#031 さよならのエレジー

 本気なのか?

 彼女の言葉に一瞬、耳を疑った。

 それでも努めて冷静に相手の真意を見極めようと考える。

 決して非難めいた感情を露わにしてはいけない。

 大丈夫、ぼくは先輩たちとは違う……。


「仁科さん。それはちょっと危険な行為かもしれない」


 とりあえずは軽く諌めておく。彼女が情動的な感傷に突き動かされていることは容易に想像できた。しかし、実際の行動に移すことはあまりにもリスクが高すぎる。


「大丈夫。何を聞かれても東堂くんたちのことは絶対、秘密にしておくから。あのDMも自分一人で作ったことにしておくから、心配いらないよ」


 ああ、うん……。そちらの整合性を気にして、ぼくが引き止めていると思ったのか。

 あまりに利己的な発想なので、自分自身では言われるまでちっとも気が付かなかった。

 だが、こちらが懸念しているのは、もうちょっと別の理由だ。


「それはどうも……。だけど、いま長谷川さんの前に君が姿を見せるのは、やっぱり得策とは思えない。自分の気持ちを素直に伝えたいという考えは分かるけど、あの人がどう反応するのか予測ができないよ。最悪、怪我をするかもしれない」


 とにかく刹那的な感情が先走る傾向の長谷川さん。その前に劣後の元凶である彼女が現れたらどう思うだろうか?

 予測不可能な状況では最善の尽くしようもない。やはり、一か八かの短絡的な行動は避けるべきであると、ぼくの直感はそう告げていた。


「まさか、ひとりで行くつもりではないでしょうね?」


 さすがの副会長も下級生の身を案じてか引き止める素振りを見せた。

 とはいえ、これ以上の厄介事に自分が巻き込まれるのは御免こうむりたいところだが……。


「バイト仲間の子に付き添ってもらうつもりです。こういうときのために普段から貸しを作ってあるから……」


 プライベートな関係である”友達”ではなく、あくまでも”バイト仲間”を同伴に誘うあたりが如才ない仁科さん。とはいえ、それでもうちの学校の生徒であることに変わりはない。


「……そう。だったら、心強いわね。それでも話をするときは、出来るだけ人の目が多い場所を選ぶように気をつけて。相手も人前でなら、あなたに怪我をさせるような狼藉はきっと働かないわ」


 ん? 予想外の反応……。

 まさか、このまま行かせるつもりなのか!


「先輩、それは……」

「ご苦労さま。もう行っていいわよ、仁科さん。あなたの協力のおかげで、なんとか無事に文化祭が迎えられそうだわ。あとのことは私達に任せて、いまからは自分のことに集中してちょうだい」


 ぼくの発言を遮るように早口で一年生に出立を促す。その声を聞いて彼女は一度、小さく頭を下げてから部屋の入り口へと向かっていった。

 ぼくの横を通り抜けていくとき、チラと視線をくれて、


「ごめんね、東堂くん。キミのこと、なんだか誤解していたみたい」


 仁科さんが、そうつぶやいて勢いをつけたまま出入り口に進んだ。ドアのロックを解除して、閉ざされていた扉を大きく開ける。それから駆け出すように生徒会準備室を離れていった。

 去り際に手首を返していったのだろう。開けたときとは逆にゆっくりとスライドドアが閉ざされていく。

 ひとりが去って、部屋に残されたのはいつものふたり。


――誤解じゃないよ、仁科さん。多分、ぼくは君が最初に感じたままの人間だ。


 だれにも言わず、胸の内でひとりごちる。


「心配ないわ。あれでいいのよ、東堂くん」


 押し黙っているぼくを見て、勘違いしたのだろうか?

 先輩がこころなしか柔らかな口調で語りかけてきた。


「でも、本当に大丈夫でしょうか? 相手はあの長谷川さんですよ」


 本心を悟られないように話を合わせる。いや、懸念を抱いていたのは間違いないので、本題へと回帰しただけだ。


「……そうね。わたしの直感では、万が一にも痴情のもつれから暴力沙汰に及ぶ恐れはありえないと踏んでいるわ。でも、それでは東堂くんが納得できないでしょうね。一応、根拠としては二点ほど挙げられるけれど、聴いてみたいのかしら?」


 どことなく挑発的な先輩の問いかけ。ぼくは無言のままに首を縦に振った。


「ひとつはあの子が知り合いと一緒に相手のところへ向かったこと。人間は第三者の目がある状況では、感情よりも理性を優先してしまう傾向があるわ。その対象が異性である場合には特に顕著よ」


 その点については、ぼくも異論はない。

 ”説得”はひとりで、”交渉”は複数で行うというのが厄介事を上手に解決する経験則である。相手にこちら側の条件を呑ませるという点では両者とも同じだが、結果を導くまでのプロセスが違う。

 自分と同等の相手には一対一の説得を選び、こちらよりも強い立場の人間には団体での交渉を挑む。

 つまりは弱くとも束になってかかれば、相手も容易には手出しできないという算段だ。

 あと、自分より弱い立場に置かれた相手には人を介しての”脅迫”で事足りる。


「もうひとつは、長谷川さんがあの子に対して【好意】を抱いていたからよ」


 ん、なんだって?

