#029 感情刹那のシンギュラリティ

 高度に発達した人工知能が人間の知性を凌駕し、社会全体に及ぼす影響をもはや絶対的なレベルにまで高めていく。その時、人類という種は地上における主権者ドミニオンという立場を機械たちに奪われてしまうだろう。


――シンギュラリティ・ポイント


 昨今の興隆するAI産業に危機感を覚えた他称自称のニュース解説者たちが、いささか煽り気味に吹聴している近未来予想のひとつである。

 ”流行り病”はかかる前が一番、恐ろしいのだと、むかしむかし中世の哲学者たちが嘆くように書き残していた文章をふと思い出した。

 結局、人も獣も【未知なるもの】をもっとも恐れるのだという動物としての習性がそうした恐怖心を生み出してしまうのか?


――無知なるものよ、汝は幸いである。神の手に抱かれて、その魂は天へと還るであろう。


 何も知らない盲目の子羊を言葉たくみにいざなうのは、宗教家とペテン師と娼婦だと大昔から決まっているのだ。


 ◇◇◇


「正確に言うと、この文章を綴ったのは携帯にインストールされている”かなクリエイター”というアプリです」


 まじまじと画面を覗き込んでいる先輩に向かい、ぼくは手品のネタばらしを開始した。


「どういうことなの? テキストエディターを使って東堂くんが書いたわけではないのね」

「そうですよ、このアプリケーションは設定画面で曲調やテーマ、使用したいワードを任意で打ち込めば、あとはアプリ側が自動でそれっぽい文章を生成してくれるという機能を持っています」

「……ああ、だからやたらと歌詞に【会いたい】が多いのね」


 仁科さんが感じ入ったように小さくつぶやいた。

 いやまあ、そこは自分がキーワードに【再会】や【別れ】を指定しただけで、”かな”と言っても実在のアーティストさんとは一切、関係ない……。


「それしても、よくそれだけアバウトな指定のみでまともに意味が通じる文章が作れるものね」


 今度は技術的な観点から先輩が疑問を口にする。

 普通に考えても無作為に単語を抽出しただけで、まともな歌詞が生み出されるわけはなかった。だからこそ技術のブレイクスルーが必要なのだ。


「このアプリはネット上に存在する、ほとんどすべての言語で記された詩篇や詩作を網羅した独自のデータベース【タイピング・モンキー】にアクセスできます。そして、単語の出現頻度や法則性をパターン化し、範囲内において要素の再構成を行い、最終的に文章としてアウトプットを完成させます。もちろん、現状ではまだまだ到底、満足できる内容とは言えず、今回の作品も条件を何度も変更してトライアンドエラーを繰り返した後にようやく使えそうな一本が見つかっただけですよ。それに最後の表現の微調整はどうしても自分で行うしかありませんでした」


 機械に感情はまだない。あるいは人工知能に感情表現を理解させることは神の御業なのだろうか?

 真摯なクリエイターやまっとうな技術者であれば、プログラミングによって自動合成された創作物に人の心を揺さぶる力は決して生まれないと強弁するはずだ。

 とはいえ、業界内で辣腕らつわんと謳われる世の大物プロデューサーが鼻息荒く語った、「映画館に観客を呼び込む最大の秘訣は”動物と子供”を常に出すことだ」などというハリウッド・メソッドも消費社会の現実を否応なしに現している。


――ようするに、自ら表現できない多くの人間は自身の理解が及ぶ範疇はんちゅうで常に感動したがっている。


 ぼくの結論は以上だ。


「それで、東堂くんはこの怪文章をどう使って、問題を解決するつもりなのかしら?」


 歯に着せぬ物言いで先輩がこちらの真意を探ってくる。

 いやまあ、その発言を否定するつもりはないけれど、これではいまからやる自分の所業がまるで犯罪者の行いである。うん。実際、そうなんだけどさ……。


「仁科さん。悪いけど、名前を使わせてもらってもいいかな?」

「え! う、うん……。いいけど、何かするの?」

「まずは仁科さんのスマホにこの文章をまるごとコピーして、次にいまから伝えるメッセージを追加してほしいんだ」

「は? ちょっと待ってよ。こんな長い文章……。えっと、とりあえずID検索して、こっちのアカウントにフレンド申請を飛ばしてくれない? そのあとコピペした文章をDMで送ってよ」


