EPISODE #06 裏切りの聖槍

#032 されど青春の光

 階段の踊り場から二階を見上げると、そこには見知った人物がいた。


「お願いだ、東堂。おれに力を貸してくれ……」


 切なる声で自分に救いの手を求める。

 相手は同じクラスの級友だった。

 手には見覚えある書式の白い用紙。


「なぜ、ぼくに……?」


 彼が一体、何を考えているのか自分にはまるで見当がつかない。

 だが、ひとつだけハッキリしていることがある。

 いまゆっくりと階段を降りてくる松阪くんの文化祭企画、”とっておきステーキ”を完膚なきまでに叩き潰した張本人はぼくである。

 恨まれはしても、頼られる必然性は一分もあり得なかった。そのはずだ……。


「出来るなら自分だけの力でなんとかしたかった。でも、おれは馬鹿だから、どうやって自分がやりたいことを現実にしたらいいのか全然、わからない。東堂、それが出来るのはクラスの中でお前だけだ」


 目前に降り立ち、手にした紙片を自分に向かって差し出す。真っ直ぐにこちらを見つめる松阪くんの表情はこれ以上ないほど真剣だった。

 雰囲気に気圧され、何も言わないまま問題の書類を受け取る。黒のマジックで文字が書かれた企画申請書に視線を落とすと、そこには来たるべき文化祭に向けて考え出されたと思しき新たな出し物の内容が記されていた。


「これは……?」

「この間のHRで決まったことについて、おれには何も文句はない。クラス全体で決めた話だ。黙って従うさ……。だけど、もし叶うのなら、おれの希望をひとつだけ入れて欲しい。そのために必要なことなら全部、一人で引き受ける。絶対にほかのクラスメイトには迷惑をかけないから……」


 視界には見慣れた大きな文字。筆圧の高い書体で用紙の端々にまで届く勢いが感じられた。それを目にすると幾度となく苦労させられた辛い記憶が蘇る……。


「全部、自分だけで考えたのかい?」


 ざっと中身に目を通して、短く問いかける。相手は大きくうなづいた。

 なるほどな……。

 正直、驚いた。これまで彼が出してきたのは企画書と言いながら、やりたいことを思いつくままに殴り書きしただけの単なるメモ帳に過ぎなかったからだ。

 やれることとやれないことを慎重に検討し、どうやれば【現実】に実行可能であるのかを具体的に提示する中身がなかった。

 そんなものは”企画”とは言わない。せいぜいが夢物語だ。

 だが、いまぼく自身が目の当たりにしている申請書の内容は、それまでとは雲泥の差があった。細かい部分に目を凝らせば、色々と粗が見えてしまうのはしょうがない。その辺は今後の検討課題として残しておけばいい。何よりもここに書いてあることには、キチンと”やりたいこと”をどうやって”やるのか”を具体的に示していた。

 たったそれだけのことで夢は夢のままで終わらないのだ……。


「どうかな? これならうまく行きそうか」


 不安げな眼差しで松阪くんがこちらの表情をうかがおうとしている。


「ふむ……」


 どう答えるか、しばし考えあぐねたあと、思うところを素直に述べていった。


「うまく行くかどうかは実際の現場を見てみないと正直、判断できない。ただ、この内容のままだと、実行委員会の許可を取るのは難しいと思うよ……」

「やっぱり、ダメか……」


 わかりやすく落胆の色を見せ、嘆息の声を上げた松阪くん。その様子からも彼がどれだけこの一件に対して情熱を傾けているのかが良くわかった。


「そう悲観する必要はないさ。問題点をきちんと修正していけば、企画自体の実現性はかなりのレベルまで引き上げることは想像に難くない。ただ……」

「なんだ? まだ何かあるのか?」

「君はどうしてこの文化祭にそこまで力を入れているんだ? ごめんよ、これは単なるぼくの好奇心に過ぎない。でも、出来れば聞いておきたいんだ……。嫌なら無理強いはしないけどね」


 それを聞いてどうする?

 自分の口をついて漏れた一言に思いがけず心の中で反駁はんばくした。

 しかし、頭の中では違う言葉がすでに渦巻いている。 


――ここから先は彼の【思い】を確かめてからでないといけない。


 これは本能だ。何かを決意するには勇気のトリガーを引き絞る必要がある。

 引鉄にかけた指を動かすのは理性を超えた感情の揺さぶり。

 きっと、松阪くんには”高校一年生の文化祭”に譲れね思いがあるのだろう。

 でなければ、この時間帯にぼくの姿を求めて必死に校内を探し歩いたりはしないはずだから……。

 その理由を聞かないことには、これから協力するか否かを決められなかった。


「……いや、別に構わない。そうだな、やっぱりおかしいよな。たかが、学校の文化祭でこんなに力を入れている人間なんて、傍から見ると変なやつだと思われるだけだ」


 自嘲気味に述懐する松阪くん。その顔には照れ笑いを浮かべていた。


「そんなことはない。文化部の中にはこの日のために日々の研鑽を重ねてきた人達もいる。思いは人それぞれだ。別にうちのクラスの人間のほとんどが無関心だったとしても、それに同調する必要はないさ」

