#030 愚者の黄金

 ――オレには夢がある。

   いつかオレのライムで世界中のオーディエンスを沸かせることだ。

   いまはまだ夢の途中だ。でもきっといつか必ず夢のステージに立ってみせる。

   キミがオレを応援し続けてくれるなら、その日を客席で待っていてくれ。

   その日が来るまで Goodbye。


 ◇◇◇


 古代から黄金の輝きは人の心を魅了する。

 たとえそれが黄銅鉱や黄鉄鉱のような”愚者の黄金”であったとしても、美しく加工され貴婦人の指を飾り立てれば、見るものはそれがイミテイション・ゴールドであるとは考えない。

 ようするに美しいかどうかは受け取る側の問題であり、価値観は人それぞれなのだ。

 機械によって打ち出された、よく整えられてはいるが単調でありきたりな文面であっても、長谷川先輩にはそれが心に響いたのであろう。


「これってどういう意味?」


 送信されてきた文面をこちらに向けて、解読を求めてくる仁科さん。

 個人宛の私信メッセージを赤の他人が見ても良いものか少し迷ったが、そもそも焚き付けたのが自分なので、どういう結果となったのか最後まで見届ける義務がある。

 と自身に強く言い聞かせ、画面をのぞき込んだ。

 表示された文章を確認すると……。


「持って回った言い回しの割には何を伝えたいのかサッパリ分からないわね。これでは何も語っていないのと同然よ」


 隣にいた先輩があきれたように述懐する。ひどい言われようだなと同情をしつつ、結論としては自分も同じような所見を抱いてしまっていた。

 どうやら抱負っぽいことをツラツラと重ねているが、これが別れの挨拶であると確信できたのは、最後の日本語でない部分を読んだからだ。


「ようするに、あの人は自分の夢のために身を引く決意をしたあなたへ感謝しつつ、それとなくキープしておきたいということよ」


 両腕を胸の前で組み、諭すような口ぶりで先輩が下級生に対し男の本心をこれでもかと暴露する。言わずもがなだが、すべては彼女の勝手な印象である。まあ下心がまったくないとは確かに言い切れないけど……。


「それって、いつの間にかあたしが振られた形になってません?」

「最後くらい、男に格好つけさせてあげるのがいい女の条件よ。あなたも覚えておきなさい」


 仏頂面で不平を鳴らす仁科さんに、先輩は両目をつぶって愉快そうな声で応じた。


「……はあ。それにしても長谷川先輩にしてはなんだか妙に物分りがいいっていうか……。ちょっと気味が悪いくらい。もっとひどい返信が来ると思ってました」


 副会長の言葉に一応の納得を示した仁科さんが感慨深げにつぶやく。


――まあね。あの人の普段の言動を考えると、そう思うのが当然。それをさせないようにあれこれと小細工を弄したのが今回の作戦の肝なのだ。


「そうね。では、なぜこうなったのかは首謀者の方に直接、聴くとしましょう。説明を頼むわよ、東堂くん」


 いま一度こちらに向き直り、事態の詳細を求める。

 これまでの流れで半ばどういった事情なのかはあらかた理解しているはずだ。

 それでもぼくに探偵役を任せるというのは、自分に花を持たせてくれているのだろうか?


「もしも、長谷川さんが予想とは少し違う反応を見せたときは……。また別の文面をいくつか用意してありました」

「賢明ね。事前にいくつかの選択肢を準備しておくのは面倒だけど、リスクヘッジを利かせる意味でも大切だわ」

「現実には思い通りに人が動いてくれない場面はよくあるので……。ただし、あるひとつのケースについては、かなりの自信を持って排除してもいいと考えました」


 まずはこの計画が思いつきと決め打ちで楽観主義に溺れたものではないという点を主張しておく。当然だ。ぼくは人を意のままに操る霊媒師や催眠術師ではない。

 結局は予想と現実の乖離を可能な限り最小限に留める程度にしかやれることはなかった。


「ある一点においては随分と強気なのね? で、それは何?」

「長谷川さんが仁科さんのメッセージに対し、自作のリリックでアンサーに応じることです」


 先輩の問いに短く答える。

 実際、彼は即興性に乏しい反応で舞台から降りるように幕引きを図っていた。

 端的に言えば勝負を避けたのだ。


「そうね。どうひいき目に見ても、あの文面は自分を取り繕っているようにしか感じられなかったわ。おそらくは後輩の女の子に思いがけない形でエピックな作品を見せつけられた。さて、どうしよう……。困った挙げ句に言葉を濁して逃げ出そうとしている。こんな感じかしら?」