 彼女の要望どおりにSNSアプリを起動して”ニナリナ”という名前を探す。

 ヒットしたアカウントに向けて、フレンド申請を行うと即座に許可をもらえた。

 なにげに同級生の女の子の連絡先をゲットしたのは人生でこれが初めてだ。

 あまりにも事務的すぎて大した感慨も思い浮かばないけれど……。

 それに異性の連絡先ということならば、一足先に先輩とフレンド登録を済ませている。

 

 ん? いや……。

 落ち着いて考えると彼女はどうやって、こちらの携帯のロック画面を突破した?


 何やら急に悪い予感がしてきた。

 あの人は平然とした顔でこちらの端末にバックドアを仕掛けていても不思議ではない。

 あとで設定を洗い直しておこう……。


「ね、ねえ……。東堂くん?」


 ぼくからのダイレクトメッセージを受け取った仁科さんが怪訝そうな声でこちらに呼びかけてきた。はかばかしくない反応から察するにとてもご不興のようだ。


「もしかして、これをあたしから先輩宛に送信するわけ?」


 顔を上げて、ジトーっとした視線を向けてくる。表情には不信感がありありと浮かんでいた。


「……【PS これが自分の正直な気持ちです。いま思いつく精一杯の言葉で書きました】なんなのよ、このメンタルヘルスに重大な問題を生じさせた思い込みの激しい女の子が若さと勢いに任せてネットの海に書き込んだ黒歴史確定な文章は?」


 仁科さんの後方から液晶画面を確認した先輩が一刀両断に言葉の刃で攻め立ててくる。

 いまに始まったことではないが、この人には婉曲な言い回しを選ぶという普通の人間なら、ごく当たり前に備わっている機能がデフォルトでオミットされているのだ。

 早い話がブレーキの利かないダンプカーである。


「これは俗に”ブラックメール”という手法です」


 女性陣からの批評を努めて冷静に受け止める風を装い、ぼくは淡々と今回の作戦の目論見についての説明を始めた。黙っていると心が先に折れてしまいそうだったからだ。


「それって確か、関係のない第三者が特定の人物の名前を語ってターゲットを罠に陥れる詐欺行為だったかしら?」


 さすがは先輩である。この手の悪事には滅法、詳しい。あまり喜ばしいことではないが……。


「それで、このメールを送ったあとはどうすればいいの、東堂くん?」


 こちらはいまだに納得どころか理解さえもおぼつかない様子で訪ねてくる仁科さん。


「……なにも」

「へ?」

「何もしなくていいんだよ。ただ、長谷川さんの反応を待っていればいい」

「そ、そうなんだ……」


 シンプルにもほどがある計画内容。

 とまどいもあらわに仁科さんはもう一度、携帯の画面に目を落とした。


「ようするに、リリックを送りつけて相手の反応をうかがおうと言うわけね?」


 逆にこちらの思惑を寸分の狂いなく読み取った先輩が若干、自慢げにぼくの企てを預言する。

 そのとおりだ。長谷川さんの性格はこれまで見てきた限り、相当に意固地でさらには偏屈と来ている。こういった人物をうまく懐柔する方法は向こうが容易には思いつかない手段を講じて不意をつくしかない。


――つまりは、彼が挑もうとしていたラップバトルを今度はこちらから仕掛けていく。


 これならば相手も頭ごなしに人の意見を否定するわけにはいかないだろう。

 なぜなら、彼にとって【音楽】だけは特別だから。それだけは決して裏切ることができない大切な聖域であるからだ。


「ですが、本当にこのやり方が正しいのか、ぼくにはまだ分かりません……」

「それは一体、何に対しての罪悪感からかしら?」


 逡巡するこちらの様子を見て、先輩が目ざとく尋ねてきた。

 この作戦を決行するにあたって、問題点はふたつある。より細かく考えるともうひとつ存在するわけであるが、可能性を考慮すると三番目は無視しても良いだろう。


「まずは仁科さんを自分の企みに巻き込んでしまうことです。万が一を考えると、彼女の安全を脅かしてしまう結果となってしまうかもしれません」

「……そうね。最悪の事態を考えたら、いざというときにはわたしたちが責任を持たないといけないわ」


 ぼくの懸念に先輩は”わたしたち”という言葉で最終的な責任の所在を明らかにした。

 最後には逃げも隠れもしないという心意気である。


「もうひとつは、このようなやり方を採ることが倫理的に許されるのか? ということです。確かに実害を伴わない限り、こういった事例はどれだけ悪意に満ちていたとしても所詮は【悪戯】として済まされてしまう程度です。罪にはならない、というよりも罪には問えない感じで許されていますが……」