「……そうだな。東堂は実際、生徒会に協力しているから学校全体が文化祭を迎える雰囲気をよく知っているんだよな。まあ、そんな立場の人間に対しておれ個人の動機なんて、口にするほど大したものじゃないんだけど」

「いいんだ……。動機が立派かどうかなんて、別に問題じゃない。知りたいのは、君がどうしてこの企画をやりたいのかという本心だ」


 人にはそれぞれ事情がある。

 大抵は個人的に抱え込んだ他人には言えないレベルのあれこれだ。

 周りから見れば何をそんなに焦っているのかと訝しむような瑣末事であったとしても、当事者にしてみれば抜き差しならない心のトゲとなって胸を苛む。

 きっと松阪くんにも他のクラスメイトには言いたくないような切なる思いが心に渦巻いているのだろう。

 その気持ちを共有することが本当に正しいかどうかは、まだわからない。

 だが、これ以上深く関わるのならば、彼の魂の叫びに自ら耳を傾けなければならない。

 でなければ、ぼくは野次馬根性で企画に便乗しようとしていた他の連中と何ら変わらないからだ。


「――おれはいまよりもっと小さい頃、周りの人たちからよく馬鹿にされていたんだ……」


 静かに、でもハッキリとした声で松阪くんが語り始める。


「まあ、自分はこんな性格だから相手にしてみれば随分、からかいやすかったんだろう。身体も大きくなかったから、見えないところで小突かれたりもしていたよ」

「……そうなのか」


 いじめとからかいの境界線は難しい。

 される側は心に深い傷を負ったとしても、する側はあくまで日常のコミュニケーションの一環に過ぎないと主張する。それを悪だと断じるのは容易だが、唱えることで問題がなくなるわけではない。現実は過酷で弱いものにはいつだって容赦ないからだ。


「おれがいつもボロボロになって家に帰るたび、それを見た父親は悲しそうな顔をしていたさ。知ってるよな? おれのうちは食肉の卸売を専門している業者なんだ。きっと、どこかで耳にしたんだろうな。息子が学校で『服が臭い』なんて言われていることを……」


 淡々と幼少期の記憶を語り続ける級友にぼくは相槌すら打てなかった。

 それは過ぎ去った日々として受け止めるにはあまりに重すぎるからだ。


「幸い、中学に上がる頃にはその手の嫌がらせもなくなった。だが、両親は色々と心配をしてくれていて、同時に原因が自分たちにあるんだと強く思い込むようになっていったんだ。一時期はおれのために本気で職を変えようとまで考えていたらしい」

「やさしい親御さんだね……」

「まあな。だけど、おれは自分の家の仕事に自信を持ってる。父親にも子供のためにそんなことまでしないで欲しいと話したんだ。学年が変わったことで学校生活も大分、落ち着いたからようやく両親も安心できたらしい。おれもあんまり突飛なことをして目立つことは極力、控えてるようにしたからな」


 自制心というものは誰もが普通に備えているわけではない。多くは幼年期の家庭環境で躾けられ、”我慢”することを覚えていくのだ。それが正しいかどうかはさておき、集団生活において暗黙の了解を有していない存在は必然として他者から目をつけられる。成績の良し悪しではなく、社会性の有無の問題なのだ。


「親父は事あるたび、おれにこう言うんだ。『家業を継ぐ必要はない。お前のやりたいことを自由に選べ』って……。それって逆に家の仕事を継ぐなってことだよな? でもさ、おれは両親のやってる仕事が好きなんだよ。高校は親の希望を容れて普通科を選んだけど、叶うならいずれは農学系の学部に進んで、専門の知識を持ちたいと思っているんだ」

「すごいね……。もう将来のことをそこまで考えているのか」


 普通に感心してしまった。

 ぼくも三年生になれば受験をして、大学進学くらいはするのだろうとボンヤリと考えてはいる。しかし、自分の未来予想図を明確に描きあげるほどではない。いずれにせよ、高校生活はまだまだ続くのだ。いまはまだ、日々を無事に過ごしていくだけで精一杯だった。


「でも、このままだと両親はきっと自分たちとは違う道に就くことを強く望んでくるはずなんだ。苦労の割には実入りの少ない仕事さ。朝早くから工場に入り、人手が足りない時期になれば自分でハンドルを握って配送業務までこなしていく。きっと子供には同じ思いをさせたくないという親心なんだろうな。でも、おれはその仕事をやりたいんだ。小さい頃から工場で働く職人さんたちに可愛がってもらったし、手が空いた時間には肉のこともよく教えてくれた。自分にとっては親戚以上に親しい人達ばかりだ……」

「それで、文化祭ではみんなを見返してやろうと思ったわけなのかな?」


 自らの生い立ちを熱っぽく語る級友にぼくは核心を突く思いでふたたび問いかける。


「……そこまで自惚れじゃないな。実際、やろうとしてみたら、まるっきり空回りの連続で東堂やクラスのみんなにはたくさん迷惑をかけた。結局、おれは自分が思っていることの半分どころか、ほんの数パーセントさえ実現できない子供だったんだ」