 まるで見てきたような勢いで長谷川さんの心象風景を物語る。

 そこまでみっともなくはないだろうと思いつつも、結局は正面からの対決を避けているのは間違いない。なので、こう言われても仕方がないのは必定だ。


「ぼくはこの計画を立てる際、ネット上に点在するMC【JINK】と【ピエ太郎】の評価を集中的に探しました。もちろんオープンなネットワーク上に残されているもののみですが……」


 【ピエ太郎】というのは、長谷川さんのステージ上におけるラッパーネームである。同じく、【JINK】は三年生の竹中甚句郎さんのものだ。

 この両者は同じ学校の同学年で、かつ同好の士という間柄だ。個人的な交友関係がなかったにしても、ふたりは周囲から”ライバル”と目されていたのだろう。

 事実、長谷川さんは竹中さんに対し、明らかな敵愾心を抱いていた。

 今回の騒動も元をたどれば、ふたりの因縁から生じたイザコザなのだ。


「その結果はやはりというか当然、竹中さんには多くの賛辞が寄せられていました。翻って長谷川さんにはそもそも言及に乏しく、あっても単に演者の一人としてクレジットされているだけなど、決してはかばかしくはありませんでした」


 あくまで自分調べの範疇ではあるが、両雄の間には明らかな格差が生じていた。

 実際に竹中さんは活動の場を大きく広げ、今年度の文化祭のステージには立たないと決めていたくらいだ。


「実は調べていくうちにある傾向が生まれていたことに気づきました。ここ数ヶ月は竹中さんの活躍の度合いに反比例して、長谷川さんの名前の出現頻度がどんどん低下していってます。これは明らかにパフォーマーとしての出番が減少しているからではないでしょうか?」

「早い話が、【ピエ太郎】は【JINK】から逃げ回っているというわけ?」


 相変わらずのド直球で言いにくい結論をズバズバと口にしていく先輩。

 だが、データから得られた現象を慎重に考えていくと、それ以外の事実が見つからなかった。だからこそ、ぼくは……。


「実のところ、わたしも空いた時間を利用してあのふたりについて調べてみたわ。大体は東堂くんと似たりよったりだけど、もう少し深く掘り下げてみると、個人に対する感想がちらほらと現れてきたの。まあ竹中さんについては裏も表も称賛八割、やっかみ二割という感じで収束していったから、こちらは予想通り……」


 返答に詰まったぼくを見て、先輩が自らの調査結果に言及した。

 それにしても、自分では届かなかった領域にまで調査の目を行き渡らせてしまうのはさすがである。”裏”とかいう不気味な単語が聞こえてきたが、そのへんは聞き流すとしよう。どうせロクなことではない。


「……で、例のあの人については正直に言って批判の嵐ね。その中でもっとも辛辣しんらつだと感じたのは、現役のDJが匿名で投稿していた『あのMCのライムは対戦相手をディスっているだけだ。そこにはひとかけらのリスペクトも聞こえてこなかった。愛のないリリックは苦痛だ。彼のパフォーマンスはただ醜悪な【悪態】でしかなかった』というものよ……」


 匿名の書き込みをどうすれば人物特定まで出来るのか恐ろしい話だ。

 だが、そのおかげでぼくの推論を補強する有益な情報が手に入ったのもまた事実。


「ぼくの最終的な見解は、長谷川さんのラッパーとしての実力は竹中先輩に大きく劣るということです。漸減ぜんげん的に活動の範囲が狭まっていったのも、竹中さんを避けたというより、客席の反応を気にした主催者側がやんわりと断りを入れていたからかもしれません」

「そこに追加して、あの人が自信を失っていったという可能性も大きいわね」


 この騒動の初めに長谷川さんと先輩が邂逅を果たしたとき、一触即発のただならぬ雰囲気が生まれたのはただの偶然ではない。

 多分、あれがMC【ピエ太郎】のいつものスタイルなのだ。

 初動から相手を威嚇するような態度と、極めて攻撃的な言動で主導権を握ろうとする。

 だが、舞台の上ではそれが見るものに不快感を与えてしまう。

 ”愛のないリリック”は苦痛。夢のオンステージでは観客とスタッフと演者、すべてが幸せに包まれていなければ決して成功しないのだ。


「人間はどのような事情があれ、他者から否定されると精神が萎縮します。縮こまった心は最初こそ反発心が怒りとなって活力を取り戻しますが、そこで成功体験を得られなければ、次第にストレスが蓄積し、いつしか体が動かなくなる。俗に【イップス】と呼ばれる現象ですね。そして条件が揃えば、心身の硬直は否応なくその人を襲う。いつからか長谷川さんは舞台に立つどころか、ラップを刻むことすら困難になっていったのではないかと……」


