本音の部分は隠したまま、ありきたりな印象論を語ってみる。

 とはいえ、学生がやる模擬店としては異例な内容であることは間違いなかった。


「そうね。人目を引くということなら、これ以上のものはないでしょう。ただし、別の問題があるわ……」


 ぼくの答えに一旦は賛同を示しながらも、先輩はやや怪訝そうな顔つきで懸念をほのめかす。


「何か企画内容に穴がありましたか?」

「今年に関してはほとんど心配していないわ……。大いに振るわうでしょうね」


 ん? それのどこが問題なのだろう……。

 こちらとしては奇抜すぎて敬遠されてしまうことを恐れていたのに。


「でも、来年はどうするの? 祭りは盛り上がれば盛り上がるだけ、次に対する期待値が上昇する。そして、一度でも観客の期待を裏切れば、それは失望と同時に対象への興味を著しく損なってしまうものなの。次もまた同じように準備と人手を用意したとして、いずれはあなたたちもこの学園を卒業する……。そうなれば、自然とこのような独自性の強い企画は継続性を失ってしまうわ。東堂くん、あなたは未来の後輩たちに受け継ぐバトンを持たないまま、自分たちの目的のためにこの企画を行うつもりなのかしら?」


 一気呵成に自らの強い懸念を問いかけてきた副会長。


――新規事業立ち上げに伴う、将来性の欠如。


 彼女の指摘を一言でまとめれば、そのような意味合いとなる。

 

『けだし世の商いとは、”続ける”ことが肝要なり』


 資本主義の萌芽がこの国に興り始めた頃、のちに大財閥を築き上げた伝説の偉人が語ったとされる処世訓。

 情報がデジタル化され、一瞬で世界中を駆け巡る現代においては、もはや牧歌的とも映る考え方だろう。一秒よりもさらに短い刹那の時間感覚で利益を貪り続ける強欲的資本主義の時代には到底、そぐわない。

 だが、彼らとて紙と筆のみで動乱の時代を生き抜いてきた”情報の達人”である。

 ならばこそ、たとえ時代が一瞬で移り変わったとしても、人の心は容易に動かないことを卓見していたのだ。


――新時代の到来が、すなわち人の世のすべてを一新するわけではない。現実の世界は常に一歩づつしか前に進んでいかない。


 だからこそ、”続けて”いくことが何よりも重要。

 一度しか咲かない花に人間は心惹かれない。季節が巡り、また春になれば艶やかに色づくからこそ人は花々を愛でるのだ。たとえ、一夜にして散りゆく儚き存在であったとしても、また次の祭りの季節には美しく咲き誇ることを夢見て……。


「……案件IPの継続性について疑義があるのは間違いないです」


 相手の指摘に対しては素直に脱帽するしかなかった。

 確かに多くの生徒にとって文化祭の出し物などはあくまでもその年限り、生涯にただ一度きりの特別な瞬間に違いない。だが、【学園祭】という観点で物事を捉えてみれば、それは間断なく続けられている年中行事のひとつであり、いままでもこれからも学校がある限り、ずっと繰り返されていくのだ。


「……だとしても」


 しかし、『そうですか』とうなづいて、唯々諾々と従うわけには行かない。

 いまだけは聞き分けの良い優等生の仮面を脱ぎ捨て、果敢に食い下がっていく。


「先輩は当クラスの仁科さんが要望した”クレープ屋”を、今年度は”チョコバナナ”と入れ替えるよう先程、決定しました。そちらは問題ないのですか?」


 急遽、裁可された同様のケースを俎上に載せ、プロセスの透明性を問いかける。

 あちらが良くてこちらはダメと言われれば、納得できるだけの理由を教えてもらわなければならない。彼女が”平等”と”公平”を旨とするならば尚更である。

 それが意地悪に過ぎないのは……………………承知の上だ。


「それについては客観的なデータを元にした私自身の判断よ。事実、二学期の初めに行った校内アンケートで『文化祭の屋台に加えてほしいメニュー』という設問では、回答の約七割がクレープを支持していたわ。機会さえあれば導入に関しては、ほぼ必然だったということね……。仁科さんが口火を切ったのは単なる偶然よ。実際、わたしもそのお店には何度も……こほん、チェック済みだったわ」


 自らの体面を保とうと、言葉を濁しながらとっさの判断を正当化していく。

 うん、まあね……。知ってた。

 正確には、アンケートに答えた時点ではまったく意識できていなかった。

 しかし、生徒会と深く関わるようになって過去の記憶を掘り起こしてみると、そうした意識調査が行われていたことをすぐに思い出した。

 かと言って、こちらとしても『なるほど』と、納得するわけには行かない。

 相手が客観的なデータを駆使するのであれば、こちらも同様に別視点での現実ファクトを引用して見せるまでだ。


「先輩……。だとしても、ぼくはやっぱり、この企画は行うべきであると判断します」


 小生意気にも自身の主張を曲げることなく、ハッキリと言い放った。

 そして、静かに足を動かして準備室の壁際に置かれた資料用キャビネットの近くに移動する。


「その理由はここにあります」


 年度別に整理された青いファイリングがいくつも収められている背の高いガラス戸の下。

 未整理の書類や消耗品が置かれている大きな引き出しに手をかけ、一息にスライドさせていく。大胆に中を探り、他の人がいない時間帯を見計らって予め忍ばせておいた一枚の用紙を取り出した。

 明らかに予想外であるはずの出来事。

 だが、先輩は眉ひとつ動かすこともなく、ぼくのすることを黙ったまま見つめていた。

 まるで、全てが予定調和のお芝居を眺めているような冷めた視線で……。

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