「別にそれは君だけじゃない。この学校には思いつきや思い込みだけで夢や希望を無理やりに実現させようとしている困った生徒が他にもたくさんいる……」

「そうなのか? まあ高校生なんて実際、子供だよな。周りの大人たちのフォローがなかったら物事の上手な段取りなんて自分でやれるわけもない。でもな、それでもおれはまだ諦めきれないんだ……。ここで自分自身の意志をキチンとした形で示さないと、きっと両親が望むままの将来が待っている。そんな予感がしているから、不器用でもなんとかしてみたいのさ……」


 未来は生きていれば誰にでもやってくる。だけど、それが平等であるとは、ひとりとして信じてはいない。

 成功する者、挫折を味わう者、痛めた心と傷ついた体を休めるように長く横たわる者。雌伏の時を乗り越え、ふたたび立ち上がろうとする者。人生は人それぞれだ。

 その中で傷ついてなおも即座に立ち上がり、前を向いて歩き出そうとする存在はまさに【勇者】である。

 どれほど無残に打ちのめされたとしても、すぐに顔を上げて立ち上がろうと四肢に力を加える。肉体よりも精神的なタフネスが尋常ではないのだ。悪意を持って語れば、懲りない奴とも言えるだろう。


――やはり、聞かなければよかった……。


 後悔と言うよりは、あきらめにも感情が胸中に湧き上がる。

 聞いてしまったら、もう松阪くんを無視して自身の保身だけを願うような立場ではいられない。彼が胸の内側に灯している情熱の炎は、明らかにぼくの心を燻った。

 何より相手にしてみれば、ぼくは本来、その夢と希望を打ち砕いた憎むべき敵役であるはずだ。そんな人物に一切のわだかまりを捨てて、協力を求めるというのは非常識にもほどがある。もはや常人の思考の及ぶところではない。少なくとも自分には到底、真似できそうになかった。

 陰キャにお似合いなのは、姑息に動き回って最後に味方を裏切るという小悪党のムーブがせいぜいだ。


「分かった……」


 ポツリとつぶやくような小声でぼくは自分の返答を口にした。


「え?」

「君に協力することを約束する。とりあえず、この申請書はぼくが預かって中身を再検討してみるよ。基本はこのままでいいとして、実行委員会から指摘を受けそうな箇所を予めピックアップしておくから」

「本当か? 東堂!」


 嬉色の笑みを浮かべながら聞き返してくる松阪くんに向かい、大きくうなづいた。

 たとえこれが一時の気の迷いであったとしても自身の判断を決して後悔しない。

 心の中で強く自分に言い聞かせ、次に為すべき施策を説いていく。


「ぼくは本気だよ。そのために必要なことをいまから考える。ただし、事務的な手続きはこちらでクリアするとしても、より現実的な解決方法については専門の知識を持つ君に頼るしかないけどね……」

「まかせてくれ。肉のことだったら、おれはだれよりも詳しい!」

「……そうだね。あてにしているよ」


 味方を得たことで俄然、テンションの上がった級友は弾むような声色でこちらの期待に応えようとしている。やれやれ、気の早いことだ……。問題はまだ何ひとつも解決していないというのに。


「詳しい話はまた明日しよう。とにかくいまは現状認識の時間が必要なんだ」

「そ、そうか。だったら続きは明日の教室で話そう。必要なものがあれば、何でも遠慮なく言ってくれ。できるだけ早く調達しておくから」

「さしあたっては、この用紙に書いている内容をもっと詳しい形で知りたいかな? 実物に近い画像があればすごく助かるよ」

「わかった。いまから家に帰って、写真を撮ってくる。それじゃあな!」


 ぼくのリクエストにいち早く反応し、階段を駆け下りようとしている松阪くん。

 その足が不意に止まって、もう一度、こちらを振り返った。


「どうかしたのか?」

「ありがとう、東堂。おれたちは仲間だ」

「………そうだね」


 ふたたび、こちらに背を向けて彼は足早に去っていった。

 自分以外にはだれも存在しない階段の踊り場。しばしの間、去り際に投げかけられた級友の言葉の意味を一人、噛みしめる。


「…………これが”青春”かな」


 埒もないことをつぶやき、ふと天井を見上げた。

 麻薬のような高揚感に抗いきれず、不覚にも心が躍る。

 勢いに任せて思考をフル回転させ、ここから何をすればいいのかを考えた。

 現時点で障害となるのは、事なかれ主義者の巣窟で頭が固い実行委員会だが、こちらについては特に問題視はしていない。なんと言っても自分は非正規の立場だが、すでに上部組織である生徒会の関係者だ。その立場を最大限に利用すれば、彼らを承服させることは実にたやすい。


 ……となれば、やはり説得するべきは事実上の最高執行責任者であり、この学園を支配する【茨の女王】の呼び名を持つ副会長だ。


 必然的で宿命的でもある結論。困難が容易に想像できる難題に瞬間、心が挫けそうになる。それを奮い立たせるのは、たったひとりの友達との大切な約束だった。

 それでもぼくはこの道を進む。代わりに何かを犠牲にしてもだ……。

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