「悪ではあっても、罰を受けさせるほどのものではないのね」


 近代社会において、法が裁くものは【悪】ではない。

 悪とは正義に背反するものであり、【正義】は各々が司る社会的地位や立場によって容易に変化するからだ。法が裁くのは、あくまでも【無法者】である。


「……東堂くん。生徒会役員として多くの人間を束ねてきた、わたしからあなたにひとつアドバイスをあげるわ」

「はい?」

「バレなければ犯罪ではないのよ」


 待て待て待て。

 それを生徒会副会長が言ってもいいのか?

 もしくは生徒たちの日々の活動をつぶさに見守っているからこその結論なのか……。

 度量が大きいというよりは、ある種の諦観を感じさせる先輩の声にぼくは二の句が継げなかった。


「それより、もうひとつの心配についてはどう考えているのかしら?」


 続けて彼女は別の懸案事項を問いかけてくる。

 それはきっと、ぼくがあえて問題としなかった長谷川さんの行動パターンだろう。


「ああ……それは、多分」


 答えかけたその時、生徒会準備室に奇妙な機械音が鳴った。

 ぼくにはあまり馴染みがなかったが、それは確かとあるSNSの着信音だったはずだ。


「あ! 長谷川先輩から返信が来たよ」


 なん……だと?

 正直、怒りよりも先に驚きで思考が停止した。

 それは先輩もおそらく同様で二人同時に息を呑んで思わず顔を見合わせる。

 数瞬の膠着を経たあと、ぼくらはほとんど時を同じくして音が鳴った方向へと視線を傾けた。


「え……。返信って、どういう意味?」

「ん? 長谷川先輩からだよ、さっき送ったメッセージの」

「ど、どういうことなのかな、仁科さん……」


 だめだ。

 あまりにも事態が突発的すぎて、頭がうまく回らない。

 彼女は一体、何を言っているんだ?


「えっと、仁科さん……。わたしたちの話をちゃんと聞いていたのかしら?」


 さすがに見るに見かねた様子で先輩が仁科さんに事の次第を問いただした。


「……いいえ、なんだか二人で難しい話しているなぁって思っちゃって。さっさと終わらせたかったから、先に送っておきました」


 ああ……。あ、あああああ。

 なんということだ。

 確かにぼくはダイレクトメッセージで長谷川さんにコンタクトを取ってほしいと言った。

 言ったけれど、まだ自分自身ではGOサインを出していないと認識していたのだ。

 だが、仁科さんはためらいもなく、ぼくが書き上げた偽の文章を自らのものとして発信してしまった。


――案じるよりも生むが易し。


 だが、生まれてしまったものは最後まで面倒を見る、というのが人として最低限に取るべき態度であろう。

 なんだか例えがおかしくなっているのは、ぼくの心が動揺しまくっているからだ。

 これだから陰キャにとって陽キャラというのは、不倶戴天の天敵なのである。関わるとろくなことがない……。


「やってしまったものはしょうがないわね。最後の責任は東堂くんに取ってもらいましょう」


 つい、いましがた”わたしたち”が責任を持つと豪語した人間が、その舌の根も乾かぬうちに言い放ったセリフがこれである。手のひら返しってレベルじゃないよな……。


――覚悟はすでにできている。ただ、ちょっとだけ心の準備が間に合わなかっただけだ。


 自分に強く言い聞かせ、ふたたび顔をあげる。

 人生はゲームのようなものだ。ぼくらは所詮、出た目の数だけ前に進むことしかできない駒のひとつ。そして、ダイスの目は時の権力者であっても自由にはできない。

 ぼくと先輩は正義の有り様を巡って埒が明かない問答を繰り返していた。

 それはまるで目の前の河を渡るか渡らないか迷い続ける古代の名将。だが、とっくの昔に賽は投げられていたのだ。

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