INTERLUDE 02

祝祭の日

 雲ひとつない秋晴れの空は、まるで今日という一日を天が祝福しているようだった。

 朝早く、普段であれば三々五々、姿を見せる学生たちもすでにほとんどが登校してきている。

 校舎の窓ガラスをのぞき込めば、そこかしこで忙しそうに動き回る生徒たちの様子が確認できた。

 間もなく始業の鐘が鳴る。

 だが、今日ばかりは開くのも億劫な教科書や見るのも嫌な教師の顔を拝む必要はない。

 これから始まるのは”文化祭”という名の宴だ。

 全校生徒が祭りの高揚感に包まれながら、最後の準備に追われていた。


 半年前に着工された新校舎。計画通りであれば、来年の春には真新しい教室での授業が開始される予定だ。そうなれば、旧校舎の一角に間借りしている生徒会も新しい場所へと移転するだろう。


 机の上には雑多に置かれた書類の束。

 床にはうず高く積まれたダンボールの数々。

 動くことさえままならぬ部屋の中、学生服の男性が窓際にひとり佇んでいた。

 飾り気のない、しなやかな髪。涼し気な目元にかけられた薄いレンズのメガネ。物静かな雰囲気が男の印象を理知的なものへと昇華させている。


「何を見ているのですか? 閑院門かんいんもん会長……」


 背中から聞こえてきた女性の声に”閑院門”と呼ばれた青年が振り返った。


「……石神くんか。あれを見てご覧」


 やってきた人物を確認して、自らのかたわらに招き寄せる。

 石神と呼ばれた制服姿の少女は足早に窓際へと移動した。

 ふたりの視界には、校舎の高みから見下ろした正門前の様子が映し出されている。


 表通りから斜めに入り込む側道。

 金網越しに日の当たる土のグラウンド。それを横目にしながら、まっすぐ進むと、直に敷地と市道を分かたう背の高い壁が見えてくる。壁際を五〇メートルほど進めば、校舎の正面玄関につながる大きな正門と”清白すずしろ学園高等学校”と刻まれた銘板が現れる。

 普段であれば、始業開始の予鈴とともに閉ざされているはずの門扉。だが、今日ばかりは大きく開かれたまま来場者の訪れを待ち受けている。

 

 そして、常ならば周辺に大きな店もなく比較的、閑散としている学校前の道路沿いに、今日ばかりはたくさんの露天商がのきを連ねていた。

 派手な色使いのテントにこれまた目立つ文字でさまざまな種類の飲食店がいくつも並んでいる。


「あれは……お祭りの?」


 女の子が普段は見られない学校前の光景に驚いたような声を上げた。


「一年生の君があの風景を見るのは初めてだったか。困ったものだよ。毎年毎年、文化祭の日になると、どこからか集まってきてはあの場所で商売を始める。娯楽が少ないこの地方では、たかだか高校の文化祭でも人がたくさん集まってしまう。人が集う場所にはそれを期待して日々の糧を得ようする人間が離合集散を繰り返す。しょうがないとは思っていても、実に腹立たしい限りだ……」


 レンズ越しに窓の外の風景を睨めつけながら、男は声を振り絞って不満を口にする。


「あのような方々がお嫌いなのですか?」


 少女は黒表紙に挟まれた書類を片手にしていた。それを両手で抱きかかえるように持ち替え、男に短く問いかける。


「彼らも生きるためにやっていることだ。それを否定することは出来ない。だが、我々の祭りに無断で便乗するような行いは遠慮してもらいたいな……」

「警察に連絡を入れ、排除してもらうことは出来ないのでしょうか?」


 女の子は脳裏に浮かんだ疑問を生徒会長にぶつける。だが、男は静かに目をつぶり、ゆっくりと頭を振ってその意見を退けた。


「あの道は今日一日、交通規制がかけられている。人の往来が増えて事故を防止するために車両の侵入を禁止しているのさ。そして、彼らは所轄の警察署に対して、道路使用許可を得ているはずだ。もちろん、彼らが個々に申請をしているわけではない。俗に興行主や手配師と呼ばれる取りまとめ役が一切合切まるごと面倒を見ているのさ。そうした顔役は当然、警察や行政の上層部にも通じている。彼らはキチンと手続きを踏んだ上であの場所にいるわけだ……」

「……そんな」

「まあ、交通の便を阻害をしない限り、公共の場所を一定時間占有することは特に問題ない。だが、実際には外から持ち込まれたゴミを最終的に処分するのは我々だ。それを考えれば迷惑千万な話だが、その点を彼らに追求したところで無意味だろう。自分たちは商品を売っただけで、買ったものをどう扱うかは顧客の責任であると言い訳されるだけだ。だからといって、外部からの持ち込みを禁止にすれば来場者から苦情が出るのは目に見えている。ゲストの方々は純粋に祭りを楽しみたいだけだ。それに水を指す無粋な真似はするべきではない……と、僕は考えているわけだよ」

「実に悔しい限りですね、会長……」


 相手の述懐に少女は心から同意するような声を上げる。

 思いは共有しているのだろう。

 だからこそ、現実的な手段を用いての対応が必須の課題だった。


「分かっている。このまま彼らの好きにはさせない。そのための改革案であり、今日が始まりの第一歩だ。いずれはあの場所からああした連中を一掃してみせるさ」


 男が決意にみなぎる表情で強く言い切った。


「石神くん。だからこそ、我々の闘いの記録をあとに続く者たちへの指標としてしっかり書き留めておいてくれ。これは自分たちの祭りを守るための努力であると……。どんなに時代が変わって、自由の意義が見失われたとしても、いつかその価値をふたたび見出す者が現れてくれるはずだ」

「分かっています、会長……。それが一年生である私の努めですから」


 胸に抱えた黒表紙。女の子はそれを掴んだ腕に一層の力を込めて答えた。

 この日から約一〇年の歳月を費やして、彼の宣言どおりに学園前から怪しい露天商は姿を消す。

 そこには、とある地方公務員の奮闘と長い時間をかけた学生たちのたゆまぬ努力の存在があった。

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