 ヒップホップの醍醐味はなんといってもアドリブ感あふれるMCのパフォーマンスだ。

 彼らは巧みに言葉を繰り出し、オーディエンスは連続するライムや圧倒的なフロウに熱狂する。


「先輩に絡まれたとき、長谷川さんは随分とそっけない対応に終始していました。およそ、ラッパーにはふさわしくないくらいに……」

「別にわたしから喧嘩を仕掛けたわけではないわ。ただ、訊きたいことがあっただけよ」


 彼女は眉間にシワを寄せ、美しい顔をわずかに歪ませる。

 やべぇ……。うっかり口が滑った。


「コホン……呼びかけに対し、必要最低限のことだけを伝えて、そそくさとぼくらの前から消えていきました。あのときは単なる塩対応だと受け止めましたが、やはりあの反応はおかしい。”ラップ”でなどとは言いませんが、伝えたいことがあるのなら、堂々と自分の口で言えばいいんです。それが彼の生業なりわいであるのなら……。だからこそ、ひとつの仮説にたどり着きました」

「彼が無意識にあらゆる【対決】を避けているというわけね?」

「より正確には、”言い争い”を恐れているのだと思います……」


 だからこそ、ぼくは偽の文面まで用意して長谷川さんに勝負を挑んだ。

 彼が自らの意思で戦いの舞台から降りるよう期待して……。


「えっと……。それじゃあ、どうして長谷川先輩は文化祭のステージに出るつもりだったの?」


 これまでぼくらの会話をただ聞いているだけだった仁科さんが当然の疑問を口にする。

 まあ、問題はそこだよな。


「ああ……。それはね」

「――もういいわ」


 仁科さんの問いかけに答えようとしたぼくを突如、先輩が制した。


「え……? でも、これは」


 聞かなくていいのか。あるいは聞かせたくはないのか。

 先輩は真剣な表情でぼくを見つめていた。


――なにかあるな。


 直感でそう悟った。

 なので、それ以上の発言にはあえて及ばず、次なる展開を静かに待つ。


「少なくとも、これまでに明らかとなったことがふたつあるわ。ひとつはあの人がこれ以上、仁科さんにまとわりつくことはなくなった……。そして、もうひとつは文化祭が予定通りのスケジュールで行われるという事実ね」


 堂々とした口ぶりで自分たちの成果を強調する先輩。しかし、ぼくはどことなく不可解な印象を覚えてしまった。


「仁科さんの件については同意しますが、ステージについては本人に確認を取らなくて大丈夫でしょうか?」


 杞憂に過ぎないと思いつつも一応、念を押す。いまの段階では長谷川さんの最終的な意思を確かめてはいないからだ。


「そもそもの原因となった仁科さんに、あれだけ気恥ずかしい文言を送っておいて、いまさら何をステージ上で訴えるの? 心配しなくても東堂くんが画策したとおり、現在のあの人には到底、舞台上で自分を奮い立たせるなんてことは不可能よ。放っておいても問題ないわ。いえ、むしろ……」

「ん? まだ、なにか」

「いまはそっとしておいたほうが賢明よ。下手に刺激すれば逆上して余計な面倒が増えるだけだけだわ」


 悲しげな声で思いを吐露する先輩。それは敗者に対する憐憫れんびんか、あるいは勝者の余裕であるのか。


「東堂くん。わたしは地に落ちた人間を追い込んで叩くほど退屈はしていない。だからといって、優しい言葉を投げかけるほど慈悲深くもないのよ」


 一転、冷めた口調でいつもどおりに相手を突き放す。女王陛下は全員に対して等しく同様でなければならない。だからこそ、すべてに冷淡であるのだ。


「…………あたし、いまから長谷川先輩に会ってくる」


 油断していると、いきなり嘆きの天使が姿を見せた。あるいは慈悲深い小悪魔といったほうが適切か?

 仁科さんの宣言に、ぼくの心は思いっきり動揺した。

 本気なのか、このばK……、

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