 先輩が続けて口にした二番目の理由に正直、ぼくは困惑した。

 論拠としては著しく客観性に欠けていると感じたからだ。

 好きな異性だから、いたずらに相手を傷つけたりはしないだろうという結論か?


「ですが、”可愛さ余って憎さ百倍”という言葉が示すとおり、特別な感情を抱く対象だからこそ、余計に突発的な事態を招く可能性はありませんか?」


 思うところを素直にぶつけた。

 彼女にしてはなんというか……。思考が甘ったるい。

 まるで十代の少女のようだ。いや、実際にそうなんだが、自分が知る【石神千景】という存在は、あくまでも個人の感情を人間の行動原則として捉えたりはしないはずだった。

 そもそもが大衆操作に長けた、魔じ……有能なリーダーなのだから。


「東堂くん。人間の”好き”という感情は、君が考えているよりも多大な影響を人に与えるものよ。主にポジティヴな要因で」


――そうなのか?


 言われてもピンとこない。

 分からないものは否定も肯定もできないのだ。


「だからこそ彼女は自ら赴き、直接にあの人と会話することを選んだのよ」

「なぜです? 仁科さんは今回の騒動を明らかに迷惑がっていると見受けられましたが……」


 過程と結論が一致しない。

 混乱しているぼくの様子を面白そうな表情で見つめながら、先輩がなおも語り続けた。


「分かっていないのね。女の子というのは普段から自分がメインヒロインの物語ストーリーを常に模索している存在なのよ。今回の件も問題解決までの道筋は東堂くんが演出してくれたけど、最後の結末エンディングだけは自分自身の目で見ておきたいというわけ……」

「エンディングですか……?」


 どうにも理解し難い。

 ひょっとすると、自分と先輩とでは頭に思い描いている未来予想図になんらかの差異が生じているのではないのかと感じ始めていた。


「こちらの気持ちなど一切、顧みることもなく、身勝手な感情を押しつけてきた相手にとどめの追い打ちをかけるのか、もしくは尾羽打ち枯らした姿を見て、憐れみの声をかけるのか……。選ぶのは彼女自身の問題ね。いずれにしても私達の目的とは無関係よ。これから先はあの子自身の物語だわ。何よりも部外者には一刻も早く立ち去ってもらいたかったの」


――わかったことがひとつある。

――そして、わからないことがふたつできた。


 ぼくと先輩の相違点はだれを主観としてこの問題を捉えるのかという部分である。

 彼女はあくまでもついさっきまでここにいた、ぼくたちの協力者である仁科さんの立場を尊重している。それは副会長自身が同じく【女性】であるからなのか……。

 そして、自分はなぜだかトラブルの元凶であった長谷川さんに対して、奇妙に肩入れしていた。理由は不明だ。だが、あの人が空回りに見えるほど滑稽に一人相撲をしている様子は、ぼくの気持ちを否応なしに沸き立たせる。きっと、その姿がとあるクラスメイトと重なるからだろう。


 級友の名は松阪くん。

 ぼくに最後の希望を託して、声をかけてきた大切な【友達】だ。

 彼の夢を叶えるために自分はいまここにいる。代わりに何かを犠牲に捧げたとしてもだ……。


「最後の選択を仁科さん自身に選ばせるというお考えはわかりました……」

「そう」

「でも、ぼくにはまだわからないことがひとつあります」

「……?」


 理性だけでは解決不可能な出来事を人は理不尽と呼ぶ。

 自分では制御しきれない感情的衝動を無意識下の行動として働いてしまうのだ。

 ぼくもそうだし、おそらくは先輩も同様だ。どれだけ理知的に見えていても心は騙せない。人間である以上……。


「なぜ、先輩は追い立てるように仁科さんをこの部屋から出ていくように誘導したのですか? これでは彼女がまるで邪魔者……」

「その原因はあなたにあるわ」


 ぼくがすべてを言い終わるよりも早く、先輩がこちらを糾弾しはじめた。

 突発的な言いがかりに反論することも忘れ、ただ息を呑む。


――なんだと?


「数日前からなんとなくおかしいと感じていたの。理由はまだわからないわ……。でも、疑心はたったいま確信に変わった」


 不意に視線を机の天板へ落とし、先輩は独り言のように自身が思うことを述べていく。


「今度の一件で東堂くんが問題解決のために採った手段。だれかを守るために、だれかを傷つけることも厭わないやり方……。そんなもの、あなたには似合わない。素直にそう感じたのよ。東堂くんをここまで攻撃的に駆り立てている原因。きっとそれは、まだわたしに隠していることなのでしょう? だとしたら、その理由がなんなのか、ずっと考えていた……」


 ……この人はどこまでぼくの心を読んでいるのだろうか?


 空恐ろしいまでの洞察力。固唾かたずを飲んで事の成り行きを見ていると、彼女は視線を再びこちらに向け、小さく苦笑する。


「きっと自分では気がついてもいないのね。しばらく前から不安になると、服のポケットに手を当てる仕草が目立ってきたことを……」


 指摘を受けて、ぼくは愕然とした。

 言われたとおりの反応を見せた右手は、無意識のうちに上着のポケットへと差し込まれ、中で折り畳まれている紙片を触っている。


 ……まいったな。いつも何かを注意深く探っていたつもりだったのに、自分自身のことは伝えられるまでサッパリ気が付かなかった。


 そうだ、ぼくの手中には松阪くんから預かった大切な”企画申請書”が忍ばせてある。

 これをいかなる策を講じてでも実現にこぎつけてみせるのが、現在の最重要ミッションであった。

 ぼくには長谷川先輩のやり口を非難する資格などほんのわずかもない。

 なぜなら、自分自身の目的を果たすために他者を利用するという手法は彼の専売特許ではないからだ。

 いまとなっては良く分かる。なぜ、長谷川さんがあそこまで竹中さんとの対決にこだわったのかを……。

 先輩は横恋慕に対する憤りが彼を激しく突き動かしたのだと考えているようだった。

 だが、ぼくの見解は少し違う。正直、長谷川さんにとって、後輩の女生徒は単なるきっかけに過ぎないのだろう。そのことはこれまでのMC”ピエ太郎”と”JINK”の経緯いきさつをたどっていけば、おぼろげに見えてくる。

 

――きっと長谷川さんは、文化祭という高校生活最大の舞台で竹中さんと決着を果たしたかったのだ……。途切れかけた夢の続き。いや、もはや最後のあがきと言うべきか。 


 ひとりは着実にステップアップを繰り返し、憧れの世界へと手を伸ばしている。

 ライバルに比べ、自分はステージに立つことすらままならず、中途半端な状態で無為に日々を重ねている。もはや敵う相手ではない。そう感じてはいても素直に現実を受け止めるには、目に見える結末が必要だ。


――咲かない花でもキレイに散ってみたいと思うのは単なるワガママだろうか?


 その心情を読み取っていながら、ぼくは奸計を巡らせて長谷川さんの最後の希望を打ち砕いた。すべては自分自身の願いを叶えるためである。


「……理由はまだわからないわ。でも、原因は特定できた。東堂くんが似合わないほど攻撃的な思考で事態の収拾を目指した秘密は、そのポケットに潜ませている何か……。と、わたしは睨んでいるのよ」


 もう一度、真っ直ぐにこちらの顔を捉え、鋭い眼差しでぼく自身が気づいてもいない心の葛藤を見透かす。つくづく相手にするには骨の折れる人物だ。

 だが、そんな先輩の更に上を行かねば、この人を納得させるなど端から不可能。


――覚悟を決めろ。


 自分自身に強く言い聞かせた。胸のエンジンに火を灯す。

 だが、欲しいのは玉砕などという惨めな結果ではない。友達に託された祭りの夢を果たすための承認だ。


「いい表情ね。ちゃんと男の子の顔になっているわ。それが、わたしのためではないのが口惜しいけど……」


 突然、彼女がぼくのことを認めてくれた。

 いや、これは戦いの前の挑発行為だ。

 煽られたままでは許されない。気持ちで負けていては、まんまと呑み込まれてしまうから。


「その前にひとつ確かめさせてください。先程も尋ねましたが、なぜ先輩は仁科さんをまるで見放すようにここから退席させたのですか?」


 どうやら彼女の機嫌がすこぶるよろしくないのは、態度と表情から容易に見て取れた。

 その原因が自分であることもなんとなく察している。

 だが、こうも強引に事態を進展させようとしている先輩の様子はどこか不自然であった。

 

――理由はなんだ?


 人の心は不思議だ。互いにわかり合おうと努力するほど、思いは心理の迷宮にとらわれていく。その果てにきっと答えがあると信じて……。


「あなたの問いかけに対する答えはもう口にしてあるわ」


 迷いを断ち切るように彼女は返事をした。


「すべては物語を先に進めるためよ。だからこそ、あの子には申し訳ないけど、早く自分の居るべき場所に還ってもらいたかったの。ここからは東堂くんとわたしの時間よ……。だれにも邪魔されることなく、ふたりきりで舞台を始められるわ。わたしもメインヒロインらしく、自分の物語ストーリーを演じてみたくなった。これでいい?」


 不敵に微笑む少女の顔は妖艶に彩られていた。

 こういうときに美人は得だなとつくづく思う。

 だが、まあ……。

 自信満々な態度でこちらに臨む彼女の姿は、生徒会準備室という名の王宮に君臨する女王の風格で満ち溢れていた。

 その姿を目の当たりにして、つい不遜な印象を抱いてしまう。


――どう見ても、メインヒロインと言うよりはゲームの”ラスボス”なんだよなあ…………。


 EPISODE #05 END

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